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仮面ライダー・映画・音楽に関する感想と考察。

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感想『オーズ 10th 復活のコアメダル』はなぜ美しい結末になり得なかったのか

2022年3月12日に『仮面ライダーオーズ』の10周年を記念した完全新作映画『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』が公開された。
この作品で、火野映司役の渡部秀さんやアンク役の三浦涼介さんをはじめ、テレビ本編に出演していたオリジナルキャストが集結したことで話題を集めた。


『スーパー戦隊シリーズ』であれば、テレビ本編終了後に『10 YEARS AFTER』シリーズが制作されることが多い。
ただ、『仮面ライダーシリーズ』の場合は、『仮面ライダージオウ スピンオフ RIDER TIME 仮面ライダー龍騎』などの例外はあるものの、完全新作が制作されることは珍しい。
10年後の今となって『仮面ライダーオーズ』の完全新作が実現したことは、まさに『仮面ライダーオーズ』という作品の人気のあらわれだと考える。
『仮面ライダーオーズ』は『仮面ライダーシリーズ』の中でもかなりファンが多い作品で、NHKによる「全仮面ライダー大投票」でも歴代シリーズの中で3位になったほどだ。

そのため、今作を待ち焦がれたファンはかなり多かったはずだ。
私は公開2日目に今作を映画館で鑑賞したが、私が行った劇場は満員でびっくりした。


しかし、今作は、そんな熱烈な『仮面ライダーオーズ』のファンたちを真っ二つに分断してしまう作品となった。
というのも、今作の結末がかなりの物議を醸し出すことになったからだ。


そんな今作が『仮面ライダーオーズ』の完全新作として何を成し遂げようとしたかに迫りながら、今作の感想を述べていきたい。


仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル [Blu-ray]


この記事には、映画『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』や『仮面ライダーオーズ』、その他関連作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。


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いつかの“明日”に手が届く!

「続編」と「完結編」とではニュアンスが違うことを、まずは念頭に置いておきたい。


「続編」であれば、単純に『仮面ライダーオーズ』の最終話の後の物語を描く必要がある。
そして、『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX』や『仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL ビルド&エグゼイドwithレジェンドライダー』などの続編がこの10年の間に既に作られていた。

また、最終話後を描いたわけではないが、『仮面ライダージオウ』の『EP09 ゲンムマスター2016』と『EP10 タカとトラとバッタ2010』も広義に捉えると「続編」にあたる作品だろう。


一方で、「完結編」であれば、『仮面ライダーオーズ』の物語を終わらせる物語を描く必要がある。
「本気のオーズ完結編!」と銘打たれていたことからも、今作はそのように『仮面ライダーオーズ』の物語を終わらせることに重きを置いた作品であることが分かる。


そもそも、『仮面ライダーオーズ』の物語は、『最終話 明日のメダルとパンツと掴む腕』の時点でかなり綺麗に完結していたと感じる。
ヤミーを生み出してきたウヴァ・カザリ・メズール・ガメルは全員消滅した。
ラスボスである恐竜グリードは映司とアンクによって打ち破られた。
割れたタカコアメダル以外の残りのコアメダルはブラックホールに飲み込まれたり破壊されたりした。
アンクは欲しがっていた「命」を手に入れたことに喜びながら、割れたタカコアメダルを映司と比奈の手に残して姿を消した。
映司は「どんな場所、どんな人にも届く手、そして力」を欲していたことに気づき、それを手に入れる方法を知ることができた。
また、映司はアンクの消滅による喪失を抱えながらも、いつかアンクと再会することを信じて旅に出た。


しかし、『仮面ライダーディケイド』以降の『仮面ライダーシリーズ』作品は、最終話が完全な物語の終着点ではなく、最終話の先の物語として冬の劇場版がある。
よって、物語がどれだけ綺麗に最終話で完結したとしても、その劇場版では最終話の続きの物語を描かざるを得ない。
『仮面ライダーオーズ』の場合は、冬の劇場版である『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX』にて、アンクが「いつかの明日」に復活を遂げることが明確に描かれてしまった。
そして、『仮面ライダーオーズ』の物語の延長線上に「いつかの明日」という未来があることが判明したことにより、『仮面ライダーオーズ』は続きがある未完の物語であることがより強調された。


今作がただの「続編」ではなく「完結編」であったことからも、一度最終話にて綺麗に完結した『仮面ライダーオーズ』の物語を今度こそはしっかりと完結されるという強い意思を感じた
そして、「完結編」であるからこそ、今作では『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX』の先の未来である「いつかの明日」を描く他なかった。

復活の“代償”

アンクは、テレビ本編にて、世界を確かに味わうことができる「命」を欲していたことが描かれた。
そして、自身が「ただのメダルの塊」であるのにもかかわらず映司たちと過ごしている間に死ぬところまできたことに気づき、アンクは最終話にて消滅した。
このようにアンクが「命」を手に入れていたことを鑑みると、コアメダルを破壊されたことでアンクは最終話で「命」を落としたと解釈することができる。


今作の脚本を執筆した毛利亘宏氏はインタビューによると、そんなアンクを復活させたいという映司の欲望を叶えるには“代償”が必要だと考えていたと明言している。

じゃあ、いったいどうすれば映司の望み通り、アンクが復活できるのか。それには大きな代償が必要なはずで、アンクが復活するという条件を満たせるような代償なんて、ひとつしかないんです。そうやって導かれたのが、今回の結末ですね。

— 『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』パンフレット


『仮面ライダーオーズ』の物語は、最終的には欲望を肯定した作品である。
たとえば、鴻上が、欲望のことを「純粋で素晴らしいエネルギー」と考えており、「生きるとは欲することであり、欲望はその原動力ともなる」とも語っていた。
また、『最終話 明日のメダルとパンツと掴む腕』にて、石知世子が比奈に対して「もっと欲張っていいじゃん」と説くシーンもあった。
アンクを復活させたいという映司の欲望は、その「もっと欲張っていいじゃん」という考えにたしかに即している。


しかし、少女を救えなかったという過去からも、「命」は一度落としたら取り戻すことができない不可逆的なものであることを、映司はしっかりと知っているはずだ。
だからこそ、映司にとってその過去はあれほどのトラウマになったのだろう。
アンクを復活させたいという欲望はそんな「命」の不可逆性に逆らうものでもあるため、『仮面ライダーオーズ』の物語の根幹を揺るがすものでもある


人間の「命」とグリードの「命」はそれが成り立つロジックは異なるものではあるが、人間もグリードも同じ「命」であることが最終話で結論づけられた。
よって、アンクを復活させたいという映司の欲望は、「もっと欲張っていいじゃん」のメンタリティにたしかに即してはいるが、同時に、アンクの「命」だけ可逆的なものとして特別扱いをすることになるため、これまでの物語との矛盾を抱えることとなった。


もし今作ですんなりと復活させてしまうと、『仮面ライダーオーズ』が大切にしてきた「命」の不可逆性を軽視してしまうことにもなる。
そう考えると、アンクを復活させたいという映司の欲望を叶えるために“代償”を付与することは、これまでの物語との一貫性を保つためにもある意味必然であったと考える


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一人で背負い込む映司

今作では、映司が瀕死の状態になったことがきっかけで、アンクは復活することができたことが描かれた。
そして、映司がそのような状態になったのは、映司が古代オーズの攻撃から少女を救ったことが影響だ。


この展開については、脚本家の毛利氏はインタビューにて以下のように述べている。

毛利 […] ひとりの少女を救うことができなかったという無念の思いから逃げるということをせず、その事実と向き合って生きていた。そんな人物が、自分のいちばんの願いを叶えたところで死んでいく。悲しい結末ですが、火野映司の物語は、こうならざるを得なかったのかなと、どこかで思っています。

— 『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』パンフレット

この毛利氏の言葉からも、この展開は、内戦に巻き込まれた少女を救うことができなかったという映司の過去を模したものであることが分かる。


テレビ本編にて、この過去がきっかけで映司は「どんな場所、どんな人にも届く手、そして力」という欲望を諦めて蓋をしていたことが明らかになった。
だからこそ、自分ができること以上のことはできないと割り切るようなところもあった。
そんな映司は、アンクと出会ってオーズになったことでその欲望は既に叶っていたことに気づき、その力で世界を終末の危機から救うことができた。
また、最終話にて、真木との戦いが終わり変身を解除された映司が空から落ちてきて、後藤や比奈、知世子、伊達に手を差し伸べられたときに、映司は周りの人たちと手を繋ぐことででも「どんな場所、どんな人にも届く手、そして力」が手に入ることに気づいた。
つまり、テレビ本編にて映司は、少女を救うことができなかった過去のせいで蓋をしていた欲望を取り戻し、その欲望の叶え方にも気づくことができた。


たしかに、映司の中では、少女を救えなかった過去に対する後悔はテレビ本編終了後にも残っていたことは容易に想像できる。
だからこそ、その過去と同じ状況に遭遇したときに、映司であれば身を挺して少女を守ろうとするに違いないし、救うことができたら心の底から満足するであろうことが想像できる。
よって、今作で映司が少女を救った展開にはこれまで描かれてきた映司の人物像とは何ら矛盾はない。


しかし、今作がテレビ本編の後日談であることを鑑みると、この展開には物語上の矛盾があると考える。
というのも、この展開は、周りの人たちと手を繋ぐことででも「どんな場所、どんな人にも届く手、そして力」が手に入る、といったテレビ本編における気づきに反くものであるからだ。
最終話で映司が後藤に「もう何でも一人で背負い込むのはやめろ」と言われたのにもかかわらず、今作では映司は古代オーズに対して一人で戦っていたし、一人で少女を身を挺して救った。


たとえば、『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム』や『仮面ライダー平成ジェネレーションズ FINAL ビルド&エグゼイドwithレジェンドライダー』に映司が登場した際は、その作品の主役として代表して映画に登場するというメタ的な理由があったため、他の登場人物と一緒に戦っていないことには視聴者も目を瞑ることはできた。
しかし、今作には、伊達や後藤など、テレビ本編に登場したほぼ全ての主要人物が登場しているのにもかかわらず、映司一人に全てを背負い込ませた。
よって、この展開は最終話において描かれたこととは明らかに矛盾していて、結果的に『仮面ライダーオーズ』という作品がこれまで描いてきた物語との一貫性が損なわれたと考える。

結論

今作が「完結編」として制作されたからこそ、アンクが復活する「いつかの明日」をもって『仮面ライダーオーズ』の物語を終わらせる必要があった。
そんなアンクの復活は、『仮面ライダーオーズ』が描いてきた「命」の不可逆性に逆らう行為であるため、映司が“代償”を払わないといけなかったことは合理的だ。
そして、今作では、その”代償”として映司に自身の「命」を犠牲にさせた。
しかし、この結末は、周りの人たちと手を繋ぐことで「どんな場所、どんな人にも届く手、そして力」が手に入る、といった『仮面ライダーオーズ』が最終話で導き出した結論に反くことにもなった。
その結果、『仮面ライダーオーズ』の物語との一貫性を保とうとした今作が、皮肉なことにその物語との矛盾を生み出してしまった。


ただ、アンクの復活という禁断の欲望に釣り合うほどの“代償”は、映司に自身の「命」を犠牲にさせることくらいしか考えられない
そう考えると、「いつかの明日」を描くうえでは、この矛盾が発生することがある意味必然であったと感じる
毛利氏ではなく、たとえテレビ本編のメインライターを務めた小林靖子氏が今作の脚本を担当していたとしても、この矛盾は避けられなかっただろう。
だからこそ、「いつかの明日」は決して美しい結末にはなり得なかった。


