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感想『仮面ライダーゼロワン』の“お仕事五番勝負”はなぜつまらないと言われているのか

絶賛放映中の令和1作目の仮面ライダー、『仮面ライダーゼロワン』。
人工知能搭載人型ロボである「ヒューマギア」が人々の仕事をサポートする世の中を描き、そのヒューマギアを開発・派遣する「飛電インテリジェンス」の社長である飛電或人を主人公に据えた非常に意欲的な作品だ。


そんな今作の1話から16話にかけて放映された第一章「滅亡迅雷.net編」では、人間の絶滅を掲げるヒューマギアのテロリスト集団である滅亡迅雷.netとの攻防を描いた。
一方で、17話から29話にかけて放映された第二章「ZAIA“お仕事勝負”編」では、飛電或人が代表取締役社長を務める飛電インテリジェンスと、天津垓が日本支社長を務めるZAIAエンタープライズとの対立にフォーカスした。
そして、天津垓が提案した“お仕事五番勝負”は、飛電インテリジェンスが用意したヒューマギアと、ZAIAエンタープライズが販売するザイアスペックを装着した人間が、様々なお仕事で対決する勝負だ。


そんな“お仕事五番勝負”に対する視聴者からの批判が最近特に目立つ。
この記事では、このような批判がなぜ起こっていて、果たしてこれらは的を射ているのかを、考察していきたい。


ちなみに、『仮面ライダーゼロワン』は「東映特撮ファンクラブ」で視聴することができる。


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この記事には、『仮面ライダーゼロワン』やその他関連作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。


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脅威に対する悪意

第1章では、ヒューマギアが実際の職場で活躍している姿を描いた。
一方で、第2章で行われた“お仕事五番勝負”では、人間とヒューマギアが対決をするという構図により、人工知能の弱点がより明確になった


一回戦の「生け花対決」では、「心」を持たないヒューマギアが、人間の心の機微が出る生け花の仕事で勝負する姿を描いた。
二回戦の「家売り対決」では、「暮らしの経験」を持たないヒューマギアが、暮らしの空間を提案する家売りの仕事で勝負する姿を描いた。
三回戦の「裁判対決」では、「正義感」を持たないヒューマギアが、人間の人生を左右する裁判の仕事で勝負する姿を描いた。
四回戦の「消防士対決」では、「命」を持たないヒューマギアが、人々の命を救う仕事で勝負する姿を描いた。
五回戦の「演説対決」では、「参政権」を持たないヒューマギアが、ヒューマギア自治都市構想の住民投票に向けて演説で対決する姿を描いた。


そして、それらの仕事の中で、ヒューマギア側に欠けているところを補いながら活躍していく様を描いた。
「生け花対決」の一輪サクヨは、生け花の知識やその極意をラーニングすることで、まるで心があるかのように生け花を生けた。
「家売り対決」の住田スマイルは、不動産のビッグデータと個人情報を照らし合わせることで、顧客のニーズに合わせた精度の高い住宅情報を紹介した。
「裁判対決」の弁護士ビンゴは、相手の表情などを分析して嘘をついているかどうかを判断することで、被告人の冤罪を晴らした。
「消防士対決」の119之助は、スキャナーによって要救助者の負傷度合いを判断したり、命を持たないことを活かして自己犠牲を払ったりすることで、火災に巻き込まれた人々の命を救った。
「演説対決」のMCチェケラは、ヒューマギアならではの能力を見せることはなかったものの、得意のラップを通してヒューマギアが人間の仲間であることを街頭演説で主張した。
このように、「心」「暮らしの経験」「正義感」「命」「参政権」といったヒューマギアが持たないものを必要とする仕事の中でヒューマギアがどのように活躍していくかを”お仕事五番勝負“のそれぞれの対決で描いた。
そして、弱点をかかえる仕事でもヒューマギアが能力面では人間に拮抗していることが判明した。


その影響で、人間がヒューマギアに対して悪意を向け始めたことが、第1章の諸々の展開と比べたときの大きな特徴だと言えよう。


その悪意の向け方として、人間がレイダーになりヒューマギア側の勝負を阻害することが多々あった。
「生け花対決」と「家売り対決」では、仕事を失う脅威に怯える人間側の代表である立花蓮太郎や新屋敷達巳。
「裁判対決」では、ヒューマギアに冤罪が晴らされて自分の検挙率が下がることを恐れた刑事の鳴沢益治。
「消防士対決」では、ヒューマギア側が負けるように仕向けようとしたZAIAの開発部主任の京極大穀。
人間がヒューマギアに悪意を向けレイダーになったのは、ヒューマギアが弱点をかかえる仕事でも人間と同等かそれ以上の成果を残せているからこそである


