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仮面ライダー・映画・音楽に関する感想と考察。

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感想『花束みたいな恋をした』の結末はなぜあれほどの余韻を残すことができたのか

2021年1月に、土井裕泰監督による映画『花束みたいな恋をした』が公開された。


私は普段あまり恋愛映画を観ないため、最初は正直観ることを結構躊躇した。
ただ、やはり『仮面ライダーW』で活躍していた菅田将暉さんが出演していることもあり、私は気になって結局鑑賞した。


実際に今作を鑑賞した後、私は非常に心を動かされた。
今作は結構前に公開されたが、私は恥ずかしながらもいまだに余韻を引きずっているほどだ。
(だからこそ、今更こんなタイミングで今作の感想記事を執筆している。)
そして、私と同じく、今作を見終えてからもかなり余韻を引きずった観客が多かったのではなかろうか。
この記事では、なぜあの結末があれほどの余韻を残すことができたのかを考察しながら感想を述べていきたい。


『花束みたいな恋をした』オフィシャルフォトブック


この記事には、映画『花束みたいな恋をした』やその他関連作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。


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リアルな二人の暮らし

今作は、2015年から2020年の間、実際に世の中に存在していたリアルなカルチャーを積極的に取り入れている。
2015年の絹がパンを食べるシーンで、クマムシの『あったかいんだからぁ』を口ずさんだり。
モノローグで、2016年に『君の名は。』で新海誠氏が突如“ポスト宮崎駿”と称されるようになったことや、2016年の終わりにSMAPが解散したことについて触れられたり。
2017年に、麦と絹はNintendo Switchを購入して『ゼルダの伝説』をプレイしたり。
Netflixの『ストレンジャーシングズ』を視聴している絹の姿なんかも描かれたりしていた。


また、今作にはAwesome City ClubのPORINさんが、麦と絹が出会った頃に通っていたファミレスで働く「ファミレスのお姉さん」として出演している。
Awesome City Clubの実際のミュージックビデオの映像などを使用しながら、PORINさんが音楽でどんどん売れていく姿を、麦と絹の恋愛と同時並行で描いている。

PORINさんの髪色が金やピンクや青色にどんどん変わっていく様も、実際のPORINさんの成長ともリンクしていて、時間の流れを上手く感じさせている。


このような描写により、まるで我々が知っている2015年から2020年を麦と絹が本当に生きていたかのようなリアリティを見事に持たせている。
2015年から2020年という割と最近のことを描いていたからこそ、観客はその時代をノスタルジックに感じるよりかは、その時代を生きていた麦と絹に親近感を抱くことができたと感じる。


更には、映画の限られた時間内で、麦と絹の5年間の時間の経過を描くうえでも、これらのカルチャーの描写は非常に効果的であると感じた。
特に、出会った日と別れる日の2日間の描写が今作の3分の1くらいを占めていることからも、二人が付き合っている間の時間を描くことができる尺が非常に限られている。
だからこそ、二人の時間がどれほど経過しているかを客観的に示すためにも、カルチャーの描写が非常に大切であったと感じる。


実在するカルチャーには著作権等のライセンスがあり、引用にはある程度の費用が発生することが考えられる。
それでも、架空のものではなく、わざわざ実在するカルチャーを取り入れているところから、リアリティを追求することに対する今作のこだわりが感じられる




また、物語が展開される地域の設定にも、実在する固有名詞がたくさん盛り込まれている。
「調布」で一人暮らしする麦と「飛田給」で実家暮らしする絹が「明大前」で出会ったり。
二人が出会った日に、調布の麦の家に向かうために「京王線沿い」を二人で歩き、「調布パルコ」に辿り着いたり。
二人が大学を卒業してからは、「多摩川沿い」のアパートで同棲するようになったり。
このように、二人の暮らしが想像できるようなたくさんの場所の固有名詞が出てくる。