最終話にて美しく完結した『仮面ライダーオーズ』という作品にとっては、「いつかの明日」は永遠に描かれない方がきっと美しかっただろう。
だが、10年の時を経て成長した『仮面ライダーオーズ』の主要キャストが再び集まる姿を見ることができた点では、私は今作が存在してくれてよかったと心から感じた。
今後も『仮面ライダーシリーズ』において色々な過去作の完全新作が生まれてくれることに期待したい。

『仮面ライダーシリーズ』ロケ地巡りの旅 in 板橋区

先日、私は大泉学園や光ヶ丘周辺のロケ地を探索した。
そのロケ地巡りで、『仮面ライダーシリーズ』で見慣れた定番のロケ地を数多く見つけて非常にテンションが上がった。
よって、今回も、私はそのような定番のロケ地が数多く存在する地域を巡ってきた。


今回は、2021年9月に東京都板橋区を訪れた。


感染リスクを考慮したうえで基本的には屋外にあるロケ地を中心に巡ったうえ、移動の際などにもしっかりと感染対策はしていた。
皆さんも、もしロケ地巡りをするのであれば、その辺りも留意していただきたい。


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まずは、東武東上線の東武練馬駅で下車。

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北町アーケードショッピングセンター

まずは、東武練馬駅の南側にある北町アーケードショッピングセンターへ。

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こちらの商店街は、『仮面ライダージオウ』の『EP01 キングダム 2068』で、常磐ソウゴが明光院ゲイツにタイムマジーンで追いかけられた場所だ。

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閑静な住宅街の中にあるかなりレトロな商店街のため、一歩踏み入れるとまるでタイムスリップをした気分が味わえる。
時間帯のせいなのか分からないが、私が行った時は残念ながらシャッター街だった。

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そして、この商店街の屋根にはたくさんの窓がある。

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作中では、この窓からゲイツのタイムマジーンが突入してソウゴに襲いかかってきた。

板橋区立徳丸高山公園

次に、北へと上り坂を登って歩くと、板橋区立徳丸高山公園にたどり着いた。

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こちらの公園は、『仮面ライダーオーズ』の『40話 支配と誕生会と消えるアンク』で、映司とアンクが過ごした場所だ。


作中では、この木の隣で映司と後藤が話していた。

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高台にあるため、板橋区を見渡すことができ、見晴らしが非常に良い。

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徳丸六丁目の坂

徳丸高山公園を出て西へ進むと、非常に急な坂にたどり着いた。

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こちらの坂は、『仮面ライダー電王』の『41話 キャンディ・スキャンダル』で、野上愛理がひったくりに遭い、桜井優斗に助けられた坂だ。
ひったくりと優斗が周りの人々を巻き込んでしまいみんなで坂を転がり落ちるそのコミカルなシーンを覚えている方は多いのではないだろうか。
これほど急な坂だからこそ、余計に面白くなったシーンだ。

西台不動尊

東へ進むと、西台不動尊というお不動さんに繋がる細い道にたどり着いた。
住宅街にある非常に細い道なので、初見では場所がなかなか分かりづらいかもしれない。

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参道の階段を登ると、崖の上にある西台不動尊の不動堂が見えてくる。

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こちらのお不動さんは、『仮面ライダージオウ』の『EP02 ベストマッチ2017』で、ソウゴがウォズに話しかけられた場所だ。


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作中では、ゲイツから逃げるソウゴが階段を降り、右側の茂みからウォズが突然現れてソウゴに自己紹介をしていた。


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蓮根歩道橋

更に北へと進むと、首都高速道路5号線付近にある蓮根歩道橋という歩道橋にたどり着いた。

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こちらの歩道橋は、三方向に伸び、かつ真ん中に穴があり、非常に珍しい形をしている。

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この歩道橋は、『仮面ライダージオウ』の『EP19 ザ・クイズショック2040』で、ゲイツとツクヨミが、白ウォズに仮面ライダークイズを倒すように言われた場所である
また、『仮面ライダーゼロワン』の『29話 オレたち夢は壊れない』で、ZAIAエンタープライズによる飛電インテリジェンスの株式公開買付が成立したことにより飛電インテリジェンスの社長を辞める決意をした飛電或人が、会社に残る福添准たちに頭を下げた場所でもある


前述した『仮面ライダーゼロワン』のシーンは特に重要なシーンで、かつ、この歩道橋が非常に象徴的な使われ方をしたので、覚えている方は多いのではないだろうか。

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ちなみに、作中では、奥に見える首都高速道路の後ろに、飛電インテリジェンスの本社ビルが合成で挿入されていた。


その独特な形はもちろんのことだが、歩道橋の上に休憩用のベンチがあったりして、非常に珍しい作りの歩道橋だ。

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1977年に土木学会田中賞という賞を受賞しているらしく、一見の価値がある場所だと思う。

舟渡大橋・板橋区立舟渡水辺公園

都営三田線の西台駅方面に歩くと、新河岸川にかかる舟渡大橋という橋にたどり着いた。
こちらの橋はアーチ型の二重構造で、上は車両、下は歩行者専用の橋になっている。

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この橋の歩行者専用の部分は、『仮面ライダーシリーズ』ではかなり馴染みのあるロケ地だ。

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この橋は、『仮面ライダー電王』の『5話 僕に釣られてみる?』にて、カニイマジンを追いかけながら、良太郎がハナに身体の重さを訴えた橋だ
また、『仮面ライダージオウ』の『EP20 ファイナルアンサー?2040』にて、アナザークイズを追いかけるソウゴと堂安主水が、それを阻止しようとするゲイツと戦った橋だ
また、最近だと、『仮面ライダーリバイス』の『4話 足りない愛情!アブナイ悪魔誕生!』にて、五十嵐一輝が弟の五十嵐大二と喧嘩をしたシーンでも使われていた


仮面ライダーファンであれば誰もが見覚えのあるはずの場所なので、上記の作品のファンでなくても絶対に行く価値はある。




そして、舟渡大橋を北に渡ったところの高架下にも是非立ち寄ってほしい。

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この高架下は、『仮面ライダージオウ』の『EP06 555・913・2003』にて、草加雅人がアナザーフォーゼに首を折られかけた場所だ
また、同じく『仮面ライダージオウ』の『EP33 2005: いわえ!ひびけ!とどろけ!』にて、ジオウやゲイツ、響鬼が、アナザー響鬼と戦った場所でもある




更に、舟渡大橋の北側には、板橋区立舟渡水辺公園という公園が広がっている。

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こちらの公園は、『仮面ライダー電王』の『5話 僕に釣られてみる?』にて、電王がクラストイマジンと戦った場所だ
また、『仮面ライダーゼロワン』の『3話 ソノ男、寿司職人』にて、ゼロワンとバルカンがネオヒマギアと戦った場所でもある




船渡大橋周辺に行くだけでも、仮面ライダーファンなら誰もが既視感を覚えて興奮するだろう。
私も、これまでここで撮影されたさまざまなシーンが脳裏に浮かび、かなりテンションが上がった。
また、最近だと『機械戦隊ゼンカイジャー』でも舟渡大橋周辺のロケ地が頻繁に伝われているので、ゼンカイジャーのファンも巡ってみる価値はある。


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最後に

今回は板橋区を巡ってみたが、東映の撮影所がある大泉学園からは比較的近いからか、色々と見覚えのあるロケ地があった印象だ。
なので、『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』のファンであればきっと行く価値はある。


ただ、ロケ地同士がかなり遠かったり、山が多かったりしたので、歩きやすい格好で行った方がいいだろう。
また、特に前半のロケ地なんかは住宅地にひっそりとあるところなので、ロケ地巡りをする際はいつも以上に近隣住民に配慮をして行っていただきたい。


コロナ禍になかなか終わりが見えないが、また落ち着いたらロケ地巡りをしてみたいものだ。

感想『スーパーヒーロー戦記』はなぜ二つの”物語“を交わらせる必要があったのか

2021年7月22日に、田崎竜太監督による映画『セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記』が公開された。


今作は、『仮面ライダーセイバー』と『機界戦隊ゼンカイジャー』の夏の劇場版として製作された。
夏の劇場版の場合、いつもは現行の『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』のそれぞれの単体映画が二本立てで上映される。
しかし、今回は、仮面ライダーセイバーと機界戦隊ゼンカイジャーのクロスオーバー作品として製作された。
今作がクロスオーバー作品になった理由について、2020年の夏に公開予定だった『仮面ライダーゼロワン』の劇場版がCOVID-19の影響で同年の冬に公開延期になったことが影響している旨を、今作のプロデューサーである白倉信一郎氏は以下のインタビューで述べている。

篠宮 作品を締めてくれてるんですね。では、『セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記』のお話もうかがわせていただきたいと思います。
試写で拝見しましたが、かなり白倉さん節が効いていて、むちゃくちゃ面白かったです! 例年、夏映画はスーパー戦隊・仮面ライダーそれぞれの単体作品でしたが、今回合作となったのはどういった経緯でしょうか?

白倉 最初は、昨年やるはずだった『仮面ライダーゼロワン』の夏の劇場版がコロナ禍でできなかったことからの玉突き事故ですね。ただ、もう一つ、“仮面ライダー50周年”が4月からスタートして、2023年に公開される『シン・仮面ライダー』まで50周年と言い続けるっていう、この長い長いストロークのトップバッターが必要だということがありました。

「スーパーヒーロー戦記」白倉プロデューサーに篠宮暁が直撃!「一人ひとりに1年間主役を務められてきた重みがある」 | cinemas PLUS

このようなことからも、今作は最初は意図せぬ形でクロスオーバー作品になったことが分かる。
ただ、実際に完成した今作を観ると、クロスオーバー作品になった意義は非常に大きかったように思えた。
よって、この記事では、『仮面ライダーセイバー』と『機界戦隊ゼンカイジャー』という二つの“物語”が今作で交わったことの必然性を、今作の感想を述べながら考えていきたい。


セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記


この記事には、映画『セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記』や『仮面ライダーセイバー』、『機界戦隊ゼンカイジャー』、その他関連作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。


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始まりの二つの”物語“

仮面ライダーとスーパー戦隊のクロスオーバー作品は、2012年公開の『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』にはじめ、春の劇場版で『スーパーヒーロー大戦シリーズ』という形でこれまでも多数制作されてきた。
ただ、今作の大きな特徴としては、『仮面ライダーシリーズ』の50周年と、『スーパー戦隊シリーズ』の45周年が重なった「Wアニバーサリー」を記念して制作されたことがある。

「東映って、目を離すとすぐにヒーロー大集合映画を作っている、という風に思われがちなんですけど、実は言うほどやってないんですよね」と笑う。「今年は特に『仮面ライダー』50周年、『スーパー戦隊』45作品記念という特別な年。大きな節目だからこそ、やらなきゃいけないんじゃないかと思いました。ダブルアニバーサリー映画としてはこれが最初で最後の機会かなと、ある種の使命感を持って、作らせていただくことにしました

仮面ライダー×スーパー戦隊「これが最後」という使命感 白倉プロデューサーが語る未来図|シネマトゥデイ


記念作品の映画といえば、纏めることができない『平成仮面ライダーシリーズ』の凸凹でありながら豊潤な歴史を全力で肯定した『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』が記憶に新しい。

ただ、今作は、『平成仮面ライダーシリーズ』だけでなく、『仮面ライダー』から始まった『仮面ライダーシリーズ』と、『秘密戦隊ゴレンジャー』から始まった『スーパー戦隊シリーズ』の、二つのシリーズの誕生を同時に祝福する必要があった。