人間は、自分の立場や状況、更には仕事そのものまでもを脅かす存在に対して悪意を向けるきらいがある。
人工知能搭載人型ロボであるヒューマギアも、或人が主張してきたような「夢のマシン」であると同時に、現代の人々にとっては一つの「脅威」だ
人間の仕事を人間以上にこなすことができる人工知能が登場する未来は、現実世界でも十分にあり得ることである。
また、以下の記事で記載されているように、人工知能によって代替される可能性のある仕事は非常に多いため、人間が仕事を失う可能性も危惧されている。


『仮面ライダーシリーズ』は、その時代の人々にとっての「脅威」を敵側に配置したり、物語の構造そのものに盛り込んだりすることが多々ある。
たとえば、『仮面ライダー龍騎』では、アメリカの同時多発テロ事件を受けて異なる価値観を持つ13人のライダーが各々の「正義」のためにお互いの命を奪い合うライダーバトルを物語の根幹に据えたり。
『仮面ライダー鎧武』では、東日本大震災を受けて「理由のない悪意」であるヘルヘイムを怪人であるインベスの発生源であったり。
そして、人工知能の進歩がめざましい今、現代人にとっては人工知能も「脅威」なのかもしれない。


だからこそ、ヒューマギアのことを「脅威」とみなす人間がヒューマギアに対して向ける悪意を描くことは、今作では避けては通れない道だった。
そして、人間の悪意を描くうえでは、人間がヒューマギアと直接対決することでその脅威としての側面を実感することができる“お仕事五番勝負”という構造は非常に好都合だったと言えよう。


更には、ヒューマギアがマギア化していたのも、結局そのような人間の悪意が原因だったことが“お仕事五番勝負”を通して描かれた。
というのも、レイダーに変身した人間側に襲われたことや、垓に挑発されたことが、ヒューマギアのマギア化につながっていたからだ。
このことから、人間からラーニングするヒューマギアが「有罪」か「無罪」かは、人間のヒューマギアとの向き合い方次第であることが分かる。
“お仕事五番勝負“が、人間がヒューマギアのことを脅威に感じて直接悪意を向けるような構造だったからこそ、人間のヒューマギアとの向き合い方の大切さを強調することができていたと感じる。


このようなテーマ性の都合上、大体の人間がヒューマギアに対して好意的に接していた第1章とは対照的に、“お仕事五番勝負”では悪意を持つ人間が増えた。
ただ、我々視聴者も第1章で既にヒューマギアに対して好意的な印象を抱いているため、ヒューマギアに対して悪意を向けてくる人間側に対してどうしてもフラストレーションを感じざるをえなくなった。


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垓の不正行為


“お仕事五番勝負”を提案した側なのにもかかわらず、垓は、対戦相手のヒューマギアのマギア化を誘発することで勝負を乱し続けた。
「生け花対決」と「家売り勝負」では、垓に脅迫されたZAIA側の対戦相手の人間に悪意を向けられたせいで、一輪サクヨや住田スマイル、最強匠親方は負のシンギュラリティに達し、アークとの無線接続によりマギアになってしまう。
「裁判勝負」と「消防士対決」では、シンギュラリティの兆候を見せた弁護士ビンゴや119之助のことを垓が危険視し、ゼツメライザーを無理矢理装着してマギアにさせる。
「演説対決」では、MCチェケラが垓に挑発され、自らの意思でゼツメライザーを装着してマギアになる。


このように、ZAIA側の反則行為が横行していたことにより、勝負はフェアプレイではなくなった。
更に、一回戦で不正を行った立花蓮太郎のことを糾弾したこともあり、垓の行動に一貫性がないように思えることもあった。


