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感想『オーズ 10th 復活のコアメダル』はなぜ美しい結末になり得なかったのか

2022年3月12日に『仮面ライダーオーズ』の10周年を記念した完全新作映画『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』が公開された。
この作品で、火野映司役の渡部秀さんやアンク役の三浦涼介さんをはじめ、テレビ本編に出演していたオリジナルキャストが集結したことで話題を集めた。


『スーパー戦隊シリーズ』であれば、テレビ本編終了後に『10 YEARS AFTER』シリーズが制作されることが多い。
ただ、『仮面ライダーシリーズ』の場合は、『仮面ライダージオウ スピンオフ RIDER TIME 仮面ライダー龍騎』などの例外はあるものの、完全新作が制作されることは珍しい。
10年後の今となって『仮面ライダーオーズ』の完全新作が実現したことは、まさに『仮面ライダーオーズ』という作品の人気のあらわれだと考える。
『仮面ライダーオーズ』は『仮面ライダーシリーズ』の中でもかなりファンが多い作品で、NHKによる「全仮面ライダー大投票」でも歴代シリーズの中で3位になったほどだ。

そのため、今作を待ち焦がれたファンはかなり多かったはずだ。
私は公開2日目に今作を映画館で鑑賞したが、私が行った劇場は満員でびっくりした。


しかし、今作は、そんな熱烈な『仮面ライダーオーズ』のファンたちを真っ二つに分断してしまう作品となった。
というのも、今作の結末がかなりの物議を醸し出すことになったからだ。


そんな今作が『仮面ライダーオーズ』の完全新作として何を成し遂げようとしたかに迫りながら、今作の感想を述べていきたい。


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この記事には、映画『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』や『仮面ライダーオーズ』、その他関連作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。


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いつかの“明日”に手が届く!

「続編」と「完結編」とではニュアンスが違うことを、まずは念頭に置いておきたい。


「続編」であれば、単純に『仮面ライダーオーズ』の最終話の後の物語を描く必要がある。
そして、『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX』や『仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL ビルド&エグゼイドwithレジェンドライダー』などの続編がこの10年の間に既に作られていた。

また、最終話後を描いたわけではないが、『仮面ライダージオウ』の『EP09 ゲンムマスター2016』と『EP10 タカとトラとバッタ2010』も広義に捉えると「続編」にあたる作品だろう。


一方で、「完結編」であれば、『仮面ライダーオーズ』の物語を終わらせる物語を描く必要がある。
「本気のオーズ完結編!」と銘打たれていたことからも、今作はそのように『仮面ライダーオーズ』の物語を終わらせることに重きを置いた作品であることが分かる。


そもそも、『仮面ライダーオーズ』の物語は、『最終話 明日のメダルとパンツと掴む腕』の時点でかなり綺麗に完結していたと感じる。
ヤミーを生み出してきたウヴァ・カザリ・メズール・ガメルは全員消滅した。
ラスボスである恐竜グリードは映司とアンクによって打ち破られた。
割れたタカコアメダル以外の残りのコアメダルはブラックホールに飲み込まれたり破壊されたりした。
アンクは欲しがっていた「命」を手に入れたことに喜びながら、割れたタカコアメダルを映司と比奈の手に残して姿を消した。
映司は「どんな場所、どんな人にも届く手、そして力」を欲していたことに気づき、それを手に入れる方法を知ることができた。
また、映司はアンクの消滅による喪失を抱えながらも、いつかアンクと再会することを信じて旅に出た。


しかし、『仮面ライダーディケイド』以降の『仮面ライダーシリーズ』作品は、最終話が完全な物語の終着点ではなく、最終話の先の物語として冬の劇場版がある。
よって、物語がどれだけ綺麗に最終話で完結したとしても、その劇場版では最終話の続きの物語を描かざるを得ない。
『仮面ライダーオーズ』の場合は、冬の劇場版である『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX』にて、アンクが「いつかの明日」に復活を遂げることが明確に描かれてしまった。
そして、『仮面ライダーオーズ』の物語の延長線上に「いつかの明日」という未来があることが判明したことにより、『仮面ライダーオーズ』は続きがある未完の物語であることがより強調された。