『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』は『スーパーヒーロー大戦シリーズ』などでコラボしたりすることはあったものの、この二つのシリーズの間には本質的にはかなりの違いがある。
白倉氏は、二つのシリーズの違いについて、以下のインタビューで言及している。

「『スーパー戦隊』にはお約束があり、様式美の面白さを追求するところもあります。『仮面ライダー』もベルトで変身する、ライダーキック、敵の構成など何となく様式はありますが、様式とも言えない。作品ごとに様式を作っています。『『スーパー戦隊』は作品ごとのテーマ、テイストがあっても『『スーパー戦隊』としての様式を立脚点としています」

両シリーズの違いを「不思議なくらい違う。言語化できないところもあるんですよね」とも話す。

スーパーヒーロー戦記:仮面ライダー、スーパー戦隊の違い 紆余曲折の歴史 白倉伸一郎Pに聞く - MANTANWEB(まんたんウェブ)


『スーパー戦隊シリーズ』の作品は、『秘密戦隊ゴレンジャー』や『バトルフィーバーJ』などの過去の作品が確立した様式を立脚点としていることもあり、「スーパー戦隊とはこういうもの」というお約束が多い。
一方で、『仮面ライダーシリーズ』の作品は、作品ごとに様式を作っているため、様々な挑戦をすることができる。


よって、『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』におけるウォズの言葉を借りると、『仮面ライダーシリーズ』の歴史が「凸凹」であったと表現するならば、『スーパー戦隊シリーズ』の歴史は割と「舗装」されていたと言える。
それは、今作の冒頭にあるアガスティアベースのシーンでも、スーパー戦隊の禁書が整然と規格も厚さも揃っていたのに対して、仮面ライダーの方は大きさも厚みも装丁もバラバラであることで見事に表現されている。


だが、そこまで違うこの二つのシリーズに共通しているのが、初代のエッセンスを受け継いでいる点である。
『スーパー戦隊シリーズ』の場合、通常は5人組の“集団”ヒーローであることや、戦士が色によって識別されることなどは、最初の作品である『秘密戦隊ゴレンジャー』から受け継いでいる。
そして、『仮面ライダーシリーズ』の場合、ライダーが”個“で戦うことや、変身ベルトを用いて変身することなどは、最初の作品である『仮面ライダー』から受け継いでいる。


『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』は、それぞれの原点である『仮面ライダー』と『秘密戦隊ゴレンジャー』があってこそ、この半世紀もの間、シリーズとして続くことができた。
そして、『仮面ライダー』と『秘密戦隊ゴレンジャー』の生みの親である石ノ森章太郎氏を今作でフィーチャーすることにしたことを、今作の監督である田崎竜太氏は以下のインタビューで述べている。

――ストーリーを作られる段階で、映画のテーマをどのように定められましたか。
僕らがやりたかったこと、それはアニバーサリー映画とはいうものの、誰に向かっての記念なのか、誰に「ありがとう」と言えばいいのかという部分を明確にすることでした。そこで、仮面ライダーの原点・仮面ライダー1号、スーパー戦隊の原点・(秘密戦隊)ゴレンジャーというヒーローキャラクターを生み出した石ノ森章太郎先生にアプローチしてみたい、と思って筋書きを考えていきました。

「エピソードの数だけ存在する作り手たちの仕事の歴史を祝いたい」仮面ライダー&戦隊アニバーサリー映画に込めた田崎竜太監督の思い (1) | マイナビニュース

考えてみると、「本」や「物語」を題材にした『仮面ライダーセイバー』がちょうど現行作品であることからも、この「Wアニバーサリー」記念作品において、両シリーズの原作者である石ノ森氏に触れることは必然であったと思える。


そして、そんな石ノ森氏に着目することで、仮面ライダーとスーパー戦隊の両方に共通する“核”となる部分を描いた。
石ノ森氏が創り上げた仮面ライダーや秘密戦隊ゴレンジャーなどのヒーローは皆、「善」でも「悪」でもない、精一杯生きる“人間”であった。
更に、仮面ライダー1号や秘密戦隊ゴレンジャー以降に生まれたヒーローたちも、一人ひとり異なる“人間”として描かれてきた。
だからこそ、そんな“人間”である彼らの“物語”は、シリーズの最初の作品を真似しようとした「二次創作」ではなく、れっきとした独自性のある「一次創作」である。
このように、「善」でも「悪」でもない”人間”を描いているところが二つのシリーズにとっての“核”となる部分であるという、一つの答えを提示したことに「Wアニバーサリー」記念作品としての今作の意義があるように思えた




ただ、今作が描いたその“核”となる部分を完全に無視してしまっていたところが、今作には一箇所ある。
それは、最後に歴代の仮面ライダーとスーパー戦隊のヒーローたちが集結してアスモデウスたち敵陣と戦う中で、ヒーローたちが一人ずつそれぞれの名台詞を発していくシーンである。
このシーンにおいて、代役の声優さんが声をあてていることに不満を覚える声が多かったが、私はその点に関してはそこまでは問題視していない。
どちらかというと、ヒーローたちの名台詞の背景にはそれぞれの作品で描かれた“人間”たちの”物語”があるのにもかかわらず、このシーンでは文脈から外れて機械的に発していたことの方が非常に残念だった。


たとえば、仮面ライダーカブトはこのシーンで、「おばあちゃんが言っていた。悪の栄えた試しはない」という台詞を発している。
これは、仮面ライダーカブトに変身する天道総司が、『仮面ライダーカブト』の25話で銀行強盗たちを撃退したシーンで発した「おばあちゃんが言っていた。この世にまずい飯屋と悪の栄えた試しはない」という台詞を引用したものだ。

元の台詞には「まずい飯屋と」という言葉があるからこそ、天道総司という一人の”人間“の料理に対するこだわりなどが垣間見える、非常に天道らしい台詞になっている。
なのにもかかわらず、その重要な部分を省いてしまったため、天道総司の人間性を無視する形で名台詞をただただ引用してしまったように感じる。


たしかに、ヒーローが全員集結するようなシーンは、ヒーロー大集合映画としての一つのノルマではあるのかもしれない。
ただ、名台詞をただただ文脈から外れて機械的に発するのであれば、何も言わずに無言で戦う方がマシな気がする。
今作が描いた『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』の“核”となる部分は非常に納得感のあるものだっただけに、今作のこのシーンでは矛盾する描かれ方がなされたことに関しては、非常に勿体なかったように思えた。


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入れ子構造の”物語“

仮面ライダーセイバーに変身する神山飛羽真は、小説家であるという設定である。
ただ、我々視聴者の視点では、飛羽真たちは『仮面ライダーセイバー』という作品の“物語”の登場人物である。
よって、『仮面ライダーセイバー』という作品は、“物語”を書く小説家である飛羽真が“物語”の中を生きる「入れ子構造」になっていることを、白倉氏は以下のインタビューで指摘している。

 「二大ヒーローが活躍するという立て付けなのですが、『仮面ライダーセイバー』の主人公・神山飛羽真(かみやま・とうま)の物語として筋を通すことを大切にしています。飛羽真は小説家ですが『セイバー』というフィクションの中で、フィクションライターである入れ子構造であることが大きな意味を持っています

https://news.yahoo.co.jp/articles/bfc1abd2ca09081509ceb77eff5a46de65513507


今作は、アスモデウスがアガスティアベースにある禁書を解放したことにより、『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』の様々な作品の物語が混ざり合ってしまった、という設定だ。
自分たちが生きる世界 (『仮面ライダーセイバー』の世界) だけが現実であると錯覚していたものの、『仮面ライダーセイバー』の禁書を見つけたことで、自分たちもその言動が作者によって決められている物語の中の登場人物であることに気づいた。


これは、メタフィクションを絡めたアイデンティティクライシス、と捉えることができる。
たとえば、『仮面ライダーディケイド』という作品が『仮面ライダークウガ』から『仮面ライダーキバ』までの過去の仮面ライダーをコンテンツとして復活させる目的で製作されたことに関連して、『仮面ライダーディケイド 完結編』で、門矢士が紅渡に「ディケイドに物語はありません」と言い放ったという前例はある。
また、最近だと、『仮面ライダージオウ』という作品が『平成仮面ライダーシリーズ』の総括として製作されたことに関連して、『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』で、常磐ソウゴが自身の役割が平成ライダーの歴史を収斂させることがであったことに気づかされたという例もある。


今作の序盤で、物語の登場人物を作者である自分が苦しめていることに対する苦悩を飛羽真は語っている。
それを布石として、今作の後半にて、実は飛羽真自身が、石ノ森氏を原作者とする『仮面ライダーセイバー』という物語によって苦しめられている存在であったと明らかになった。
この飛羽真のアイデンティティクライシスは、『仮面ライダーセイバー』の「入れ子構造」を上手く活かして描かれたように感じられた。
今作でそのようなアイデンティティクライシスを描くことの意義については、白倉氏も以下のインタビューでこのように述べている。

特に『仮面ライダー』には、シリーズの大元を作られた石ノ森章太郎先生という原作者がいらっしゃる。にもかかわらず、飛羽真は小説家として、下手すると『仮面ライダーセイバー』という物語を俺が牛耳っている、というつもりでいるかもしれない。「小説家気取りの君は、原作者に対してどう向き合うのか」を、この50周年のタイミングで答えていただきたい、というのが大きなテーマです。そして、『仮面ライダーセイバー』もやっぱり物語の一つだっていうところに、飛羽真自身がどう関わるのか、という映画ですね。

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そんな飛羽真は、賢人とルナと三人で幸せに暮らす「平凡な日常」という“(飛羽真が思い描く) 現実“を見た。
それにもかかわらず、「登場人物が物語から逃げてはならない」と気づいた飛羽真は、物語の中では必ずルナを助けると改めて決意したうえで物語のなかに戻っていくことで、アイデンティティクライシスを乗り越えることに成功した。


この決断は、物語が人々に与える影響力を知っている小説家の飛羽真だからこそ説得力があったように思えた
そして、そう言えるのは、『仮面ライダーセイバー』は1年間をかけて神山飛羽真という一人の“人間”をしっかりと描いてきたからであると言えよう。




更に、飛羽真がアイデンティティクライシスを乗り越えたことで、決め台詞である「物語の結末は俺が決める」に更なる意味が付与された。
これまでのテレビ本編では、飛羽真がこの決め台詞の中で“物語”という表現を使用している理由は特に描かれなかったため、単に飛羽真が小説家であるからそのような表現を好んで使用しているように思えた。
しかし、今作の終盤で、アイデンティティクライシスを乗り越えた飛羽真が「物語の結末は俺が決める」と石ノ森氏に宣言した時には、たとえ自身が物語の登場人物であったとしても作者の想像を超えて生きていくという、いつもの決め台詞が全く違う意味を持つようになっている。


この台詞さえもが作者によって書かれたものだと考えると非常に皮肉なものではあるが、要するに今作は、飛羽真をはじめとする物語の登場人物たちの自由意志を認めている。
そして、登場人物たちが自由意志を持って勝手に動くことができるのは、”人間“の部分がしっかりと創り込まれているからだ。
だからこそ、たとえ作者の手を離れたとしても、登場人物たちは生き続けていくことができる。


その最たる例が、今作にも登場した仮面ライダー1号の本郷猛であると感じる。
本郷猛は、原作者である石ノ森氏がこの世を去ってからも、たとえば2016年公開の映画『仮面ライダー1号』などの様々な作品で活躍し続けた。
メタ的には、石ノ森氏が創り上げた本郷猛という人間を、後継者である作者たちが新たな物語を付与することで生かし続けた。
今作のロジックに当てはめると、それは正に「自由意志を持って勝手に動く」ことを意味する。


