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仮面ライダー・映画・音楽に関する感想と考察。

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感想『仮面ライダーW』がなぜ平成二期第1作目でないといけなかったのか

スピリッツでの『風都探偵』の連載や、桐山漣さんと菅田将暉さんの7年ぶりの「共演」で、今何かと話題になっている『仮面ライダーW』。


『風都探偵』の連載をキッカケに、仮面ライダーWを三、四年ぶりにもう一度観てみよう、と思い、先日全話+劇場版+Vシネマを完走した。
これを機会に、今一度『仮面ライダーW』を振り返ろうと思い、このブログ記事を書くことにした。


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それまで10年と続いてきた平成仮面ライダーシリーズ。
とにかく「目新しさ」と「斬新さ」を追い求め、試行錯誤を繰り返し、2000年以降毎年新たな仮面ライダーシリーズを作り続けてきた。
クウガ〜剣は辺りまでは、シリーズの存続が悩まれていた時期もあったようだが、10年も続き次第にコンテンツとして安定しつつ肥大化して、「仮面ライダーブランド」が形成されつつあった。


そんな時期に登場した前作の『仮面ライダーディケイド』は、10周年を一つの区切りと位置づけ、クウガ〜キバ(+ディケイド)をひとまとまりにしてしまった。
そして、ディケイドの次の作品として制作された『仮面ライダーW』は、"次の10年 "を見据えて作られた。
たしか、その頃にはまだ「平成二期」という概念すら無かったものの (というか、この用語もファンが作り上げたものではあるが)、ディケイドが一つの区切りとなってしまったため、必然的に後続の『仮面ライダーW』は「"次の10年"の一作目」という立ち位置になってしまった。


すっかりファンの間では当たり前にはなったが、何故平成仮面ライダーシリーズをディケイドとWを境に「平成一期」と「平成二期」に分けるようになったのか?
『仮面ライダーW』という作品の特性、主題や物語のメッセージを振り返りつつ、考察していきたい。


ちなみに、『仮面ライダーW』は「東映特撮ファンクラブ」で視聴することができる。


この記事には、『仮面ライダーW』やその他関連作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。


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「はんぶんこ怪人」デザイン

自分が初めて仮面ライダーWのデザインをみたのは、確か7年前の雑誌バレのシルエットだった覚えがある。
平成生まれで平成仮面ライダーだけで育った自分から見たら、電王やキバでお馴染みだったどこかゴツくて派手な格好ではなく、スタイリッシュでシンプルなデザイン、という印象が強かった。
ネットでも「原点回帰!」と騒がれてたのも懐かしい。
それだけに、後に完全な色付きのWのバレ画像が出た時には衝撃を受けましたね。(笑)

はんぶんこ怪人!!

 
S.H.フィギュアーツ (真骨彫製法) 仮面ライダーW サイクロンジョーカー 約145mm PVC&ABS製 塗装済み可動フィギュア
 
 
左右非対称のライダーは過去に数人いたものの、完全に真ん中で半分に分かれていて左右完全に色が違う…
初めてみたときの衝撃はすごかったですね。(笑)
スタイリッシュ、シンプル、マフラー付きという所謂「王道」なシルエットであったのにもかかわらず、それまでの平成ライダー特有の「奇抜さ」と「斬新さ」を落とし込んできたことには感心した。


そして、サイクロンジョーカーの「緑×黒」のカラーリングの意味合いも大きい。
サイクロン側の緑色は仮面ライダー新1号、
ジョーカー側の黒色は仮面ライダーBLACK
をリスペクトしたデザインだ。
前作劇場版の『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』で昭和ライダーのファンを呼び戻したこともあり、Wからは昭和ライダーで育った層も引き込みたいという意思が伝わってくる。


「二人で一人の仮面ライダー」というテーマにこれほど沿ったデザインはないだろう。


つまり、このデザインは「二人で一人の仮面ライダー」という作品の設定を落とし込みつつ、平成仮面ライダーが続けてきた「挑戦」を継続する意思、そして昭和ライダーのファンを引き込む意思の表れとなっていると考察する。
そして当時、このデザインに惹かれて視聴しようと思った人が多くいたことに違いない。
 

コメディリリーフ

平成一期の作品の多く (特にクウガ〜剣)  と比較しても、今作の作風が割と明るいと感じる人は多いだろう。
それは、「コミックリリーフ」的な側面を持つ登場人物が物語の中心にいたからだと考える。


ヒロインであり鳴海探偵事務所の所長である鳴海亜樹子がその代表的な存在だと考えている。
「コミックリリーフ」とは言うものの、彼女はしっかりとWにとっては必要不可欠なサポートキャラとしても機能する
変身シーンで倒れるフィリップの身体を安全な場所に退避させる戦いのサポートをすることは勿論、探偵事務所の二人の活動を見続けてきた存在であるからこそ発することのできる力強い言葉も多い。