だが、そもそも、 天津垓が“お仕事五番勝負”を仕掛けたのは、ZAIAエンタープライズの利益の追求と、飛電インテリジェンスの獲得が目的であったと考えると、垓のそのような行為にも合点がいく。
ヒューマギアとの対決はZAIAスペックの販促になり、飛電インテリジェンスを手に入れることにもつながるため、垓にとって“お仕事五番勝負”への勝利は必須だ。
だからこそ、ZAIAエンタプライズの評判を下げるような手段を使わずに勝負に勝てさえすればいいのだ。
人間の悪意に反応してヒューマギアがマギアになってしまう現象は、垓や世間からしてみればヒューマギアの脆弱性である。
ヒューマギアの負のシンギュラリティを誘発したり、意思を持つヒューマギアにゼツメライザーを装着したりしたのは、ヒューマギアのそんな欠陥を上手く利用した行為と捉えることができる。
そして、ライバル企業の商品であるヒューマギアの評判を落とすことが、相対的にZAIAの評価向上にもつながる。


「ZAIAエンタープライズの利益の追求」と「飛電インテリジェンスの獲得」を目的に行動していたのだと考えると、勝負にフェアプレイで挑まなかったことも当然だし、垓の行動には一貫性があることが分かる。


「人類は人工知能と共存すべき」という飛電或人や飛電インテリジェンスの主張が、第1章からはブレずに描かれ続けた。
一方で、「人工知能は人類の進化に利用するべき」という垓やZAIAエンタープライズの主張が第2章で描かれた。
この両者の主張の違いは、それぞれの会社の商品であるヒューマギアとザイアスペックの性質の違いにも明確に現れている。
そして、それらの主義主張がぶつかり合い、どちらが正しいのかを証明する場として、垓は“お仕事五番勝負”を持ちかけたはずだ。


だが、そんな両者の主義主張の対立を競うことはあくまでも勝負の表面上の目的であり、実際には垓が自身の真の目的を達成するために勝負を利用したに過ぎず、或人もまんまとそれに乗せられてしまっていた
だからこそ、不正を働いてまでして動く垓に対する苛立ちが生まれ、それに振り回される或人に対しても不満を感じてしまった。


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「お決まり」の流れ

そんな“お仕事五番勝負”の様子は、合計で10話にわたって描かれた。
しかし、その構成自体は非常にワンパターンだったと私は強く感じる。


その大きな原因として、“お仕事五番勝負“中の「お決まり」の流れが確立されてしまったことが挙げられる。
つまり、二話ごとに登場するヒューマギアと仕事こそは違うものの、非常に似たような流れの物語が五回も続いた。


以下が、“お仕事五番勝負”の各勝負の大まかな流れだ。
飛電インテリジェンス側の人間とZAIAエンタープライズ側のヒューマギアが対決。
ヒューマギアに対する悪意を持った人間がレイダーに変身してヒューマギアを攻撃。
シンギュラリティに達したヒューマギアはマギアに変身。
そんなヒューマギアの危険性を垓が主張。
(「演説対決」以外では) 最終的に人間とヒューマギアが和解。


ただでさえ“お仕事五番勝負”という比較的狭い世界の中で物語が展開されているのにもかかわらずこのような「お決まり」の流れができてしまったからこそ、意外性がなくなり、面白みもなくなったのだろう。


更に、一話に一体のヒューマギアとその仕事にフィーチャーする一話完結の方式の第1章とは違い、“お仕事五番勝負”では二話完結で行うようになったことも原因に挙げられる。
二話にわたって展開される「お決まり」の流れの勝負が五回もあったため、結果的に“お仕事五番勝負”が10話も続き、飽きにつながった。


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結論


なぜ“お仕事五番勝負”はつまらなかったのか?
その理由を端的にまとめると、10話にわたり5回も繰り返される「お決まり」の流れの中で、我々が好感を持つヒューマギアに対して人間が悪意を向け続け、更には主人公である飛電或人が我々が嫌う天津垓の掌で踊らされ続ける話を観続けないといけなかったからだ。
そして、その勝負の結果或人側が負けてしまったのだから、“お仕事五番勝負”だけにフィーチャーすると、我々はカタルシスを感じるどころか、フラストレーションが溜まる一方だ。


たしかに、「人工知能の欠点」や「脅威に対して人間が向ける悪意」といった面白い題材はあった。
だが、あまりにも我々がフラストレーションを感じる要素が多かったため、”お仕事勝負“はもう少し短くてもよかったのかもしれない。


色々とつらつらと述べてきたが、私は『仮面ライダーゼロワン』が描こうとしているテーマそのものは時代に即していると思うし非常に楽しんで観ている。
だからこそ、私は第3章での挽回に期待したい。




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