飛羽真の「物語の結末は俺が決める」という決め台詞に今作が更なる意味を持たせたことによって、『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』の“物語”に登場した“人間”たちが作者の想像を超えて活躍し続けてきたことを、非常に説得力を持たせて描くことができたように感じた


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次なる新しい”物語“

『スーパーヒーロー戦記』の本編上映後に、『仮面ライダーセイバー』の次の作品である『仮面ライダーリバイス』の短編映画が上映されるというサプライズが用意された。
仮面ライダーリバイと仮面ライダーバイスの姿は『スーパーヒーロー戦記』のポスターにはいたが、その正体はベールに包まれたままであった。
7月22日に今作が公開されたときは、『仮面ライダーリバイス』の制作発表会すらまだ行われていなかった。
よって、そもそもポスターの二人が新しい仮面ライダーであることや、劇場版に『仮面ライダーリバイス』の短編映画があることも、事前告知は全くなかった。


私は公開初日の朝一番に今作を観に行ったため、『スーパーヒーロー戦記』のエンドロールの後に東映の三角ロゴのオープニングが再び流れた時、私は正直かなりキョトンとしてしまった。
『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』の「MOVIE大戦2010」パート前に二つの東映の三角ロゴを並べるなど、これまでの東映特撮映画は非常に面白い構成上の演出を行ってきた。
だが、今作は東映の三角ロゴの後に何が起きるのかが予想もつかなかったため、非常に斬新であった。


例年の夏の劇場版では、新しい仮面ライダーは映画の途中や映画のエンドロール後に登場して、チラ見せという形で少しだけ戦うことで見せ場を作る。
今作では、既に『スーパーヒーロー戦記』の途中の戦闘シーンに仮面ライダーリバイと仮面ライダーバイスが乱入して戦っていた。
だからこそ、すでに『スーパーヒーロー戦記』に登場していた仮面ライダーリバイスが再びエンドロール後に登場したことにも驚かされたうえ、その映像が20分も続いたことには度肝を抜かされた。


そして、そんな短編映画では、『仮面ライダーリバイス』に関する様々な事実が明らかになった。
主人公の五十嵐一輝と悪魔のバイスが契約した「一人で二人」のライダーであること。
一輝が「しあわせ湯」という銭湯を拠点にしていること。
仮面ライダーリバイスが、バイスタンプというハンコ型のアイテムを使って変身すること。
メガドロンバイスタンプを使うと、仮面ライダーディケイドを彷彿とさせるデザインのメガドロンゲノムに姿を変えること。
仮面ライダーリバイスの専用マシンがホバーバイクであること。
仮面ライダーリバイと仮面ライダーバイスが合体して“超必殺技”を繰り出すこと。


そして何より、一輝やバイスの為人を知ることができた (バイスは人ではないが!)。
一輝が家族を大切にする情熱的な男であり、バイスがお調子者の愉快な悪魔であることが分かった。
私は個人的に、特にバイスのキャラに関しては、映画が終わったときも強烈に印象深く記憶に残った。
このように“人間”を知ることができたのも、通常の夏の劇場版におけるチラ見せとは違い、テレビでいえば一話分に相当する”物語“が描かれたおかげだ
だからこそ、今作を観て、仮面ライダーリバイスに見事に引き込まれてしまった方が多いのではないだろうか。


『仮面ライダーセイバー』や『機界戦隊ゼンカイジャー』目当てで観に来た観客に『仮面ライダーリバイス』の“物語”を半強制的に見せることで、9月から始まる新番組に興味を持たせる、というのは割と巧妙な手法であると感じた。
9月からどのような“物語”が紡がれるのかに期待しながら、『仮面ライダーリバイス』の放送開始を心待ちにしていたい。


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結論

今作は、『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』の「Wアニバーサリー」記念作品として、二つのシリーズに共通する石ノ森章太郎先生という原作者の存在に迫った。
その結果、『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』の“核”となる部分は、「善」でも「悪」でもない“人間”を描いているところである、という答えを提示した。


更に、今作は、現行作品の『仮面ライダーセイバー』の主人公の神山飛羽真が小説家であるという「入れ子構造」を活かして、自身が“物語”の登場人物であると言う事実に飛羽真を向き合わさせた。
その結果、『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』の“物語”に登場した“人間”たちが作者の想像を超えて活躍し続けてきたことを描くことができた。


つまり、「善」でも「悪」でもない“人間”を作品ごとに生み出し続け、そんな“人間”たちには作者の想像を超えて活躍し続ける力があったからこそ、『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』は半世紀も続くことができ、世代や時代を超えて人々に愛され続けてきた、といった結論を今作は導き出したと考えることができる。
このように、石ノ森章太郎先生が生んだ『仮面ライダー』と『秘密戦隊ゴレンジャー』から始まった『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』が、そこから半世紀もの間続いていくことができた共通の理由を明確にすることができたところに、今作がクロスオーバー作品であったことの最大の意義があると思う


更には、『仮面ライダーリバイス』という次の50年に向けた新しい“物語”を見せてくれたことで、そのような東映特撮ヒーローの強みを今後も未来へと受け継いていくという明確な意思が見えてきた。
これからの『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』の未来に期待ができるような、素敵な映画になっていたと思う。




海外の東映特撮ファンを騒がせているとある騒動について

日本の皆さんは、海外にも『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』のファンがいることはご存知だろうか。
Twitterをやっている人であれば、数多くのニチアサ作品のチーフプロデューサーを務めてきた白倉信一郎氏が、英語で海外のファンとやりとりをしているところを見たことがあるかもしれない。
具体的な海外のファンの数を知る手段はないが、SNSや動画サイトを見ると、様々な国のファンがいることが分かる。


ただ、とある騒動がきっかけとなり、そんな海外のファンたちが先日から非常に荒れているという話を先日耳にした。
更には、白倉氏も、Twitterで以下のようなつぶやきをしていた。

白倉氏はどうやら、その騒動が原因でTwitter上で海外のファンから個人攻撃を受けてしまっているようだ。


私は、日本人でありながら、ある程度海外のファンベースについては知っているつもりだ。
というのも、私の知り合いにアジア圏の某国に住む海外のファンがいて、海外のファンの現状についてはよく具体的な話を聞いているからだ。
だからこそ、私は海外のファンが今回荒れている件についても詳細な経緯が分かるし、多くの日本人のファンにも何が起きているのかを知ってほしいと思った。
是非、この記事を通して、海外のファンの現状を知ってもらえたらと思う。


ちなみに、この記事では海外のファンの違法行為なども取り上げるが、私はそのような行為を決して肯定してはいないことは理解していただきたい。


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海外での意外な人気

アジア圏では、『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』の吹き替え版が頻繁に放映されている。
ライセンス等の問題があるからか、最新作が日本と同じタイミングで放映されることはない。
しかし、テレビ放送があるおかげで幼少期から『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』に触れることができる環境があるか、アジア圏ではある程度の人気を博している。
たとえば、韓国では『獣電戦隊キョウリュウジャー』の完全新撮リメイク作品『獣電戦隊キョウリュウジャーブレイブ』がオール韓国人キャストで制作されるほど人気があったようだ。

実際、私がアジア圏の某国に旅行に行った時、数年前の『仮面ライダー』作品のTシャツを着ていたり、玩具で遊んだりしている子供の姿は度々見かけた。




一方で、英語圏では『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』はテレビでそもそも放映されてすらいない。
ただ、北米が『スーパー戦隊シリーズ』を英語圏向けにローカライズしている番組『パワーレンジャー (Power Rangers)』は英語圏の子供たちの間では非常に人気だ。

パワーレンジャー(字幕版)

パワーレンジャー(字幕版)

  • デイカー・モンゴメリー
Amazon

“米国で最も成功したジャパニーズコンテンツ”と言われるほどだ。
そんな『パワーレンジャーシリーズ』は、戦闘シーンは日本の『スーパー戦隊シリーズ』のものを流用しつつ、ドラマシーンはアメリカ人のキャストを起用して撮り直している。
そのため、ストーリーなどは大きく変更されることも多く、『パワーレンジャーシリーズ』は『スーパー戦隊シリーズ』とは根本的には別作品である。
よって、『パワーレンジャーシリーズ』のファンであるからといって、『スーパー戦隊シリーズ』のファンであるわけではない。


『仮面ライダーシリーズ』に関しても、1995年に『仮面ライダーBLACK RX』のリメイクである『MASKED RIDER』や、2009年に『仮面ライダー龍騎』のリメイクである『KAMEN RIDER DRAGON KNIGHT』が制作され、『パワーレンジャーシリーズ』と同様に北米でのローカライズが目論まれていたことが伺える。

しかしながら、『MASKED RIDER』と『KAMEN RIDER DRAGON KNIGHT』の両作品共に生憎シリーズ化には至らず、『仮面ライダー』の英語圏向けローカライズは実質失敗に終わったと言える。


『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』は両方ともに英語圏での知名度は低い。
だが、『スーパー戦隊シリーズ』の英語圏向けローカライズである『パワーレンジャーシリーズ』の知名度が高いおかげで、一定数の人がそこから『スーパー戦隊シリーズ』に興味を持ち、そのまま同じニチアサ枠の『仮面ライダーシリーズ』にも興味を持つ人が多いように見受けられる。




このようなことから、『仮面ライダーシリーズ』も『スーパー戦隊シリーズ』も、意外と海外にファンがいることが分かる。

海外に無関心だった東映

ただ、せっかく『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』に興味を持ったとしても、海外のファンがそれらの作品を合法的に視聴する方法がかなり少ない。


先述したように、アジア圏では一部作品を吹き替えで放送しているようだが、それでもその作品数はかなり限定的だ。
また、英語圏ではそもそもテレビでそれらの作品を放映すらしていない。
よって、テレビのみで満足することはやはり難しい。


海外のファンには、作品のBlu-rayやDVDを日本国内から輸入する人もいる。
ただ、海外では使用しているプレイヤーのリージョンや映像方式によっては日本のBlu-ray・DVDが再生できないこともある。
更に、日本国内向けに発売されているこれらのBlu-ray・DVDには当然字幕や吹き替え等がなく日本語音声のみであるため、日本語が理解できない大半の海外のファンにとってはハードルは高いはずだ。


我々日本の東映特撮ファンに馴染みがあるインターネット上の公式配信サービスに関しては、海外ではそもそも視聴できないことが多い。
月額960円を支払うと最新作までの東映特撮作品をほぼ全て視聴することができる東映特撮ファンクラブは、日本以外の地域からはアクセスできないようになっている。
過去作などのレギュラーコンテンツを定期的に配信している「東映特撮YouTube Official」も、日本以外の地域に対して視聴制限を設けている。
また、これらの公式配信サービスは両方とも日本語音声のみで、英語字幕等には対応していない。


このように、東映が海外のファンベースにあまり関心を持ってこなかったからか、海外のファンが『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』を合法的に観る手段はかなり限られている。




海外向けの東映公認の配信サービスは、最近になってようやく開始した。
「Shout! Factory」という北米の会社が提供する「TokuSHOUTsu」というサービスは、英語字幕付きで『仮面ライダー』『仮面ライダークウガ』『激走戦隊カーレンジャー』『五星戦隊ダイレンジャー』『忍風戦隊ハリケンジャー』などを全話配信している。
また、「Amazonプライム・ビデオ」は、英語字幕付きで『仮面ライダーアギト』と英語・中国語・韓国語字幕付きで『仮面ライダーアマゾンズ (Amazon Riders)』を全話配信している。
更には、東映が公式で運営する海外向けYouTubeチャンネル「TOEI TOKUSATSU WORLD OFFICIAL YouTube Channel」は、英語字幕付きで『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』の何話かを配信している。