 
しかし、翔太郎たちのペースを乱すことにおいてはもう天才的でしたね。(笑)
無理して格好つけようとしていた翔太郎にスリッパでツッコミを入れたり、勝手に潜入捜査をして空回りしてしまったり、夢の中でなにわの美少女仮面に変身してしまったり…
コミカルな場面では必ずと言っていいほど、亜樹子が活躍していた。


子供ウケを狙ってか、『仮面ライダーカブト』から本格的にコメディリリーフを取り入れ始めた。
コメディリリーフとして邪魔にならない程度の「乱し」を提供しながらも、ヒロインとしてしっかりとWをサポートする、非常にバランスのとれたキャラクターだと感じた。




一方で、同じく「コメディリリーフ」として登場した風都署刑事の刃野幹夫と真倉俊の二人の役割については個人的に少し批判的な立場にある。
鳴海亜樹子がバランスの取れたコメディリリーフを提供してくれる一方で、この二人はコメディに寄りすぎていた気がする。
もちろん、刃野にも『Jの迷宮 (41話、42話)』などで活躍の場はあったが、私刑を許さない、という翔太郎のスタンスがあるのなら、法の番人である刑事側にはもう少ししっかりとした一面を見せてほしかった。

敵組織

人間が変身する怪人「ドーパント」

今作の敵であるドーパントは平成仮面ライダーシリーズの中では非常に特徴的で、唯一無二であったと感じる。
というのも、ドーパントはガイアメモリを身体のコネクタに刺して人間が変身する怪人だからだ。
つまり、今作の敵怪人は長い平成仮面ライダーシリーズの歴史の中で初めて、人間が自らの意思でなる姿の怪人だ。
(初めてとは言ったものの、『仮面ライダーカブト』のグリラスワームなどの極特殊な前例はある。)
よって、ドーパントという敵怪人を通して「結局『悪』は人の中にある」ということを表現した


過去の作品でいうと、『仮面ライダー龍騎』では、現実世界での善悪の揺らぎを表現するために人の命を平然と奪うような人間までもを仮面ライダーに変身させたりした。
人間の中での善悪を描くという点では龍騎とWに通ずる点はあると思うが、Wの特徴としては、同じガイアメモリという道具を使って、「悪」の心を持った人間がドーパント、「正義」の心を持った人間が仮面ライダーに変身する、という非常に分かりやすい構図が出来上がっている。
悪いヤツが怪人で、いいヤツが仮面ライダー
「怪人」か「仮面ライダー」か、という視覚的な情報によって、子供にとっては非常に分かりやすい対比を作りあげながらも、結局両者共に人間が変身した姿、という構図なのが面白い。
(劇場版に登場した仮面ライダーエターナルのみ例外で、少し議論の余地はあるがそれは改めてする。)
マジックを成功させるためだけにガイアメモリを使ってしまったリリィ白金がインビジブル・ドーパントは怪人態を持たなかったり、自らの意思に反してコネクタ手術をさせられた島本凪が最後までケツァルコアトルス・ドーパントに変身しなかった点などを見ても、最後まで「悪」だけに怪人の姿を持たせようとした一貫性が見られる。


人間の中の「悪」を描くという点は、W以降の平成二期シリーズの中でも大きな特徴の一つであると考える。
『仮面ライダーオーズ』の恐竜グリード、『仮面ライダーフォーゼ』のゾディアーツ、『仮面ライダーウィザード』の白い魔法使い、『仮面ライダードライブ』のゴールドドライブ、『仮面ライダーエグゼイド』の仮面ライダークロノス
のような例が多くあり、Wでドーパントを敵に据えて大々的に人間の中の「悪」を描いたことの影響は平成二期の作品には少なからずあると思う。

平成二期の世界を繋ぐ「財団X」

Wの本編終盤に登場し、ミュージアムの後援組織であることが明らかになった財団X。
本当に加頭順の圧倒的不気味さが印象的過ぎますよね。(笑)
最終回付近でオーメダルの出資もしていることがさり気なく明かされて、「平成二期シリーズの敵のバックに共通して存在する組織」というような壮大な構想が当時制作チーム内にあったのではないかと思われる。
平成二期シリーズでは各作品のライダー同士がクロスオーバーを始め、同一世界に存在するような描写が増えてきた中、財団Xはその繋がりを生かす持ってこいの設定だったと思う。


惜しくも『仮面ライダーフォーゼ』に登場して以来特に財団Xの活躍が見られず少し残念ではあったが、『仮面ライダーエグゼイド』の東映特撮ファンクラブ限定スピンオフに登場したので、今後の動向が楽しみだ。


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二話完結型の構成

二話完結型の構成の平成仮面ライダーシリーズは過去にもあったが、探偵ものとの相性が特によかった印象だ。
そして、この作品の二話完結型の成功が平成二期シリーズに大きな影響を与えたと考えている。


二話ごとに依頼人とドーパントを登場させ、事件をその二話の間で提示して解決する、という一貫したフォーマットで今作は制作された。
前編では依頼者が鳴海探偵事務所に来訪して、事件を提示する。
そして、一週間後の後編でドーパントの正体や事件の真相などを明かし、ドーパントを倒す。