そして、設定に忠実であるよう、製作陣がそれらの場所で実際にロケを行なったことも、今作の制作プロデューサーである土井智生氏への以下のインタビューから分かる。

――調布市でロケを行うことになった経緯を教えてください。

土井智生(以下、土井)「坂元さんからあがってきた脚本に、きっちりと場所の名前が書かれていたというのが大きな理由です。絹ちゃんの家が飛田給にあり、麦くんが調布近くのアパートに住んでいる、という設定がありました。なのでリトルモアの有賀高俊プロデューサーと土井裕泰監督とも『正直に制作していきましょう』という話をしていました。裏を返せば『嘘をつかない』ということです。坂元さんの想いが凝縮されている脚本を活かし、忠実に撮影をしていくことを第一のテーマとして掲げました。本作を観る方が、嘘や作りものと感じない映画にしたいという気持ちで、設定に忠実に、極力設定に近い場所をロケ地として選んでいきました

調布ロケの仕掛け人たちに聞く『花束みたいな恋をした』の撮影秘話!「嘘や作りものと感じない映画にしたい」 | ニコニコニュース


二人が初めてキスをするシーンの撮影が行われた交差点も、実際に信号が“夜間押しボタン式”であることに拘ってロケ地として選ばれたことにも土井氏は言及している。

土井「あのキスシーンは撮影するなかでも重要課題の一つで、信号が“夜間押しボタン式”であるということに、絶対に嘘をつけないと考えていた場所です。映画を観てロケ地を訪れた方が、『押しボタンじゃない!』とならないように、正直に取り組んだ一つの結果があのシーンです

調布ロケの仕掛け人たちに聞く『花束みたいな恋をした』の撮影秘話!「嘘や作りものと感じない映画にしたい」 | ニコニコニュース

このように、物語が展開される場所においても、リアリティを追求することに対する今作のこだわりが感じられる




そして、このようなこだわりによって、麦と絹という二人の人間がまるで本当に2015年から2020年の間、調布近辺で暮らしていたかのように見事に観客に感じさせてくれる


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クロノスタシスって知ってる?

今作は、ふんだんにカルチャーを盛り込みながら、麦と絹が惹かれていく過程を非常に丁寧に描いた。


麦と絹が明大前で終電を逃したことをきっかけに出会った日に、同じく終電を逃した男女と4人で入ったカフェに、押井守氏がたまたまいたことが描かれるシーンがある。
麦と絹は、そんな押井氏に瞬時に気づき、彼のことを「神」と称して密かにテンションが上がる。


押井守氏といえば、『機動警察パトレイバー2 the Movie』や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』などの監督を務めた人である。

ただ、決してメジャーな存在であるとは言い難い。
ましてや、麦と絹みたいに顔や仕草を見ただけで押井氏を認識できる人はそれほど多くないだろう。


しかし、「神」が同じ空間にいるのにもかかわらず、麦と絹と同じく終電を逃した男女は、“マスカルチャー”の話題で盛り上がっていた。
名作中の名作である『ショーシャンクの空に』を好きな映画として挙げる自称“マニアック”な男。

そして、その頃は結構話題の映画であった実写版『魔女の宅急便』を“最近観た映画”として挙げる女。

そんな彼らの姿を見て麦と絹は嘲笑するが、この男女は麦や絹とは対照的な“普通の人たち”として描かれている。
この男女との対比があるおかげで、麦と絹の二人が“普通の人たち”とは異なる感性を持っていることを感じさせるように、非常に巧みに描いたように感じた。




そして、そのように“普通の人たち”とは異なる独特の感性を持つ二人が、お互いの感性に共通点を見出す様を非常に丁寧に描いている。
たとえば、偶然同じジャックパーセルのスニーカーを履いていたり、偶然同じJAXAのトートバッグでデートに来たりと、実在するモノを通して二人の感性が近いことを描いている。

初めて会った日に帰り道に一緒にきのこ帝国の『クロノスタシス』を歌ったように、二人はお互いが共通して好きなカルチャーを通して距離を縮めていく。
まさに、 「“クロノスタシス”って知ってる?」を「知ってる」からこそ、独特の感性を持つ二人はお互いに分かり合える。

更に、そんな二人の会話は、「天塾鼠」「今村夏子」「穂村弘」「ゴールデンカムイ」「宝石の国」といったカルチャーに関する固有名詞で溢れている。
このような固有名詞は、“普通の人たち”であれば理解できないものだからこそ、麦と絹にとっては二人だけの“共通言語”である。