ただ、視聴できる作品や話数はかなり限られているうえ、最新作は配信していない。
そして、字幕の翻訳の質が低い、といった指摘も一部の英語圏のファンからは出ているようだ。

無断アップロードと“ファンサブ”

これらの海外向けの公式配信サービスはつい最近始まったばかりで、それ以前は、特に英語圏のファンは、合法的に『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』を自分たちが理解できる方法で視聴する手段はほぼなかったと言っても過言ではない。
特に最新作を視聴したい場合は、どの公式配信サービスも対応していないため絶望的だ。
よって、ほとんどの海外のファンは、違法な手段によって視聴せざるを得ない状況にあったようだ。


まずは、作品の映像に関しては、インターネット上のファイル共有サイトに無断アップロードされているため、それをダウンロードさえすれば簡単に視聴することができるようだ。
しかも、それらの映像は日本のテレビでの放送後すぐにアップロードされるようだ。
ただ、日本で制作された著作物の著作権は国境を超えて海外でも適用される*1ため、『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』の映像の無断アップロードやダウンロードもほとんどの国では違法である。


そして、そのように無断アップロードされた動画を使用して、日本語をある程度理解できるファンが、作中の台詞を翻訳して字幕をつけているようだ。
収益等は得ることなく、単なる趣味で行っているそんな彼らの行為は“ファンサブ (fansub)”と呼ばれている。
英語版“ファンサブ”の場合なんかは、最新話が放送されてから一週間以内に公開されることがほとんどのようだ。
ただ、脚本自体も著作権で保護されているため、その脚本の翻訳を行ってその字幕データの無断アップロードを行った場合は違法行為にあたるという判例がある*2
そのため、“ファンサブ”のアップロードとダウンロードもほとんどの国では違法であると言える。


“ファンサブ”には、字幕データのみを提供する「ソフトサブ」と、字幕を直接映像に焼き込みその映像ごと提供する「ハードサブ」という、二つの供給形式がある。
ソフトサブは再生するには特殊なソフトが必要になることもあり、利便性の観点から多くの場合“ファンサブ”はハードサブで提供されている。
ハードサブの場合は、作品の映像自体もアップロードすることになるため、ハードサブをアップロードした“ファンサブ”チームは脚本の著作権だけでなく映像の著作権も侵害していることになる。


ただ、海外向けの公式配信サービスが始まる前までは、英語圏のファンが自分たちが理解できる方法で『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』を楽しむためにはこのような違法行為に頼るしかなかった。
そして、海外向けの公式配信サービスが始まった今でも、その作品ラインナップが限定的なため、最新作を視聴したい場合などに未だにこのような違法行為に頼るしかない。

“ファンサブ”の危機

しかし先日、複数の“ファンサブ”チームが、東映から著作権侵害に関する警告文を受け取ったことを立て続けに発表した。
その警告文には、東映の著作権に侵害するコンテンツを全て撤去する旨が記載されていた。


東映は「TokuSHOUTsu」等の海外向けの公式配信サービスを始めて以来、海外への進出を図り始めたように見える。
恐らく、“ファンサブ”の存在が今後の東映の海外進出の弊害になることを予測し、ここで手を打ったのだと思われる。


警告文が果たして本物なのかは不明だが、それを受けて、『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』の“ファンサブ”を行っている多くのチームは混乱に陥ったようだ。
ハードサブからソフトサブに切り替えて何とか著作権侵害で訴えられる可能性を下げようとするチームもいれば、“ファンサブ”活動自体を辞めるチームもいる。
そんな“ファンサブ”が危機を迎えている今、海外のファン界隈がひどく荒れている様子だ。


その理由の一つは、“ファンサブ”がなくなると、海外のファンはそれまでのように『仮面ライダーシリーズ』や『スーパー戦隊シリーズ』が楽しめなくなってしまう可能性があるからだ。
海外向けの公式配信サービスがあるとはいえ、まだまだ作品のラインナップが充実していないのが現状だ。
また、やはり最新作を観たいファンが大多数を占めているが、今のところ最新作を海外で観る手段はない。
よって、“ファンサブ”に頼ってきたファンは、“ファンサブ”が消えてしまうと多くの作品を自分たちが理解できる形で視聴することができなくなってしまう。


もう一つの理由は、海外のファンの間では東映の海外戦略に対するフラストレーションがあるからだ。
東映が多くの公式配信サービスの海外からのアクセスを禁じていることもあり、海外のファンは、自分たちが東映からずっと見捨てられてきたと感じているようだ。
一方で、“ファンサブ”チームは、そのように東映に見捨てられた自分たちを救ってくれて、海外のファンベース拡大に貢献してくれた存在だ。
海外のファンの中には日本から玩具を輸入して売り上げに貢献する人もいるため、“ファンサブ”の存在は東映や関係会社にとっては何ならプラスだ、と主張する人もいる。
だからこそ、最近になって漸く海外進出に興味を示すようになったからといって、それまで海外のファンベースを実質的に築いてくれた“ファンサブ”チームを潰しにかかった東映は、海外のファンから見るとズルいのだろう。


そのようなメンタリティから、東映の今回の行為は一部の海外のファンから叩かれている。


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今後の海外戦略の可能性

“ファンサブ”は違法であることは間違いないし、それを正当化することには賛同できない。
また、『仮面ライダーシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』は両方東映の著作物であるため、東映がその権利を主張するのはごく当然のことだ。
実際に、東映の有価証券報告書でも、海外における知的財産権の侵害について触れていたりもする。

当社グループの保有する知的財産権については、海賊版や模倣品等による権利侵害が現実に発生しております。
それらについては、ケースごとに適切な対応をとるよう努めておりますが、海外あるいはインターネット等においては、法規制その他の問題から、知的財産権の保護を充分に受けられない可能性があります。

東映株式会社 有価証券報告書 — 第97期


ただ、今回の騒動を理解するうえで大事なのは、海外のファンが無料で観られることを理由に違法ダウンロードをしているわけではない、という点だ。
海外のファンは、違法ダウンロード以外で多くの作品を視聴する手段がないからこそ、そうせざるを得ないのだ。


逆に、公式が既存の海外向けの公式配信サービスのラインナップを拡充しつつ良質な翻訳字幕が提供できるのであれば、たとえ有料であっても、既存の海外のファンの多くは必然的に“ファンサブ”よりもそちらに流れるだろう。
イギリスでは、ストリーミングサービスの普及によって違法に音楽をダウンロードする人が減ったという調査結果があるようだ。

「簡単に言えば、違法にダウンロードしていたユーザーの多くは、ほしい音楽を手に入れるために以前と同じようなことまでする必要がないと感じている。今やワンタッチ操作で、簡単にほしい音楽を手に入れることができるからだ。まだ現時点では、ストリーミングサービスによって違法ダウンロード問題に終止符が打たれるかどうかはわからないが、少なからず明るい兆候であることは確かである」。

音楽ストリーミングサービス席巻に伴い、違法ダウンロード数減少 | EC業界ニュース・まとめ・コラム「eコマースコンバージョンラボ」

このように、公式配信サービスがより充実すれば、違法ダウンロードというリスクのある行為を取る必要性を感じる人が減るだろう。
何なら、月額10ドル程度の「東映特撮ファンクラブ」の海外版なんかは需要がありそうだ。


もちろん、そのように海外向けの公式配信サービスを拡充することは決して容易なことではない。
ライセンス等の問題もあるため、全ての東映特撮作品を今すぐに全世界向けに配信することは難しいかもしれない。
また、翻訳字幕をつけることも、作業量が膨大にあり、人件費がかなり必要となるだろう。
よって、コストパフォーマンス的に果たして海外のファンというマイノリティ向けにこのようなことを行う価値があるのかは不明だ。


ただ、今はマイノリティであっても、今後海外のファンが増えていく余地は十二分にある。
日本が少子化の危機に直面している中、東映としては海外市場の拡大もそろそろ視野に入れる必要性を感じているのかもしれない。
海外進出に本腰を入れるのであれは、海外向けの公式配信サービスの早急な拡充が喫緊の課題だ。




『花束みたいな恋をした』ロケ地巡りの旅 in 京王線沿線

2021年1月に公開された映画『花束みたいな恋をした』に、私は今年の頭にかなり熱中してしまった。

そんな今作は主に京王線沿線の調布付近で物語が展開されるが、作中にはさまざまな場所の固有名詞が登場する。
しかも、それらの固有名詞に従って忠実にロケ地が選ばれて撮影された。
せっかく今作にハマったため、2021年3月に『花束みたいな恋をした』のロケ地巡りをした。


感染リスクを考慮したうえで基本的には屋外にあるロケ地を中心に巡ったうえ、移動の際などにもしっかりと感染対策はしていた。
皆さんも、もしロケ地巡りをするのであれば、その辺りも留意していただきたい。


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明大前駅

渋谷駅から京王井の頭線に乗り、明大前駅で下車。

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こちらの駅は、麦と絹が二人ともたまたま終電を逃したことによって初めて出会った駅であり、物語では非常に重要な意味合いを持つ場所だ
ちょうど写真の真ん中に写っている改札前で、二人は終電に乗ろうとしたときにばったりと出会った。


また、明大前駅の駅構内も撮影で使用されている。

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この写真に写っている「高幡そば」の前で、絹がトイレットペーパーを両手に持ちながら立つシーンなんかも撮影されている。

明大前駅近くの甲州街道

明大前駅から甲州街道に向けて歩くと、首都高速4号新宿線の高架下にたどり着いた。

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この近辺は、麦と絹が初めて出会った日に、調布にある麦の家に向かいながら、二人で缶ビールを飲んできのこ帝国の『クロノスタシス』を歌っていたところだ


作中では、麦と絹は、ここを起点に調布を目指して甲州街道をひたすら歩いたことが描かれた。
10キロメートルほどあるため2時間くらいかかるが、もし時間に余裕があって体力に自信があれば、麦と絹の行動を再現してみるといいかもしれない。

つつじヶ丘駅

次に、明大前駅から京王線に乗り、つつじヶ丘駅で下車。

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こちらの駅は、麦と絹が出会った日に調布を目指してひたすら歩いたときに通った駅だ


つつじヶ丘駅の北口を出て線路沿いを西に向かって歩くと、細い道にたどり着いた。

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この道を歩きながら、絹はジャンケンでパーがグーに勝つことが理解できないと、麦と意気投合しながら語っていた


甲州街道からは少し外れてしまうが、もし明大前から調布まで甲州街道を歩くのであれば、是非つつじヶ丘駅も通って欲しい。

調布PARCO

つつじヶ丘駅から調布方面に歩き続けると、調布PARCOにたどり着いた。

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調布のシンボルでもあるここは、麦と絹が出会った日に調布を目指してひたすら歩いたときに、調布に漸く着いたと二人で歓喜していたところだ。


調布PARCOの5階に行くと、「パルコブックセンター 調布店」という本屋がある。

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こちらの本屋は、麦と絹が付き合ってから二人で訪れていたところだ
麦が『人生の勝算』というビジネス本に興味を示している姿を見て、麦が変わってしまったことを痛感して落胆する絹の姿が非常に印象的だったしシーンだ。