この構成だと、毎回事件に関するなんらかの謎を前編で提示しておき、その答え合わせを次週の後編までの楽しみにしてもらう、という作りができ、更には毎回様々な依頼が舞い込むため、引きがマンネリ化することはあまりなかった。


前編と後編のサブタイトルに共通のエピソードタイトルがつけられている (前編『〇〇 / × ×』、後編『〇〇 / △△』) 点でも二話がひとまとまりであることは強調されている。


二話完結というフォーマットは、ほとんどの場合二話ごとに監督が交代する平成仮面ライダーシリーズの制作上の都合では非常に便利な構成だったのではないかと考える。
そして、『仮面ライダーW』の作風と二話完結構成の相性が非常に良かったためか、平成二期仮面ライダーシリーズで二話完結が多用されるようになった


しかし、探偵ものの仮面ライダーWであったからこそ上手くいった構成であったと考えている。
この「二話完結」という部分のみが後年の平成二期の作品に受け継がれてしまった点はいかがなものかと思う。


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放送開始時期の変更による影響

仮面ライダーWからは放送開始が秋からになったが、この時期変更に影響された点が二つあると考えている。

玩具の売り方の変異

玩具業界は少子化の影響をダイレクトに受ける業界であるため、売り上げを維持するためにベルトやソフビ人形だけでなくてより多くの商品を出して買ってもらう必要がある。
よって、平成一期と比較すると、玩具の売り方が大きく異なる。


そもそも、放送開始時期を冬 (2月頃) から秋 (9月、10月頃) に変更した一つの目的としては、同じく冬に放送開始していたスーパー戦隊シリーズとの玩具売り上げピークをずらすことがある。
秋開始になった平成二期は、クリスマス辺りが稼ぎ時になった。
結果的に、クリスマスまでのわずか2~3ヶ月の間に玩具をたくさん出すことが平成二期の玩具の売り方として定着してしまった。

 


平成一期作品では、ベルト単体で変身やフォームチェンジができる作品がほとんどだった。
一方で、Wでは、ベルトと連動する収集可能な別売りの小物玩具でフォームチェンジやパワーアップを行う「小物商法」を取り入れた
そして、Wではその「小物」としてガイアメモリを売り出していった。


 
「小物商法」による玩具の売り上げ増加を図ったと言えるが、この商法の定着より二人ライダー体制も平成二期に定着していった
過去に二人ライダー体制で本編を動かした平成仮面ライダーシリーズは『仮面ライダー電王』だけで大体の作品では多人数ライダー体制であったが、平成二期ではW以降、ウィザードまで4年連続で二人ライダー体制がとられてきた。
ライダー毎のフォームチェンジを増やす代わりに登場するライダーの数を減らす、という手法が「小物商法」と相性がよかったからであると考えられる。


平成二期では『仮面ライダーウィザード』まで4作連続で二人ライダー体制の作品が制作され、良くも悪くも二人ライダー体制は平成二期の特徴の一つとなった。

映画作品の変化

夏の劇場版

平成一期では、アギト以来年に一本、夏頃に劇場版が公開されていた。
本編が中盤辺りにある頃に公開されるため、本編では描けないようなパラレル世界で戦わせたり、最強フォームを先行登場させるなどの多くの工夫が凝らされた。


 
劇場版の伝統は続き、平成二期でも毎年8月に公開されているが、各シリーズが秋開始にずれ込んだことで、劇場版の公開時期がちょうど本編がクライマックスの時期と重なることになった。
その影響として、本編の裏で動く「もう一つのクライマックス」を描くという手法がとられるようになった
Wの劇場版『劇場版 仮面ライダーW FOREVER AtoZ 運命のガイアメモリ』でも、別の敵組織NEVERが登場し、その敵と戦う本編の延長線上の出来事として位置づけられている。


 このため、平成二期シリーズでは(『仮面ライダー電王』という前例はあるが) 本編中で劇場版との関連性を示唆する描写を盛り込むことも多い
Wの場合は、財団Xを本編中でも登場させたり、劇場版後の展開では風都タワーが破壊された、という描写を盛り込んでいる。


そして、秋スタートになったことのもう一つの影響としては、劇場版での次作仮面ライダーの先行登場がある。
「次の仮面ライダーの活躍が気になる!見たい!」という人が劇場に足を運ぶようになり、次の仮面ライダーに興味を持ってもらうためにも非常に効果的である。
これは『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』でWが先行登場して以来、一部の例外はあるが恒例化している。

『MOVIE大戦』シリーズ

所謂「冬映画」である『MOVIE大戦』が毎年冬に公開されるようになったのも平成二期の大きな特徴の一つである
前作の仮面ライダーは、最後の戦いを繰り広げる。
現行作品の仮面ライダーは、開始して間もない自作の世界観を広げる場となる。
そして、最終的に前作と現行作品の仮面ライダーが合流し、強大な敵と戦う。


『仮面ライダー×仮面ライダーW&ディケイド MOVIE大戦2010』のW編である『ビギンズナイト』では、Wの原点となったビギンズナイト (フィリップの救出劇) とおやっさんに関する話を展開した。