今作がただの「続編」ではなく「完結編」であったことからも、一度最終話にて綺麗に完結した『仮面ライダーオーズ』の物語を今度こそはしっかりと完結されるという強い意思を感じた
そして、「完結編」であるからこそ、今作では『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX』の先の未来である「いつかの明日」を描く他なかった。

復活の“代償”

アンクは、テレビ本編にて、世界を確かに味わうことができる「命」を欲していたことが描かれた。
そして、自身が「ただのメダルの塊」であるのにもかかわらず映司たちと過ごしている間に死ぬところまできたことに気づき、アンクは最終話にて消滅した。
このようにアンクが「命」を手に入れていたことを鑑みると、コアメダルを破壊されたことでアンクは最終話で「命」を落としたと解釈することができる。


今作の脚本を執筆した毛利亘宏氏はインタビューによると、そんなアンクを復活させたいという映司の欲望を叶えるには“代償”が必要だと考えていたと明言している。

じゃあ、いったいどうすれば映司の望み通り、アンクが復活できるのか。それには大きな代償が必要なはずで、アンクが復活するという条件を満たせるような代償なんて、ひとつしかないんです。そうやって導かれたのが、今回の結末ですね。

— 『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』パンフレット


『仮面ライダーオーズ』の物語は、最終的には欲望を肯定した作品である。
たとえば、鴻上が、欲望のことを「純粋で素晴らしいエネルギー」と考えており、「生きるとは欲することであり、欲望はその原動力ともなる」とも語っていた。
また、『最終話 明日のメダルとパンツと掴む腕』にて、石知世子が比奈に対して「もっと欲張っていいじゃん」と説くシーンもあった。
アンクを復活させたいという映司の欲望は、その「もっと欲張っていいじゃん」という考えにたしかに即している。


しかし、少女を救えなかったという過去からも、「命」は一度落としたら取り戻すことができない不可逆的なものであることを、映司はしっかりと知っているはずだ。
だからこそ、映司にとってその過去はあれほどのトラウマになったのだろう。
アンクを復活させたいという欲望はそんな「命」の不可逆性に逆らうものでもあるため、『仮面ライダーオーズ』の物語の根幹を揺るがすものでもある


人間の「命」とグリードの「命」はそれが成り立つロジックは異なるものではあるが、人間もグリードも同じ「命」であることが最終話で結論づけられた。
よって、アンクを復活させたいという映司の欲望は、「もっと欲張っていいじゃん」のメンタリティにたしかに即してはいるが、同時に、アンクの「命」だけ可逆的なものとして特別扱いをすることになるため、これまでの物語との矛盾を抱えることとなった。


もし今作ですんなりと復活させてしまうと、『仮面ライダーオーズ』が大切にしてきた「命」の不可逆性を軽視してしまうことにもなる。
そう考えると、アンクを復活させたいという映司の欲望を叶えるために“代償”を付与することは、これまでの物語との一貫性を保つためにもある意味必然であったと考える


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一人で背負い込む映司

今作では、映司が瀕死の状態になったことがきっかけで、アンクは復活することができたことが描かれた。
そして、映司がそのような状態になったのは、映司が古代オーズの攻撃から少女を救ったことが影響だ。


この展開については、脚本家の毛利氏はインタビューにて以下のように述べている。

毛利 […] ひとりの少女を救うことができなかったという無念の思いから逃げるということをせず、その事実と向き合って生きていた。そんな人物が、自分のいちばんの願いを叶えたところで死んでいく。悲しい結末ですが、火野映司の物語は、こうならざるを得なかったのかなと、どこかで思っています。