調布駅

そして、調布PARCOから出てすぐのところにある調布駅に着いた。

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この駅前で、二人が調布駅から徒歩30分のアパートに同棲していたときに、麦と絹は待ち合わせをしてよく一緒に家に帰っていた
調布駅の近辺に、麦と絹が帰り道に飲んでいたコーヒーのお店があるのだろうか。
二人の生活拠点であったと考えると、調布駅周辺も散策し甲斐がある。

多摩川サイクリングロードの河川敷

調布駅から都道120号を南にずっと歩いていくと、多摩川沿いにある多摩川サイクリングロードにたどり着いた。

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この河川敷は、麦と絹が花束を抱えて焼きそばパンを食べながら歩いていた場所だ
今作のメインビジュアルにも使われていた場所なので、見覚えのある人は多いだろう。
調布駅から家までの30分が二人にとって花によりも大切な時間であったからこそ、この場所は二人にとっては非常に意味があるところだ。


是非、麦と絹の気持ちを味わいながら多摩川沿いを散歩してみて欲しい。

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御塔坂橋交差点

調布駅に戻り、都道18号線と12号線を通って北へ歩いていると、御塔坂橋交差点にたどり着いた。

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こちらの交差点は、麦と絹が付き合った日に二人が初めてキスをした場所だ
「こういうコミュニケーションは頻繁にしたい方です」という絹の台詞が話題を集めた名シーンだ。


そんな二人のキスは、この交差点の信号が押しボタン式だったから実現したが、実際の御塔坂橋交差点の信号もしっかりと夜間押しボタン式だ。

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サンキュー押しボタン式信号。

ジョナサン三鷹井口店

更に都道12号線を北へ進むと、 ジョナサン三鷹井口店にたどり着いた。

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こちらのファミレスは、麦と絹の二人が付き合う前から頻繁に行っていたところだ
麦が絹に告白した場所でもあり、また、二人が別れた日に訪れた場所でもあるため、二人にとっては非常に思い出深い場所だ。


ちなみに、撮影ではジョナサン三鷹井口店の外観を使用していたようだが、店内は撮影では使っていないようだ。
なので、二人がいつも座っていた席などは、ファミレスの中に入っても見ることはできない。
ただ、外観は麦と絹が別れた日にファミレスの外で抱き合ったシーンで使われていたので、訪れる価値は十二分にある。

飛田給駅

ジョナサン三鷹井口店からバスに乗り調布駅に戻った。
そこから京王線に乗り、飛田給駅で下車。

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飛田給駅は、絹の実家の最寄り駅であるという設定の駅だ
天竺鼠のライブを逃してしまった絹が朝帰りをしたシーンなどで、駅構内が若干撮影で使われていた。
非常にこじんまりとした住宅街にある駅なので、絹が良い場所で育ったことが分かる。

道生神社

飛田給駅から少し歩くと、道生神社という神社にたどり着いた。

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この神社は、麦と絹が初詣で訪れて、バロンという猫を拾ったところだ


この木の辺りで、二人は段ボールに入ったバロンを拾った。

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最後に

今回、私は麦と絹が実際に歩いた道を歩きながらロケ地間を移動することを意識した。
だが、ロケ地間では距離があるところも多く、正直楽ではなかった。
明大前駅から調布駅なんかは非常に距離があるため、歩くことが好きな私でさえ結構キツい。
だが、密になり得る公共交通機関を避けながらロケ地巡りができるかため、歩いてみるのも悪くはない。
もし機会があれば、是非この記事を参考にしながら、今作のロケ地巡りを歩いてやってみて欲しい。

感想『花束みたいな恋をした』の結末はなぜあれほどの余韻を残すことができたのか

2021年1月に、土井裕泰監督による映画『花束みたいな恋をした』が公開された。


私は普段あまり恋愛映画を観ないため、最初は正直観ることを結構躊躇した。
ただ、やはり『仮面ライダーW』で活躍していた菅田将暉さんが出演していることもあり、私は気になって結局鑑賞した。


実際に今作を鑑賞した後、私は非常に心を動かされた。
今作は結構前に公開されたが、私は恥ずかしながらもいまだに余韻を引きずっているほどだ。
(だからこそ、今更こんなタイミングで今作の感想記事を執筆している。)
そして、私と同じく、今作を見終えてからもかなり余韻を引きずった観客が多かったのではなかろうか。
この記事では、なぜあの結末があれほどの余韻を残すことができたのかを考察しながら感想を述べていきたい。


『花束みたいな恋をした』オフィシャルフォトブック


この記事には、映画『花束みたいな恋をした』やその他関連作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。


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リアルな二人の暮らし

今作は、2015年から2020年の間、実際に世の中に存在していたリアルなカルチャーを積極的に取り入れている。
2015年の絹がパンを食べるシーンで、クマムシの『あったかいんだからぁ』を口ずさんだり。
モノローグで、2016年に『君の名は。』で新海誠氏が突如“ポスト宮崎駿”と称されるようになったことや、2016年の終わりにSMAPが解散したことについて触れられたり。
2017年に、麦と絹はNintendo Switchを購入して『ゼルダの伝説』をプレイしたり。
Netflixの『ストレンジャーシングズ』を視聴している絹の姿なんかも描かれたりしていた。


また、今作にはAwesome City ClubのPORINさんが、麦と絹が出会った頃に通っていたファミレスで働く「ファミレスのお姉さん」として出演している。
Awesome City Clubの実際のミュージックビデオの映像などを使用しながら、PORINさんが音楽でどんどん売れていく姿を、麦と絹の恋愛と同時並行で描いている。

PORINさんの髪色が金やピンクや青色にどんどん変わっていく様も、実際のPORINさんの成長ともリンクしていて、時間の流れを上手く感じさせている。


このような描写により、まるで我々が知っている2015年から2020年を麦と絹が本当に生きていたかのようなリアリティを見事に持たせている。
2015年から2020年という割と最近のことを描いていたからこそ、観客はその時代をノスタルジックに感じるよりかは、その時代を生きていた麦と絹に親近感を抱くことができたと感じる。


更には、映画の限られた時間内で、麦と絹の5年間の時間の経過を描くうえでも、これらのカルチャーの描写は非常に効果的であると感じた。
特に、出会った日と別れる日の2日間の描写が今作の3分の1くらいを占めていることからも、二人が付き合っている間の時間を描くことができる尺が非常に限られている。
だからこそ、二人の時間がどれほど経過しているかを客観的に示すためにも、カルチャーの描写が非常に大切であったと感じる。


実在するカルチャーには著作権等のライセンスがあり、引用にはある程度の費用が発生することが考えられる。
それでも、架空のものではなく、わざわざ実在するカルチャーを取り入れているところから、リアリティを追求することに対する今作のこだわりが感じられる




また、物語が展開される地域の設定にも、実在する固有名詞がたくさん盛り込まれている。
「調布」で一人暮らしする麦と「飛田給」で実家暮らしする絹が「明大前」で出会ったり。
二人が出会った日に、調布の麦の家に向かうために「京王線沿い」を二人で歩き、「調布パルコ」に辿り着いたり。
二人が大学を卒業してからは、「多摩川沿い」のアパートで同棲するようになったり。
このように、二人の暮らしが想像できるようなたくさんの場所の固有名詞が出てくる。

そして、設定に忠実であるよう、製作陣がそれらの場所で実際にロケを行なったことも、今作の制作プロデューサーである土井智生氏への以下のインタビューから分かる。

――調布市でロケを行うことになった経緯を教えてください。

土井智生(以下、土井)「坂元さんからあがってきた脚本に、きっちりと場所の名前が書かれていたというのが大きな理由です。絹ちゃんの家が飛田給にあり、麦くんが調布近くのアパートに住んでいる、という設定がありました。なのでリトルモアの有賀高俊プロデューサーと土井裕泰監督とも『正直に制作していきましょう』という話をしていました。裏を返せば『嘘をつかない』ということです。坂元さんの想いが凝縮されている脚本を活かし、忠実に撮影をしていくことを第一のテーマとして掲げました。本作を観る方が、嘘や作りものと感じない映画にしたいという気持ちで、設定に忠実に、極力設定に近い場所をロケ地として選んでいきました

調布ロケの仕掛け人たちに聞く『花束みたいな恋をした』の撮影秘話!「嘘や作りものと感じない映画にしたい」 | ニコニコニュース


二人が初めてキスをするシーンの撮影が行われた交差点も、実際に信号が“夜間押しボタン式”であることに拘ってロケ地として選ばれたことにも土井氏は言及している。

土井「あのキスシーンは撮影するなかでも重要課題の一つで、信号が“夜間押しボタン式”であるということに、絶対に嘘をつけないと考えていた場所です。映画を観てロケ地を訪れた方が、『押しボタンじゃない!』とならないように、正直に取り組んだ一つの結果があのシーンです

調布ロケの仕掛け人たちに聞く『花束みたいな恋をした』の撮影秘話!「嘘や作りものと感じない映画にしたい」 | ニコニコニュース

このように、物語が展開される場所においても、リアリティを追求することに対する今作のこだわりが感じられる




そして、このようなこだわりによって、麦と絹という二人の人間がまるで本当に2015年から2020年の間、調布近辺で暮らしていたかのように見事に観客に感じさせてくれる


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クロノスタシスって知ってる?

今作は、ふんだんにカルチャーを盛り込みながら、麦と絹が惹かれていく過程を非常に丁寧に描いた。


麦と絹が明大前で終電を逃したことをきっかけに出会った日に、同じく終電を逃した男女と4人で入ったカフェに、押井守氏がたまたまいたことが描かれるシーンがある。
麦と絹は、そんな押井氏に瞬時に気づき、彼のことを「神」と称して密かにテンションが上がる。


押井守氏といえば、『機動警察パトレイバー2 the Movie』や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』などの監督を務めた人である。

ただ、決してメジャーな存在であるとは言い難い。
ましてや、麦と絹みたいに顔や仕草を見ただけで押井氏を認識できる人はそれほど多くないだろう。


しかし、「神」が同じ空間にいるのにもかかわらず、麦と絹と同じく終電を逃した男女は、“マスカルチャー”の話題で盛り上がっていた。
名作中の名作である『ショーシャンクの空に』を好きな映画として挙げる自称“マニアック”な男。

そして、その頃は結構話題の映画であった実写版『魔女の宅急便』を“最近観た映画”として挙げる女。

そんな彼らの姿を見て麦と絹は嘲笑するが、この男女は麦や絹とは対照的な“普通の人たち”として描かれている。
この男女との対比があるおかげで、麦と絹の二人が“普通の人たち”とは異なる感性を持っていることを感じさせるように、非常に巧みに描いたように感じた。




そして、そのように“普通の人たち”とは異なる独特の感性を持つ二人が、お互いの感性に共通点を見出す様を非常に丁寧に描いている。
たとえば、偶然同じジャックパーセルのスニーカーを履いていたり、偶然同じJAXAのトートバッグでデートに来たりと、実在するモノを通して二人の感性が近いことを描いている。

初めて会った日に帰り道に一緒にきのこ帝国の『クロノスタシス』を歌ったように、二人はお互いが共通して好きなカルチャーを通して距離を縮めていく。
まさに、 「“クロノスタシス”って知ってる?」を「知ってる」からこそ、独特の感性を持つ二人はお互いに分かり合える。

更に、そんな二人の会話は、「天塾鼠」「今村夏子」「穂村弘」「ゴールデンカムイ」「宝石の国」といったカルチャーに関する固有名詞で溢れている。
このような固有名詞は、“普通の人たち”であれば理解できないものだからこそ、麦と絹にとっては二人だけの“共通言語”である。