 
 
 一方で、『仮面ライダー×仮面ライダーオーズ&W feat.スカル MOVIE大戦CORE』のW編である『仮面ライダースカル メッセージforダブル』では鳴海探偵事務所のその後や、鳴海壮吉の過去を描いている。




夏の劇場版に「もう一つのクライマックス」を描く役割ができた中で、『MOVIE大戦』には本編では語れない部分 (番外編) や後日談を描く役割ができた


しかし、MOVIE大戦が毎年恒例となったことで、主人公勢の本編最終回での生存確定、そして主人公勢は基本的には仮面ライダーの力を最終回時点でも所持していなければならない、という制約ができてしまった。
そのため、フィリップの最終回時点での復活がどこか予定調和に思えてしまう人がいても致し方無い部分はあると思う (個人的には、後程記載するようにフィリップの復活には肯定的ではあるが)


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仮面ライダーWの三つのテーマ

『仮面ライダーW』の物語には大きく三つのテーマがあると考えている。 
「二人で一人の仮面ライダー」、「『仮面ライダー』とは」、そして「家族愛」の3つに絞り、一つずつ考察していきたいと思う。

二人で一人の仮面ライダー

第31話「風が呼ぶB/野獣追うべし」


「相棒もの」なら、過去にも仮面ライダー1号の本郷猛と2号の一文字隼人、クウガの五代雄介と一条薫という前例はあった。
しかし、その「相棒もの」設定にも「二人で一人の仮面ライダー」という一捻りをして、それをしっかりとデザインに落とし込んだという点では、平成仮面ライダーシリーズの「革新的で挑戦的な作品を作る」という意気込みを引き継ぐ意思が見えてくる
そして、Wにおける「相棒もの」が成功したからか、平成二期の作品では相棒関係の設定が増えてきた (オーズの映司とアンク、ドライブの進之介とベルトさん、エグゼイドの永夢とパラド)。
よく「平成二期から作風が明るくなった」と言われるが、その理由の一つとして、平成一期の割と無口でクールな戦い方とは対照的に、戦闘中での相棒的存在との掛け合いが増えたことにもあると思う。

翔太郎とフィリップの化学反応

左翔太郎は、鳴海荘吉に憧れてハードボイルド探偵を目指すものの、心優しさのあまり甘さを見せてしまうことが多々あり、フィリップたちに「ハーフボイルド(半熟)」とからかわれることもある。
彼は一人前の男である鳴海壮吉の背中を見てきて、壮吉が亡くなってからは鳴海探偵事務所を担う責任感があったということもあり、強い正義感で教えを守る、芯はしっかりとしている人間だ。
しかし、どうしてもうまくいかないことがあるため、背伸びをしているように感じられ、半人前だとか (『風が呼ぶB (31話、32話)』の依頼人の尾藤勇曰く)「薄っぺらい男」だとか揶揄される羽目に。


一方で、相棒のフィリップは、検索にのめり込むとその事物の全てを知り尽くすまで歯止めが効かなくなり、知り尽くした途端に無関心になる、まるで子供のようなマイペースな青年だ。
実際、幼少の頃に一度亡くなってデータ人間となって以来社会から隔離されていたことを考えると、精神面での成長が子供で止まっていることにも合点がいく。


そんな二人の化学反応は序盤の『2話 Wの検索 / 街を泣かせるもの』から早くも見えてくる。
探偵の仕事という面で見ると、左翔太郎の地道な捜査とフィリップの脳内の「地球の本棚」での検索の力がかけ合わさった捜査力は抜群だ。
そして二人の捜査の結果、事件の犯人が翔太郎の幼馴染である津村真里奈であると分かったとき。
フィリップは翔太郎が甘い考えを実行しようとしていることを見抜き忠告をするものの、翔太郎はそれでも真里奈を信じると言い張る。
そしてフィリップは翔太郎を「ハーフボイルド」と揶揄するが、そのことに怒り翔太郎はフィリップを殴ってしまう。
しかし、やはり翔太郎の優しさが裏目に出て、結局真里奈はガイアメモリの力に飲まれてしまう。
ドーパントに変身した真里奈に襲い掛かれ、ピンチに直面する翔太郎の前にフィリップがリボルギャリーでやってきて、手を差し伸べて二人は和解して変身する。


この二人の一連のやり取りが翔太郎とフィリップの関係性をうまいこと表していると思う。
翔太郎はおやっさんの流儀に憧れるものの、どうしても情に流されてしまいハーフボイルドになってしまいがちである。
一方で、フィリップは冷静に状況を判断し、最適な解決法を提示する
情に流されるだけでは返り討ちにあうかもしれないし、冷静な判断だけでは戦うためだけの存在になりかねない。
そんな二人だからこそ力を合わせるとバランスが取れ、「最高のパートナー」になる