このように、“普通の人たち”とは違う麦と絹が、まるで“奇跡”であるかのように次から次へとお互いの共通点を見つけていき、二人だけの“世界”を築いていく様を我々観客が傍観することができるようになっている。
そして、二人だけの“世界”を築き上げていく姿を、今作は実在する様々なカルチャーを交えながら時間を割いて描いたため、麦と絹が互いに惹かれ合ったことに非常に説得力があったと感じた


そんな麦と絹が好むカルチャーが一致したのは果たして本当に“奇跡”だったのか、といった議論がネット上では散見される。
ただ、そういった議論は、映画『インセプション』のラストにおいてコマが止まったの回り続けたのかを議論することと同じように不毛であると私は考える。
というのも、大切なのは実際に“奇跡”であるかどうかではなく、二人が“奇跡”であると信じていたという事実だからだ。
二人が“奇跡”だと信じたからお互いに惹かれ合って恋愛関係に発展したのだから、実際に“奇跡”だったかどうかなどは、少なくとも二人の関係性を見るうえではどうでもいい議題だ。
二人のカルチャーの好みが“奇跡”のように一致したことを少々しつこすぎるくらい描いたおかげで、麦と絹にとって二人の恋愛自体が“奇跡”であったことを、観客に強く印象づけたと感じる


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LとRのすれ違い

カルチャーで関係を深めてきたそんな麦と絹が、徐々にすれ違いを始める様も、非常に丁寧に描かれていた。


大学卒業後に、麦と絹はフリーターになり、多摩川沿いのアパートを借りて暮らし始めた。
そんな二人を訪ねてきた絹の両親には、社会をお風呂にたとえたレトリックや、「人生って、責任よ」という言葉を投げかけられ、就職するように説得された。
その後訪ねてきた麦の父には、長岡に戻って花火の仕事を継がないと仕送りを打ち切ると宣言された。
麦はアルバイトでワンカット1000円で描いていた自身のイラストをクライアントに買い叩かれ、終いには「いらすとや」を代わりに使うと言われて仕事を切られてしまった。
麦の先輩であるカメラマンの海人は、「社会性とか協調性って、才能の敵」だと言い、カメラマンの仕事で生きていくために彼女に銀座で親父転がしとして働かせていたことを麦は知った。


新潟から一人で上京して来た麦は、資金源を断ち切られたなか東京で生きていくことに対する焦燥感を、飛田給に実家がある絹以上に覚えたはずだ。
また、やりたいことをして生きていくために好きな人さえをも犠牲にする海人を見たからこそ、好きな人と生きていくためにやりたくないことをやるという決断を下すことができたのかもしれない。
このように、やりたいことだけでは生きていけないという現実を多方面から突きつけることで、絹との生活を維持するためにも、麦が人生に対する考えを改めてざるを得ない状況を作ったのは非常に巧妙であると感じた。


そして麦は、長い就職活動の末に何とか内定を貰えたネット通販専門の物流関係の会社に就職することになった。
ただ、入社前は五時に必ず帰れると言われていたのにもかかわらず、いざ入社すると、新人だからと毎日のように残業せざるを得なかった。
そのため、以前のようにカルチャーを楽しむ余裕がなくなり、仕事における成長や成果などに対する関心の方が勝るようになった。


一方で、大学生の頃、就職活動をしているときに圧迫面接で連日追い詰められて泣かされていた絹は、麦に「やりたくないことなんかしなくていいよ」と言われ、就活を辞めて大学卒業後はフリーターとして暮らすことになった。
そして、麦が焦燥感により就職活動を始めたことを機に、絹も簿記の資格を取って医療事務の仕事に就いた。
就職先では、同僚による同調圧力によって、彼氏がいるのにもかかわらずコリドー街へ「名刺集め」に行かざるを得ない状況などに遭遇した。
それでも、絹は麦とは違って、家に帰ったらカルチャーを楽しむ余裕がある様子であった。


そして、そんな生活習慣の違いによって、二人がカルチャーを共有する時間が減った様が描かれた。
二人で『わたしの星』という舞台を観に行く約束をしていたのにもかかわらず、出張の前乗りの予定を麦が優先し、絹は一人で舞台を観に行くことになったり。
二人で『希望のかなた』という映画を観に行ったものの、高揚している絹とは違い、麦はまったく興味がない様子だったり。
二人で本屋さんに行っても、文庫本を探す絹とは違い、麦は前田裕二さんの『人生の勝算』というビジネス書に興味を示していたり。