このように、“普通の人たち”とは違う麦と絹が、まるで“奇跡”であるかのように次から次へとお互いの共通点を見つけていき、二人だけの“世界”を築いていく様を我々観客が傍観することができるようになっている。
そして、二人だけの“世界”を築き上げていく姿を、今作は実在する様々なカルチャーを交えながら時間を割いて描いたため、麦と絹が互いに惹かれ合ったことに非常に説得力があったと感じた


そんな麦と絹が好むカルチャーが一致したのは果たして本当に“奇跡”だったのか、といった議論がネット上では散見される。
ただ、そういった議論は、映画『インセプション』のラストにおいてコマが止まったの回り続けたのかを議論することと同じように不毛であると私は考える。
というのも、大切なのは実際に“奇跡”であるかどうかではなく、二人が“奇跡”であると信じていたという事実だからだ。
二人が“奇跡”だと信じたからお互いに惹かれ合って恋愛関係に発展したのだから、実際に“奇跡”だったかどうかなどは、少なくとも二人の関係性を見るうえではどうでもいい議題だ。
二人のカルチャーの好みが“奇跡”のように一致したことを少々しつこすぎるくらい描いたおかげで、麦と絹にとって二人の恋愛自体が“奇跡”であったことを、観客に強く印象づけたと感じる


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LとRのすれ違い

カルチャーで関係を深めてきたそんな麦と絹が、徐々にすれ違いを始める様も、非常に丁寧に描かれていた。


大学卒業後に、麦と絹はフリーターになり、多摩川沿いのアパートを借りて暮らし始めた。
そんな二人を訪ねてきた絹の両親には、社会をお風呂にたとえたレトリックや、「人生って、責任よ」という言葉を投げかけられ、就職するように説得された。
その後訪ねてきた麦の父には、長岡に戻って花火の仕事を継がないと仕送りを打ち切ると宣言された。
麦はアルバイトでワンカット1000円で描いていた自身のイラストをクライアントに買い叩かれ、終いには「いらすとや」を代わりに使うと言われて仕事を切られてしまった。
麦の先輩であるカメラマンの海人は、「社会性とか協調性って、才能の敵」だと言い、カメラマンの仕事で生きていくために彼女に銀座で親父転がしとして働かせていたことを麦は知った。


新潟から一人で上京して来た麦は、資金源を断ち切られたなか東京で生きていくことに対する焦燥感を、飛田給に実家がある絹以上に覚えたはずだ。
また、やりたいことをして生きていくために好きな人さえをも犠牲にする海人を見たからこそ、好きな人と生きていくためにやりたくないことをやるという決断を下すことができたのかもしれない。
このように、やりたいことだけでは生きていけないという現実を多方面から突きつけることで、絹との生活を維持するためにも、麦が人生に対する考えを改めてざるを得ない状況を作ったのは非常に巧妙であると感じた。


そして麦は、長い就職活動の末に何とか内定を貰えたネット通販専門の物流関係の会社に就職することになった。
ただ、入社前は五時に必ず帰れると言われていたのにもかかわらず、いざ入社すると、新人だからと毎日のように残業せざるを得なかった。
そのため、以前のようにカルチャーを楽しむ余裕がなくなり、仕事における成長や成果などに対する関心の方が勝るようになった。


一方で、大学生の頃、就職活動をしているときに圧迫面接で連日追い詰められて泣かされていた絹は、麦に「やりたくないことなんかしなくていいよ」と言われ、就活を辞めて大学卒業後はフリーターとして暮らすことになった。
そして、麦が焦燥感により就職活動を始めたことを機に、絹も簿記の資格を取って医療事務の仕事に就いた。
就職先では、同僚による同調圧力によって、彼氏がいるのにもかかわらずコリドー街へ「名刺集め」に行かざるを得ない状況などに遭遇した。
それでも、絹は麦とは違って、家に帰ったらカルチャーを楽しむ余裕がある様子であった。


そして、そんな生活習慣の違いによって、二人がカルチャーを共有する時間が減った様が描かれた。
二人で『わたしの星』という舞台を観に行く約束をしていたのにもかかわらず、出張の前乗りの予定を麦が優先し、絹は一人で舞台を観に行くことになったり。
二人で『希望のかなた』という映画を観に行ったものの、高揚している絹とは違い、麦はまったく興味がない様子だったり。
二人で本屋さんに行っても、文庫本を探す絹とは違い、麦は前田裕二さんの『人生の勝算』というビジネス書に興味を示していたり。

二人でNintendo Switchの『ゼルダの伝説』を楽しまず、代わりに麦は一人でパズドラをやっていたり。


今作の冒頭から、二人がカルチャーの共有を通して関係性を深めてきたことがしつこいくらい描かれてきた。
だからこそ、二人が就職したことを機に生活習慣にズレが生まれ、カルチャーを共有する時間がなくなったことをきっかけに、二人の関係性に変化が生じた。


そして、そんなすれ違いは、二人の「人生」に対する考え方にまで及んでしまう。


麦の就職先で運転手をしていた男が、荷物を載せたトラックを東京湾に捨てて、麦がその後処理を任されたことが描かれるシーンがある。
運転手の男は、誰にでもできる仕事はしたくなかった、と逮捕されてから発言していたようだ。
つまり、やりたくない仕事から逃げ出した人間だった。
そんな運転手の男の行動を羨ましく思っていた同僚に対して憤怒していたことからも、麦は「人生は責任」という考えに染まってしまったことが分かる。
麦は、大学生の頃は絹に対して「やりたくないことなんかしなくていいよ」と言っていたものの、いざ社会人になると、生きていくためには「やりたくないこと」もやらざるを得ないという現実を受け入れてしまった。


一方で、「私はやりたくないことをしたくない。ちゃんと楽しく生きたいよ」と言っていたことから分かるように、絹は社会人になってもやりたいことは諦めないという理想を抱いていた。
だからこそ、給料が下がるのにもかかわらず、医療事務の仕事を辞めて加持が経営する派遣のイベント会社への転職を決めた。




そんな麦と絹の「人生」に対する考え方の変化は、社会の「偉い人」に対する二人の姿勢の変化にも表れている。


二人が大学生だった頃、就職活動中に圧迫面接で絹のことを追い詰めた面接官のことを、今村夏子の『ピクニック』を読んでも何も感じない人、と麦は決めつけて激怒していた。
しかし、絹は「そんな言葉、就活には無力だよ」と言い、そんな社会の不条理を受け入れてしまった。


一方で、二人が就職をした後は、麦に怒鳴ったりツバを吐いたりする取引先の人のことを、『ピクニック』を読んでも何も感じない人、と今度は絹が決めつけて激怒していた。
しかし、麦は「大変じゃないよ別に。仕事だから。」と言い、そんな社会の不条理を受け入れてしまった。


この二つのシーンでは、かたや社会の「偉い人」による不条理な扱いに理解を示して受け入れてしまい、かたや自分たちが好むカルチャーによって自分たちの価値観と「偉い人」の価値観に線引きをした。
そして、二つのシーンで二人の台詞が逆転したことからも、二人の「社会」に対する姿勢が逆転した様がレトリカルに描かれている。




今作は、そんな二人の関係性の変化を「イヤホン」を通して比喩的に表現している。
麦が絹に告白する直前、麦と絹が二人でイヤホンを分け合いながらファミレスのお姉さんに勧められたAwesome City Clubの『Lesson』を一緒に聴いていたシーンがある。
このように、二人が出会った頃は、イヤホンは麦と絹がカルチャーを共有するためのツールだった。

しかし、就職した二人がカルチャーを共有しなくなったとき、イヤホンは全く違う意味合いを持つようになった。
絹がリビングのテレビで音を流しながら『ゼルダの伝説』で遊び始めたときに、同じ空間にいた麦が仕事に集中するためにイヤホンをつけたシーンがある。
このように、以前は二人のカルチャーを繋いだイヤホンが、二人が就職すると今度は二人の間の壁へと変化してしまった。


同じ音楽を聴いているつもりでも、イヤホンのLとRでは流れる音が違うからイヤホンを分け合って音楽を聴いてはいけない。
このイヤホンの説教話は、絹と麦は5年間同じ恋愛をしていたつもりが実はお互いに違う恋愛をしていた、ということのたとえにもなっている。
というのも、いくら趣味が合って感性が似ていたとしても、結局は別人なので物事に対する感じ方などは変わってくるからだ。


二人があくまでも別人であることは、あれほど二人の共通点を強調していた今作の序盤から布石としてしっかりと描写していたこともまた秀逸だ。
出会った日、ガスタンク巡りが趣味である麦が制作した『劇場版ガスタンク』という自作映画を観て、絹は途中で寝落ちしてしまった。
同じように、初デートで絹は自身が行きたがっていた国立博物館のミイラ展に麦と一緒に行くものの、麦はそのとき実は内心引いていたことを後に打ち明けた。
また、絹は付き合う前はラーメンブログを運営するほどラーメン好きであったようだが、麦と付き合い始めてからラーメンを二人で食べに行く描写が一度もなかった。
このように、「ガスタンク」「ミイラ展」「ラーメン」という、二人が相容れない点がさり気なく描かれているため、どれだけ似ていたとしても二人があくまでも別人であることが痛感できる。


二人が別人だからこそ、「人生」に対する考えの違いも生まれたことが分かる。
更には、二人が別人であるが故に発生した違いが、悪い方向に作用してしまう様子も描かれた。
たとえば、酔っ払ったときの海人のことを、麦は「飲むと必ず、みんなで海に行こうと言い出す人」として見ていたものの、絹は「お酒を飲むとすぐ女の子を口説こうとする人」として見ていた。
そんな海人が命を落とした時に、麦と絹の中ではその出来事に対する感情の違いが生まれ、その違いをわかり合おうとしなかったため、お互いに「どうでもよくなった」。
お互いの違いをわかり合おうとしなかったことが原因で二人の間ですれ違いが起こったことを、非常に残酷に描いていた印象だ。




今作は、社会で生きていくために生じてしまった麦と絹の生活習慣の違いや、麦と絹が別人であるからこそ生じてしまった「人生」に対する考え方の違いを、数々のシーンを通して非常に丁寧に描いた
そして、そんなお互いの違いを受け入れられなかったからこそ、二人が“奇跡”のような恋愛をしていた頃にはもう戻ることができないことを、観客に突きつけたと感じる


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結論

今作は、麦と絹のカルチャーの好みが“奇跡”のように合致したことを少々しつこすぎるくらい描くことで、麦と絹にとって二人の恋愛自体が“奇跡”であったことを、観客に強く印象づけた。
そこから、二人が別人であるからこそ、カルチャー以外の「人生」に対する考え方などの根本的な部分ですれ違っていく様を描くことで、そんな“奇跡”のような恋愛をしていた頃にはもう戻ることができないことを観客に突きつけた。


ただ、二人の恋愛と人生がそのように不可逆的であるからこそ尊いものであったことを、今作は同時に表現している。
「花束」は、枯れてしまった後でも、それが美しかった頃を思い出として振り返ることができる。
それと同じように、麦と絹が別れてしまった後でも、二人の恋愛と人生が美しかった頃を思い出として振り返ることができる。
それは、笑顔で別れたあまりにも爽快すぎる今作のラストシーンにも麦と絹のメンタリティとして表れている。