そして、お互いが完璧でないからこそお互いの弱さを含めて受け入れあうべきことに二人が気づくのが『32話 風が呼ぶB / 今、輝きの中で』である。
Wに変身した際のフィリップ側が強くなりすぎて、完璧だったはずの左右のバランスが崩れ始め、変身解除へと追いやられる。
そして、フィリップの前にシュラウド登場し、エクストリームの力に目覚めようとしてるフィリップの真の相棒は翔太郎でないことを告げる。
その言葉を信じこみ、左翔太郎でなく照井竜が真のパートナーなのではと思い始める。
挙げ句の果てには、竜に「照井竜、僕と組まないか?」と聞いてしまう。
しかし、鳴海荘吉の手紙に書かれた「Nobody’s Perfect」という言葉を見つけ、翔太郎とフィリップは、かつて鳴海荘吉が言っていた「完璧な人間などいない。互いに支えあって生きていくのが人生というゲーム」という言葉を思い出す。

 
Wは戦闘マシーンであってはならないため、強さばかりを求めてはいけない。
互いに支えあってこそ二人で一人の仮面ライダーであり、翔太郎のハーフボイルドな一面もWにとっては必要であり、それが仮に弱点となるならそれをお互いに補えばいい。
そのことに気づいたこのシーンで、二人の結びつきは一層強くなったと思うし、だからこそこのタイミングでエクストリームに初めて変身する流れが余計にアツい。


第32話「風が呼ぶB/今、輝きの中で」

相棒ものならではの変身の仕組み

フィリップの意識をダブルドライバーを介して翔太郎側に転送し、二人が意識を共有して仮面ライダーとして戦う。
フィリップが毎回倒れる演出はどこかコミカルであったが、従来の仮面ライダーの変身にオリジナリティが加わり、毎週変身シーンが楽しかった。
変身したら片側が身動きできないハンディが生じてしまう、という設定ももう少し生かして欲しかったところではあるが… 仮面ライダーでは初めてのこの「変身」は非常に魅力的だった。
そして、ダブルドライバーを通して翔太郎とフィリップの意識がつながる演出も物語上生きてて、非常に巧妙だと思った (『4話 Mに手を出すな / ジョーカーで勝負』のミリオンコロッセオでの場面)。


また、翔太郎とフィリップのメモリが互いに強化し合う点も、Wの変身システムの魅力でもあるといえるだろう。
とあるインタビューでも、今作の脚本家である三条陸氏は以下のように述べている。

[…] 片側の能力が片側を強化する形にしたかったんですね。『W』ではサイクロンメモリが「風のような」、ヒートメモリが「炎のような」、ルナメモリが「変幻自在な」といった修飾語で、ジョーカーメモリが格闘者、メタルメモリが棒使い、トリガーメモリがガンマンといった名詞になってるんです。


ー スピリッツ No.44 『特別対談 三条 陸×塚田英明』

 

『Fの残光 (15話、16話)』で翔太郎側のダブルドライバーが使用不能になったり、
『風が呼ぶB (31話、32話)』で、形容詞側 (フィリップ側) が強くなりすぎて困惑したり、
「二人で一人の仮面ライダー」であることの意義を追求するシナリオが数々仕込まれていた。

 
「二人の力が無いと戦えない」「二人の力がお互いを高め合う」
という、一見ありがちな設定に思えるが、あのW字型のダブルドライバーにその設定が上手く組み込まれていたため、「相棒もの」と非常に親和性の高い仮面ライダーができたと考える。

 

「仮面ライダー」とは?

平成一期では人の命を奪う者にすら仮面ライダーの称号を与えられるようになり、良くも悪くも仮面ライダーの定義が揺らぎつつあった。
そんな中、今作で「仮面ライダー」の定義を真っ向から求め続け、"新たな10年"の始まりに合わせて今一度「仮面ライダーとは?」という疑問を投げかけてリセットすることに非常に意味があったと思う。
 

「拳銃」のユーザー

『仮面ライダー×仮面ライダーW&ディケイド MOVIE大戦2010』の仮面ライダーW編『ビギンズナイト』で、仮面ライダーWの誕生の秘密が語られた。
『仮面ライダーW』第1話の一年前。
鳴海壮吉(おやっさん)と翔太郎は、「運命の子」を救出してほしい、という依頼を成し遂げるためにミュージアム関連のあるビルに潜入する。
タブー・ドーパントが現れたため、壮吉は翔太郎に持参してきたケースを預け、その場を動くなと命令する。
マスカレード・ドーパントの軍団に囲まれた壮吉は仮面ライダースカルに変身して戦うが、目当ての少年を見つけた翔太郎は、壮吉に認められたいがために命令を無視して少年を追いかける。
翔太郎は少年と話し、少年がそのビルの中でガイアメモリを作らされていたことを知り、フィリップのことを「悪魔」と呼ぶ。
「拳銃を作ってる工場の人間は犯罪者か?」と問いかける少年に対して、翔太郎は戸惑う。