— 『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』パンフレット

この毛利氏の言葉からも、この展開は、内戦に巻き込まれた少女を救うことができなかったという映司の過去を模したものであることが分かる。


テレビ本編にて、この過去がきっかけで映司は「どんな場所、どんな人にも届く手、そして力」という欲望を諦めて蓋をしていたことが明らかになった。
だからこそ、自分ができること以上のことはできないと割り切るようなところもあった。
そんな映司は、アンクと出会ってオーズになったことでその欲望は既に叶っていたことに気づき、その力で世界を終末の危機から救うことができた。
また、最終話にて、真木との戦いが終わり変身を解除された映司が空から落ちてきて、後藤や比奈、知世子、伊達に手を差し伸べられたときに、映司は周りの人たちと手を繋ぐことででも「どんな場所、どんな人にも届く手、そして力」が手に入ることに気づいた。
つまり、テレビ本編にて映司は、少女を救うことができなかった過去のせいで蓋をしていた欲望を取り戻し、その欲望の叶え方にも気づくことができた。


たしかに、映司の中では、少女を救えなかった過去に対する後悔はテレビ本編終了後にも残っていたことは容易に想像できる。
だからこそ、その過去と同じ状況に遭遇したときに、映司であれば身を挺して少女を守ろうとするに違いないし、救うことができたら心の底から満足するであろうことが想像できる。
よって、今作で映司が少女を救った展開にはこれまで描かれてきた映司の人物像とは何ら矛盾はない。


しかし、今作がテレビ本編の後日談であることを鑑みると、この展開には物語上の矛盾があると考える。
というのも、この展開は、周りの人たちと手を繋ぐことででも「どんな場所、どんな人にも届く手、そして力」が手に入る、といったテレビ本編における気づきに反くものであるからだ。
最終話で映司が後藤に「もう何でも一人で背負い込むのはやめろ」と言われたのにもかかわらず、今作では映司は古代オーズに対して一人で戦っていたし、一人で少女を身を挺して救った。


たとえば、『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム』や『仮面ライダー平成ジェネレーションズ FINAL ビルド&エグゼイドwithレジェンドライダー』に映司が登場した際は、その作品の主役として代表して映画に登場するというメタ的な理由があったため、他の登場人物と一緒に戦っていないことには視聴者も目を瞑ることはできた。
しかし、今作には、伊達や後藤など、テレビ本編に登場したほぼ全ての主要人物が登場しているのにもかかわらず、映司一人に全てを背負い込ませた。
よって、この展開は最終話において描かれたこととは明らかに矛盾していて、結果的に『仮面ライダーオーズ』という作品がこれまで描いてきた物語との一貫性が損なわれたと考える。

結論

今作が「完結編」として制作されたからこそ、アンクが復活する「いつかの明日」をもって『仮面ライダーオーズ』の物語を終わらせる必要があった。
そんなアンクの復活は、『仮面ライダーオーズ』が描いてきた「命」の不可逆性に逆らう行為であるため、映司が“代償”を払わないといけなかったことは合理的だ。
そして、今作では、その”代償”として映司に自身の「命」を犠牲にさせた。
しかし、この結末は、周りの人たちと手を繋ぐことで「どんな場所、どんな人にも届く手、そして力」が手に入る、といった『仮面ライダーオーズ』が最終話で導き出した結論に反くことにもなった。
その結果、『仮面ライダーオーズ』の物語との一貫性を保とうとした今作が、皮肉なことにその物語との矛盾を生み出してしまった。


ただ、アンクの復活という禁断の欲望に釣り合うほどの“代償”は、映司に自身の「命」を犠牲にさせることくらいしか考えられない
そう考えると、「いつかの明日」を描くうえでは、この矛盾が発生することがある意味必然であったと感じる
毛利氏ではなく、たとえテレビ本編のメインライターを務めた小林靖子氏が今作の脚本を担当していたとしても、この矛盾は避けられなかっただろう。
だからこそ、「いつかの明日」は決して美しい結末にはなり得なかった。


最終話にて美しく完結した『仮面ライダーオーズ』という作品にとっては、「いつかの明日」は永遠に描かれない方がきっと美しかっただろう。
だが、10年の時を経て成長した『仮面ライダーオーズ』の主要キャストが再び集まる姿を見ることができた点では、私は今作が存在してくれてよかったと心から感じた。
今後も『仮面ライダーシリーズ』において色々な過去作の完全新作が生まれてくれることに期待したい。

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