二人でNintendo Switchの『ゼルダの伝説』を楽しまず、代わりに麦は一人でパズドラをやっていたり。


今作の冒頭から、二人がカルチャーの共有を通して関係性を深めてきたことがしつこいくらい描かれてきた。
だからこそ、二人が就職したことを機に生活習慣にズレが生まれ、カルチャーを共有する時間がなくなったことをきっかけに、二人の関係性に変化が生じた。


そして、そんなすれ違いは、二人の「人生」に対する考え方にまで及んでしまう。


麦の就職先で運転手をしていた男が、荷物を載せたトラックを東京湾に捨てて、麦がその後処理を任されたことが描かれるシーンがある。
運転手の男は、誰にでもできる仕事はしたくなかった、と逮捕されてから発言していたようだ。
つまり、やりたくない仕事から逃げ出した人間だった。
そんな運転手の男の行動を羨ましく思っていた同僚に対して憤怒していたことからも、麦は「人生は責任」という考えに染まってしまったことが分かる。
麦は、大学生の頃は絹に対して「やりたくないことなんかしなくていいよ」と言っていたものの、いざ社会人になると、生きていくためには「やりたくないこと」もやらざるを得ないという現実を受け入れてしまった。


一方で、「私はやりたくないことをしたくない。ちゃんと楽しく生きたいよ」と言っていたことから分かるように、絹は社会人になってもやりたいことは諦めないという理想を抱いていた。
だからこそ、給料が下がるのにもかかわらず、医療事務の仕事を辞めて加持が経営する派遣のイベント会社への転職を決めた。




そんな麦と絹の「人生」に対する考え方の変化は、社会の「偉い人」に対する二人の姿勢の変化にも表れている。


二人が大学生だった頃、就職活動中に圧迫面接で絹のことを追い詰めた面接官のことを、今村夏子の『ピクニック』を読んでも何も感じない人、と麦は決めつけて激怒していた。
しかし、絹は「そんな言葉、就活には無力だよ」と言い、そんな社会の不条理を受け入れてしまった。


一方で、二人が就職をした後は、麦に怒鳴ったりツバを吐いたりする取引先の人のことを、『ピクニック』を読んでも何も感じない人、と今度は絹が決めつけて激怒していた。
しかし、麦は「大変じゃないよ別に。仕事だから。」と言い、そんな社会の不条理を受け入れてしまった。


この二つのシーンでは、かたや社会の「偉い人」による不条理な扱いに理解を示して受け入れてしまい、かたや自分たちが好むカルチャーによって自分たちの価値観と「偉い人」の価値観に線引きをした。
そして、二つのシーンで二人の台詞が逆転したことからも、二人の「社会」に対する姿勢が逆転した様がレトリカルに描かれている。




今作は、そんな二人の関係性の変化を「イヤホン」を通して比喩的に表現している。
麦が絹に告白する直前、麦と絹が二人でイヤホンを分け合いながらファミレスのお姉さんに勧められたAwesome City Clubの『Lesson』を一緒に聴いていたシーンがある。
このように、二人が出会った頃は、イヤホンは麦と絹がカルチャーを共有するためのツールだった。

しかし、就職した二人がカルチャーを共有しなくなったとき、イヤホンは全く違う意味合いを持つようになった。
絹がリビングのテレビで音を流しながら『ゼルダの伝説』で遊び始めたときに、同じ空間にいた麦が仕事に集中するためにイヤホンをつけたシーンがある。
このように、以前は二人のカルチャーを繋いだイヤホンが、二人が就職すると今度は二人の間の壁へと変化してしまった。


同じ音楽を聴いているつもりでも、イヤホンのLとRでは流れる音が違うからイヤホンを分け合って音楽を聴いてはいけない。
このイヤホンの説教話は、絹と麦は5年間同じ恋愛をしていたつもりが実はお互いに違う恋愛をしていた、ということのたとえにもなっている。
というのも、いくら趣味が合って感性が似ていたとしても、結局は別人なので物事に対する感じ方などは変わってくるからだ。