 
私はこの台詞が個人的にとても好きで、後に相棒となる少年フィリップが翔太郎に問いかけたことにとても意味があると考えている。
結局この問いかけに対してWが提示する答えは、フィリップの言う通り”no”であり、拳銃を使って悪事をする人間が悪である。
というのは、直前に壮吉がスカルメモリを使って悪と戦っている場面を見て分かる通り、ガイアメモリ(拳銃)のユーザー側がその力をどう使うかによって善にもなり得るし悪にもなり得る
仮面ライダーシリーズでは、ライダーが悪と同じ力を使用して戦うことが多い。
よって、フィリップのこの発言は「仮面ライダーとは何なのか?」を非常にダイレクトに問いかける台詞であり、この言葉の意味を考えると非常に重みがある。

罪を数える

前項の続き。
拳銃を製造する工場が犯罪者ではなく、拳銃で悪事をする人間が悪であると主張するフィリップ。
しかし、このとき少年の答えに納得できなかった翔太郎は、フィリップを転送装置(?)の中へと突き飛ばしてしまい、少年を危険にさらしてしまう。
壮吉と翔太郎は共にフィリップを救出しに行くが、壮吉は敵に撃たれて亡くなってしまう。
翔太郎は、息を引き取る前に壮吉に帽子を渡され、帽子が似合うような一人前の男になるように言われる。
このとき、フィリップは翔太郎が壮吉に託されたケースを開き、メモリとドライバーを取り出し、二人は初めて仮面ライダーWに変身する。


後にフィリップによって語られるが、フィリップが救出された際に鳴海壮吉は地球の本棚に入り、自分の決断で牢獄から脱出するように諭す。
そして、社会から隔離され、名前すらを持たなかった少年を、自分の決断で全てを解決する『長いお別れ』の主人公であるフィリップ・マーロウのようになってほしいという想いを込めて「フィリップ」と名付ける。
アイデンティティを与えられ、自身の決断で社会に参入したときに初めてフィリップは自身の罪を数えることになる。


翔太郎の罪は、勝手な決断をしたせいでおやっさんが亡くなってしまったこと
フィリップの罪は、それまで何も決断をしてこなかったこと

 
フィリップは、自身の最初の決断として翔太郎と「相乗り」することを決め、Wに変身する。
そして翔太郎は、鳴海壮吉から受け継いだ教えを守り抜くためにガイアメモリを手にして、「悪魔と相乗りをする」決意をした。


仮面ライダーWは鳴海壮吉から受け継いだ想いの化身であり、二人は自分自身の罪を数えるために、過去を背負い戦っている。
過去を背負い戦い続けないといけない、というある意味では悲劇的な姿を描くためにも、鳴海壮吉の存在はWの仮面ライダー像にとっても非常に重要な部分である。
その分、仮面ライダーの戦いに一層重みができる。

街の人々につけてもらった呼称

「仮面ライダー」という呼称は、風都の住民が都市伝説的存在のWにつけた名前である。
悪と戦い、風都を守る正義のヒーロー。
翔太郎とフィリップは、警察組織にまでも最後まで正体を明かすことなく、仮面ライダーとして風都を守り続けてきた。
その呼称に誇りを持ち、その名前を遊び半分で汚す者は許さない。
翔太郎とフィリップにとって、「仮面ライダー」という呼び方は街を守る自分たちの信念が風都の人々に認められていることの証であり、二人にとっての誇りである

仮面ライダーアクセル

そして『Iが止まらない(19話、20話)』で二人目のライダー、アクセルが登場。

第20話「Iが止まらない/仮面ライダーの流儀」

風都署の超常犯罪捜査科に所属する刑事でありアクセルに変身する照井竜は、翔太郎のライバル的存在として登場した。
「風都を愛する」「ハーフボイルドな」翔太郎に対して、竜は「風都が嫌いな」「ハードボイルドな」人物として描かれる。


しかし竜は、家族の敵に復讐するためにシュラウドからアクセルドライバーを受け取り、仮面ライダーになった。
更に、人間態に戻ったガイアメモリ犯罪者にも平気で襲い掛かる。


竜は同じく仮面を被ってドーパントと戦う戦士ではあるものの、翔太郎が思う「仮面ライダー」の定義からズレていることが分かる。
竜の登場により、翔太郎には「罪を憎んでも人を憎まず」というポリシーがあることが見えてくる
(本当は法の下で犯罪者を裁くべき警察側である照井が私的に制裁を加えようとしていることも皮肉ではあるが。)


街の平和を守るために戦うWに対し、家族の敵への「憎しみ」を原動力に戦うアクセル
照井は、翔太郎のハーフボイルドな優しさに触れ、フィリップや鳴海探偵事務所の依頼人たちと関わり、影響され、次第に考えを改めるようになる。


そして照井の仮面ライダーとしての成長が明確に見えてくるのが、『Rの彼方に(34話、35話)』と言えるだろう。
それまでも翔太郎たちとの関わりで少しずつ変わっていたが、依頼者の島本凪を通して大きく変わる。
凪をウェザー・ドーパントの脅威から守りたい、だけど力が足りない。
そこで、「他人を守りたい」から強くなりたい、という願望が竜の中に芽生える。
憎しみを増幅することでしか強化フォームのアクセルトライアルに変身できない、とシュラウドに言われ、竜は必死に特訓をする。
しかし、最終的に竜は、憎しみではなく、誰かを守りたいという心でアクセルトライアルへの変身に成功し、凪を守り、仇のウェザー・ドーパントもメモリブレイクで倒す。