また、今作は、実在するカルチャーや場所を用いて設定や描写にリアリティを持たせることで、2015年から2020年の間、麦と絹という男女が本当に調布近辺で暮らしていたかのように描いた。
そういったリアリティも相俟って、観客は、リアルで平凡な男女の、5年間の不可逆的な恋愛と人生を本当に見守ってきた気持ちになることができる


だからこそ、観客は、笑顔で別れた二人の結末に共感することができ、最高の余韻に浸ることができるような作りになっている
そういった今作の性質から、映画を鑑賞し終えてから、二人の不可逆的な恋愛と人生を振り返りながら自分の過去の体験との共通点などを見出し、今作について語ったり考察したりして盛り上がることもできる。


同じ理由で、Awesome City Clubによる今作のインスパイアソング『勿忘』が流行ったと考える。
というのも、劇中では聴くことができず映画を鑑賞し終えてから映画の内容を振り返りながら楽しむことができる「インスパイアソング」という形式が、そういった今作の性質と上手いことマッチしたからだと感じる。

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今作の余韻に浸りながら聴く『勿忘』ほど素晴らしい体験はなかなか味わえないのではなかろうか。




『仮面ライダーシリーズ』ロケ地巡りの旅 in 大泉学園・光が丘

最近、外出自粛が求められていることもあり、なかなか出かける機会がなかったことに気づいた。
よって、久々にロケ地巡りをしたいと思い立った。


今回は、2021年1月に東京都練馬区の大泉学園と光が丘を訪れた。


『仮面ライダーシリーズ』の作品全てで必ずと言ってもいいほど、大泉学園がロケ地として使われている。
というのも、『仮面ライダーシリーズ』をはじめとする数多くの東映作品が撮影されている東映東京撮影所が大泉学園にあるからだ。
生憎、撮影所内に入ることはできないが、意外と撮影所周辺にもロケ地が多々ある。
また、その近くにある光が丘にも多くのロケ地があるため、併せて行くことにした。


感染リスクを考慮したうえで基本的には屋外にあるロケ地を中心に巡ったうえ、移動の際などにもしっかりと感染対策はしていた。
皆さんも、もしロケ地巡りをするのであれば、その辺りも留意していただきたい。


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まずは、西武池袋線の大泉学園駅で下車。

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駅前から大泉街道を東へ進んでいくと、「東映通り」と書かれた標識が見えて来た。

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まさに東映の街に来たことを実感できて、この段階でかなりワクワクしていた。

リヴィンオズ大泉店

東映通りを進んでいくと、右手に「リヴィンオズ大泉店」という商業施設にたどり着いた。

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外からも見える近未来的なデザインのエスカレーターが特徴的だ。


このエスカレーターは、『仮面ライダーセイバー』の『第20章 牙城を崩す、剣の意志。』で、ユーリがエスカレーターの仕組みに驚くシーンで使われた
生憎放送日前に行ったので、エスカレーター自体の写真は撮っていなかった。
代わりにエスカレーターから見た外の景色は撮っていたので載せておこう。

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他にも様々な特撮作品にて、この施設の屋上等が使われていたようだったので一度訪れてみる価値はある。

オズ・スタジオシティ

リヴィンオズ大泉店の向かいには、「オズ・スタジオシティ」という別の商業施設があった。

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こちらの商業施設の2階には、「アミュージアムOSC店」というゲームセンターが入っている。

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このゲームセンターは、『仮面ライダージオウ』の『EP03 ドクターゲーマー2018』で、常磐ソウゴが天才ゲーマー「M」を探しているときにまわったゲームセンターの一つだ


更に、この施設の4階には、「T・ジョイ SEIBU 大泉」という映画館が入っている。

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この映画館は、『仮面ライダーW』の『39話 Gの可能性/バッドシネマパラダイス』で、依頼者の虹村あいが働いている映画館で、左翔太郎と鳴海亜樹子も調査しに行ったところだ

東映東京撮影所

そんなオズ・スタジオシティのすぐ隣には、東映東京撮影所があった。

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先述した通り、撮影所の中には入ることができない。
ただ、東映特撮のファンであれば、門の前を通るだけでもかなり感慨深い。
もしかしたら中では最新作の撮影を行なっているかもしれない、というワクワク感なども楽しむことができる。

西洋菓子おだふじ

更に東映通りを進んでいくと、「西洋菓子おだふじ」という洋菓子店に辿り着いた。

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ここは、『仮面ライダーエグゼイド』の『11話 Who's 黒い仮面ライダー?』で、宝生永夢が患者の周平くんのためにケーキを買いに行ったお店だ


私がこのお店の前を通ったときは行列ができていて、かなり人気を集めていたようだ。
ネットの口コミを見ていると、地元では結構有名な洋菓子店だとか。
『仮面ライダードライブ』の主演を務めた竹内涼真さんも、このお店のことをを絶賛していた。


甘党としてはここのお菓子を食べたい気持ちは山々であったが、時間がなかったこともあり今回は生憎断念した。


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白子川

東映通りを更に進むと、「白子川」という川と、その川にかかっている「東映橋」という橋にたどり着いた。

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このように、この辺りは随所に「東映」という文字を見かけることができ、かなりテンションが上がった。


そして、そんな白子川のほとりを歩くと、「三ツ橋」という別の橋に辿り着いた。

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橋の下を流れる白子川の方を見ると、見慣れた光景が広がっていた。

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この辺りでは様々な『仮面ライダーシリーズ』の戦闘シーンが撮影されてきた。
『劇場版 仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ』で、仮面ライダージョーカーがヒートドーパントとここで戦った
『仮面ライダーゼロワン』の『3話 ソノ男、寿司職人』で、ゼロワンが初めてバイティングシャークフォームに変身した


残念ながら川に入ることはできなかったが、橋の上から眺めるだけでも十分に楽しむことができた。


因みに、白子川付近では、東京外環自動車道の大泉ICの工事が進んでいるため、実際に見ることができないところもある。
たとえば、『仮面ライダー555』『仮面ライダー剣』などの数多くの作品に登場する (人が怪人に襲われがちな) 地下道も、工事の影響で見ることができない。
このように、街の景色が変わってしまったことによる時代の流れを感じる意味でも、ロケ地巡りは非常に面白い。

大泉氷川神社

東映通りに戻って更に北上すると、都道24号に出てきた。
そして、この通りを東に進むと、「大泉氷川神社」という神社の入り口にたどり着いた。

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綺麗な石燈籠が並んでいる細い参道を抜けていった。

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そして、石段を登ると、神社の境内にたどり着いた。

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ここは、『仮面ライダー響鬼』の『四十六之巻 極める鬼道』で、ヒビキや安達明日夢、イブキ、立花香須実、立花日菜佳、桐矢京介が初詣で来た神社だ
また、『仮面ライダー電王』の『47話 俺の最期にお前が泣いた』で、野上良太郎や野上愛理、尾崎正義、三浦イッセー、デネブが憑依した桜井侑斗が初詣で来た神社でもある
初詣で行くと、登場人物たちの気分が味わうことができて良いかもしれない。

大泉橋戸公園

白子川に沿って大泉ジャンクション方面へと歩いていくと、「練馬区立大泉橋戸公園」という公園にたどり着いた。

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ここは、『仮面ライダー電王』の『42話 思い出アップデート』で、ゲストの葉月翔子が桜井優斗のことを待っていた公園だ

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また、『仮面ライダージオウ』の『EP32 2001:アンノウンなキオク』で、常磐ソウゴと明光院ゲイツが津上翔一と話していた公園でもある
3人の後ろにあったこの青いブランコがなかなか印象的だ。

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八丁堀児童公園

次に、大泉学園界隈から徒歩30分前後のところにある「八丁堀児童公園」という公園に向かった。

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ここは、『仮面ライダークウガ』のエンディング『青空になる』の映像が撮影された公園だ

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重い荷物を枕にして寝たら、五代雄介になりきってエンディングを再現することができる。
都会の中にあるこじんまりとした小さな公園なので、本当にお昼寝にはぴったりな場所かもしれない。


そしてもちろん、エンディングの最後のように、八丁堀児童公園から見た青空の写真も撮影した。

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私が行った日は曇りではあったものの冬であったため、エンディングにかなり近い景色を見ることができた。
夏になると草が生えて景色が変わるようなので、行く時は是非参考にしてみてください。

光のアーチ (光が丘公園)

八丁堀児童公園から東へ歩くと、「光が丘公園」という広い公園にたどり着いた。
この公園の入り口にある「光のアーチ」付近が、多くの作品で使われている。

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ここは、『仮面ライダー電王』の『19話 その男、ゼロのスタート』の冒頭で、野上良太郎が初めて会った桜井優斗を追いかけて問い詰める公園だ
二人が会話するシーンを観ると、この特徴的なアーチが背景に薄らと写っている。


また、『仮面ライダー鎧武』の『17話 桃のライダー、マリカ光臨!』で、バイトが決まらず落ち込む葛葉鉱汰が呉島光実に会った場所でもある
このシーンの方がはっきりとアーチが写っているので分かりやすい。

けやき橋 (四季の香公園)

光が丘公園から南へ歩くと、「四季の香公園」という公園にたどり着いた。
その公園の中には、「けやき橋」という橋がある。

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ここは、『仮面ライダー電王』の『19話 その男、ゼロのスタート』で、イマジン態として初めて登場したデネブが、誤って桜井優斗のお気に入りの服を破ってしまった場所だ
また、『仮面ライダーオーズ』の『26話 アンクとリングと全部のせ』で、後藤慎太郎が鴻上ファウンデーションに復帰することを伊達明に対して宣言した橋でもある


残念なことに、舗装し直されたのか、これらのシーンが撮影されたときとは橋の見た目が結構変わってしまっていた。
ただ、非常に景色の良い綺麗な橋なので、光が丘公園の帰りに寄るに値する。


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るぽ・コーヒーハウス 【番外編】

東京都練馬区ではないが、東京都清瀬市に「るぽ・コーヒーハウス」という喫茶店にどうしても行きたかったため、ついでに寄った。
大泉学園と同じく西武池袋線沿線にある清瀬駅で降りて20分ほど歩くとたどり着いた。

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ここは、『仮面ライダークウガ』で毎回のように登場する「喫茶ポレポレ」という、五代雄介のアルバイト先であり居候先の店だ
喫茶ポレポレの中はセットだったため、ここの外観のみが撮影で使われていたようだ。

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喫茶ポレポレが「オリエンタルな味と香りの店」と呼ばれているだけあり、非常にレトロで可愛らしい外観が魅力的だ。


『EPISODE 3 東京』で、お店の鍵を忘れた五代雄介が壁をよじ登って入った窓も見える。

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先程も述べた通り、店内は撮影では使われていなかったようだが、るぽ・コーヒーハウスは普通に喫茶店としても営業しているため、折角なので店内で休憩した。
店内は吹き抜けになっていて、外から見るよりも実際には広々としていた印象だ。
店内は2階建てになっていて、私は2階席に案内された。

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内観もレトロ感があふれていて、いつまでも過ごせそうな空間だ。
私はホットサンドとコーヒーを注文した。

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お腹が減っていたこともあり、あっという間に完食してしまった。
歩き疲れて軽食を求めている人にはぴったりだ。


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最後に

今回は大泉学園や光が丘近辺を中心に巡ったが、正直このエリアにはあまりにもロケ地が多いため間違いなく行けていないところもある。
ただ、見覚えのあるロケ地を数多く見ることができたため、非常に満足して旅を終えることができた。


ただ、ロケ地の間で結構距離があるところもあったため、その日は結構ヘトヘトだった。
このコースに従ってロケ地巡りを楽しむのであれば、かなり歩く覚悟はしておいた方がいい。

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