二人があくまでも別人であることは、あれほど二人の共通点を強調していた今作の序盤から布石としてしっかりと描写していたこともまた秀逸だ。
出会った日、ガスタンク巡りが趣味である麦が制作した『劇場版ガスタンク』という自作映画を観て、絹は途中で寝落ちしてしまった。
同じように、初デートで絹は自身が行きたがっていた国立博物館のミイラ展に麦と一緒に行くものの、麦はそのとき実は内心引いていたことを後に打ち明けた。
また、絹は付き合う前はラーメンブログを運営するほどラーメン好きであったようだが、麦と付き合い始めてからラーメンを二人で食べに行く描写が一度もなかった。
このように、「ガスタンク」「ミイラ展」「ラーメン」という、二人が相容れない点がさり気なく描かれているため、どれだけ似ていたとしても二人があくまでも別人であることが痛感できる。


二人が別人だからこそ、「人生」に対する考えの違いも生まれたことが分かる。
更には、二人が別人であるが故に発生した違いが、悪い方向に作用してしまう様子も描かれた。
たとえば、酔っ払ったときの海人のことを、麦は「飲むと必ず、みんなで海に行こうと言い出す人」として見ていたものの、絹は「お酒を飲むとすぐ女の子を口説こうとする人」として見ていた。
そんな海人が命を落とした時に、麦と絹の中ではその出来事に対する感情の違いが生まれ、その違いをわかり合おうとしなかったため、お互いに「どうでもよくなった」。
お互いの違いをわかり合おうとしなかったことが原因で二人の間ですれ違いが起こったことを、非常に残酷に描いていた印象だ。




今作は、社会で生きていくために生じてしまった麦と絹の生活習慣の違いや、麦と絹が別人であるからこそ生じてしまった「人生」に対する考え方の違いを、数々のシーンを通して非常に丁寧に描いた
そして、そんなお互いの違いを受け入れられなかったからこそ、二人が“奇跡”のような恋愛をしていた頃にはもう戻ることができないことを、観客に突きつけたと感じる


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結論

今作は、麦と絹のカルチャーの好みが“奇跡”のように合致したことを少々しつこすぎるくらい描くことで、麦と絹にとって二人の恋愛自体が“奇跡”であったことを、観客に強く印象づけた。
そこから、二人が別人であるからこそ、カルチャー以外の「人生」に対する考え方などの根本的な部分ですれ違っていく様を描くことで、そんな“奇跡”のような恋愛をしていた頃にはもう戻ることができないことを観客に突きつけた。


ただ、二人の恋愛と人生がそのように不可逆的であるからこそ尊いものであったことを、今作は同時に表現している。
「花束」は、枯れてしまった後でも、それが美しかった頃を思い出として振り返ることができる。
それと同じように、麦と絹が別れてしまった後でも、二人の恋愛と人生が美しかった頃を思い出として振り返ることができる。
それは、笑顔で別れたあまりにも爽快すぎる今作のラストシーンにも麦と絹のメンタリティとして表れている。


また、今作は、実在するカルチャーや場所を用いて設定や描写にリアリティを持たせることで、2015年から2020年の間、麦と絹という男女が本当に調布近辺で暮らしていたかのように描いた。
そういったリアリティも相俟って、観客は、リアルで平凡な男女の、5年間の不可逆的な恋愛と人生を本当に見守ってきた気持ちになることができる


だからこそ、観客は、笑顔で別れた二人の結末に共感することができ、最高の余韻に浸ることができるような作りになっている
そういった今作の性質から、映画を鑑賞し終えてから、二人の不可逆的な恋愛と人生を振り返りながら自分の過去の体験との共通点などを見出し、今作について語ったり考察したりして盛り上がることもできる。


同じ理由で、Awesome City Clubによる今作のインスパイアソング『勿忘』が流行ったと考える。
というのも、劇中では聴くことができず映画を鑑賞し終えてから映画の内容を振り返りながら楽しむことができる「インスパイアソング」という形式が、そういった今作の性質と上手いことマッチしたからだと感じる。

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今作の余韻に浸りながら聴く『勿忘』ほど素晴らしい体験はなかなか味わえないのではなかろうか。




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