そして竜の成長の終着点の一つとも言えるのが、『Oの連鎖(43話、44話)』である。
シュラウドが敵のウェザー・ドーパントを生み出し、間接的にではあるが照井の家族の命が奪われたことに関係していた、ということを知り、シュラウドを襲おうとする。
しかし、娘に対する愛のあまり、老けさせ屋に依頼をしたり、その仕返しをしてしまったりした二人の母親の姿を見る。
その影響で、シュラウドも息子のフィリップ(来人)への愛が故に竜を利用して園崎琉兵衛への復讐を成し遂げようとしていたことに気づき、シュラウドを許す。
憎しみではなく、他人を守りたいという思いで悪は倒せることを竜が改めて認識し、オールド・ドーパントを倒すことによってそれを今度はシュラウドに証明する。
登場時から「俺はいずれ仮面ライダーになる男だ」と宣言していた照井竜が、本当に仮面ライダーになった瞬間だと感じる。


二号ライダーのアクセル投入は、仮面ライダーの定義を再確認するためにとても意味があった。
すでに「完成された仮面ライダー像」を意識して動く翔太郎では描くことのできない、「復讐心にとらわれた男から仮面ライダーへの成長」を照井竜という人物を通して描いていたため、彼は物語上非常に重要な役割を果たした。


風都が嫌いと言っていたあの竜が、「風都を危機にさらす者はこの俺が許さん!」とまで言えるようになった最終回の竜の成長を見て感動しない人はいないだろう。

「仮面ライダー」エターナル

 
ドーパントについて前述した時に、今作では「正義vs悪」の対立構造が「仮面ライダーvsドーパント」という構造を維持し続けたと説明した。
しかし、『劇場版 仮面ライダーW FOREVER AtoZ 運命のガイアメモリ』に登場した仮面ライダーエターナル (「仮面ライダー」は克己が自称しているだけではあるが) の変身者である大道克己は人類をNEVER (死人を蘇生して強化した生物兵器) に変えようとする、風都史上最悪の犯罪者と呼ばれるほどの悪党だ。
そんな正真正銘の「悪」が真っ白でマントを羽織る姿がいかにも正義の見方のような容姿なのがまた皮肉なことである。


劇場版では旧世代ガイアメモリの動作がエターナルによって停止され、Wとアクセルは変身不能になる。
エターナルが唯一の「仮面ライダー」となったそんな中、翔太郎たちが「仮面ライダーの呼称を取り戻す」というのが劇場版の一つの大きなテーマになっている




それまでWとアクセルがドーパントと戦い続けて「仮面ライダー」として認められたからこそ、劇場版の敵を「仮面ライダー」と位置づけ、それに立ち向かうWが風都の人々に応援されて戦い、Wたちが晴れて仮面ライダーの呼称を取り戻す展開にカタルシスを感じるだろう。

家族愛

今作の三つ目のテーマである「家族愛」に関しては、フィリップ視点で考えていきたいと思う。


フィリップは家族に関する記憶が全て消されたため、血縁に基づいた家族愛 (ストルゲー、storge) を知らない。
家族について初めて考えてしまった『3話 Mに手を出すな / 天国への行き方』では、自身が最小単位の社会である「家族」を持たないことに気づいてしまう。


Wではそんな家族愛を描写するエピソードが各依頼の中に多々あったことが印象的である。
『Mに手を出すな (3話、4話)』で、(当初は)家族のためにミリオンコロッセオに通う娘と、その娘を心配する両親。
『少女A… (5話、6話)』で、娘のために嘘をつく親。
『Iが止まらない (19話、20話)』で、息子の悪事を知りながらも庇う母。
『Pの遊戯 (25話、26話)』で、自身の娘への愛を否定する者を排除する作家。
『Dが見ていた (26話、27話)』で、祖父の最後のマジックステージを成功させるために尽力する娘。
『Yの悲劇 (33話、34話)』で、ミュージアムに命を奪われた兄霧彦のために復讐を試みる妹。
今振り返ってみれば、負の側面も含め家族愛の描写が非常に多いことに気づく。
これらの依頼を通じて、フィリップは血縁関係にある者たちに理屈でなくある「家族愛」のことを少しずつ知る


そして、『38話 来訪者X / ミュージアムの名のもとに』では、フィリップの本名が「園崎来人」であり琉兵衛の実の息子であることを知る。
検索で知り尽くしたらすぐにその事物への興味がなくなってしまうフィリップが、唯一理屈抜きで熱中できた人物が園崎若菜である理由、そして若菜といるときに心が安らぐ理由が、「家族愛」のためであることに気づく。




若菜とすんなり駆け落ちする決意ができたのは、やはりそこで家族愛が芽生えたからだろう。


『46話 Kが求めたもの / 最後の晩餐』で、フィリップをガイアゲートの中へと落そうとする琉兵衛に対して「あなたを救いたい」と放つ。
また、『残されたU (47話、48話)』で、フィリップは翔太郎に、若菜を見つけて助けることを自身の「最初で最後の依頼」として依頼する。
そんなフィリップは、血縁関係で結ばれた「家族」という運命共同体を愛していたからこそ、琉兵衛や若菜を理屈抜きで救おうと思えたのではないだろうか。


しかし、園崎家自体はどうだろう。
父の琉兵衛は、来人が子供の頃にガイアゲートへ落ちて以来狂い、来人のことを道具のように扱い、本編終盤でもフィリップを生贄にしようとする。
冴子は、父に愛されていないと思い、若菜を憎み、父を倒しミュージアムを引き継ごうと目論む。
若菜は、最初はフィリップに自身の弟の姿を重ねていたものの、後に自身の使命に気づきフィリップを生贄にすることを選ぶ。
母のシュラウドは、来人を失ったことへの恨みで、琉兵衛への復讐を企む。
まさに、悪魔のガイアメモリのせいで狂ってしまい滅茶苦茶になってしまった家族だ。


しかし、ガイアインパクトが間近になったときに家族を再結集させたり、家族が幸せだった頃の象徴である「イービル・テイル」を探したりした琉兵衛は、家族を愛していたころの自分を取り戻したかったのではないのか。
だからこそ、Wに敗北した際に燃える屋敷の中へと戻り、過去を思い出しながら踊っていたのだろう。
琉兵衛が「悪」であったことには間違いないし彼は最後の最後まで自身の計画が正しいとは思っていたが、家族を犠牲にしてしまったことだけは後悔していたのではないかと思う。


冴子は、燃え上がる園崎家の屋敷を見て膝から崩れ落ちたり、フィリップを守ったりして、最終的に若菜を庇って亡くなる。
そして若菜は、自身の肉体をフィリップに授ける。

 
最終話「Eにさよなら/この街に正義の花束を」

フィリップ(来人)がWとして学んだ「家族愛」を園崎家に向けることによって、呪われた家族も「家族愛」を取り戻す物語だったのではないか。
その「家族愛」によって最終的にフィリップが復活したことにも非常に意味があると思うため、フィリップ生存エンドには個人的にはとても納得している。


DVや虐待が社会問題となってきたこの時代に向けて、「家族なんだから理屈なく愛しよう」というメッセージがこの作品に込められているのかもしれない。
(この辺はあくまでも憶測にすぎないが。)
このような、時代を反映させた作品は平成一期にも多くあったが (正義の揺らぎを表現した『仮面ライダー龍騎』、記憶の風化を表現した『仮面ライダー電王』など)、平成二期でも時代を反映させたメッセージ性のある作品を作る意思が見えてきたと思う。


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結論

『仮面ライダーW』という作品は結局なぜ平成二期1作目でないといけなかったのか。
一言でいうと、この作品は"次の10年 "の作品の指針だったからだと考えている。


平成一期で定着していた

  • 「目新しさ」と「斬新さ」を求めて挑戦する
  • 時代に合わせたメッセージ性のある作品を提供する

というような基本的な姿勢をしっかり受け継いだ。

 
一方で『仮面ライダーW』以降の平成二期シリーズからは

  • 主人公の「相棒」的存在の配置
  • より子供が楽しめるようなコメディリリーフ
  • 敵側で、人間の中の「悪」を描くスタンス
  • 「小物商法」を取り入れ、二人ライダー体制を確立
  • 二話完結型の構成
  • 年に二本へと増えた映画の新たな挑戦
  • 各作品間の壁を取っ払い、引継ぎやコラボを行う

というような要素が定着するようになった。
(もちろん、映画が年に三本へと増えたり二話完結型がなくなりつつあったり、いろいろとそこからの変化はあるが、その辺りは別の機会に考察したい。)


記事を一通り読めばわかる通り、これらの要素の多く(赤字のもの) は平成一期の作品で一度は試されていたことである。
平成一期という不安定な時期に試行錯誤を繰り返して得たノウハウを『仮面ライダーW』でかき集めて一つの作品に凝縮し、"次の10年"に向けた指針を示した。


そして、「仮面ライダーとは何か?」を作品のテーマの一つにすることによって、もう一度我々視聴者にも立ち止まって考えさせてくれた。


平成一期と平成二期の間には移行期間が全くなく、前作『仮面ライダーディケイド』が終わった翌週から『仮面ライダーW』放映開始、という形で「平成二期」が開始した。
よって昭和ライダーと平成ライダーの違いほどの大きな違いは見られないが、『仮面ライダーW』以前と『仮面ライダーW』以降の作品の作り方は間違いなく変わっている。
 

もちろん『仮面ライダーW』は完璧な作品ではないが、Wという作品が指針となったからこそ、平成二期が安定しつつ新たな挑戦ができるような体制が確立されたのだと思う。
平成二期や平成自体が終わりに近づいている今、今一度平成仮面ライダーシリーズの転換点である『仮面ライダーW』を観てみてはいかがでしょうか?




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