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感想 『テセウスの船 (テレビドラマ)』の黒幕の正体がなぜ腑に落ちなかったのか

2020年冬にTBSの「日曜劇場」で放映された『テセウスの船』は、東元俊哉さんによる同じ題名の漫画を実写化したテレビドラマだ。
今をときめく竹内涼真さんを主演に据え、鈴木亮平さん、榮倉奈々さん、貫地谷しほりさん、上野樹里さんなどによる豪華キャストが、このミステリードラマを盛り上げていった。
『仮面ライダードライブ』の頃からずっと竹内さんのファンである私も、竹内さんの新たな姿が見られることを嬉しく思い、今作をリアルタイムで完走した。


そして、今作がミステリードラマであるからこそ、「犯人とその共犯者 (黒幕) は誰か」という謎がやはり今作の視聴者の関心を最も惹きつける内容である。
ドラマ自体は非常に楽しんで観ていたが、私が一視聴者として、なぜ黒幕の正体に納得ができなかったのかを、この記事では私の感想を交えながら説明していきたい。


私が原作漫画を読んでいないことに関してはまずご理解いただきたい。
また、テレビドラマや原作漫画に関するネタバレもあることに留意していただきたい。


テセウスの船(1) (モーニングコミックス)


この記事には、テレビドラマ『テセウスの船』やその他関連作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。


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時代を超えた家族愛

平成元年に21人の児童と教職員が命を落とした「音臼小無差別殺人事件」が発生し、その犯人として佐野文吾が逮捕された。
そんな文吾の家族である和子、鈴、慎吾、心は、現代では「殺人犯の家族」としてマスコミなどから追い詰められ、文吾が家族ではないと自分たちに言い聞かせながら暮らしていた。


第1話の冒頭における2020年の心は、家族を不幸に陥れたと思っていた父の佐野文吾のことを恨んでいた。
それが、タイムスリップをして音臼小事件が起こる前の佐野文吾と関わっていくなかで、それまでは知らなかった父の新たな一面が見えてくる。
そして、次第に心は父のことを信じるようになり、父が冤罪をかけられたことを確信する。
また、事件が起こる前は和子たちがどれだけ笑顔で暮らしているかを知り、佐野文吾の冤罪を晴らすことでそんな佐野家の平和な暮らしを取り戻したいと思うようになる。
それが動機となり心は、音臼小事件の発生を阻止しつつ、事件の真相究明に努める。


父と子供たちが家でプロレスごっこで盛り上がったり、記念すべき日にカニラーメンを食べたりと、佐野家の平和な日常に関する描写が、過去が描かれる回ではほぼ毎話しっかりと丁寧に描写されていた。
そんな日常を我々視聴者が観てきたからこそ、家族の未来を守りたいという心の思いに共感することができた。
そういう意味では、今作が映画ではなく、10話以上にわたって家族愛を描写できるテレビドラマで展開したことは正解だったと感じる。


また、佐野文吾と田村心の言動の至るところから、二人の間の時代を超えた“絆”が感じられる。
文吾のことを混乱させたくないからこそ、心は、自分が未来から来た息子であることや、未来で文吾が殺人犯の容疑をかけられて逮捕されることを隠したり。
お互いを危険な目に遭わせたくないからこそ、青酸カリが入っているかもしれないはっと汁を飲むなど、単独で危険な行動に出たり。
そして、自分の無実を信じてくれた心のためにこそ、文吾は、最後に正志の命を奪うことを躊躇したり。
二人がお互いのことを思いやっていることが、それぞれの言動を大きく左右する。
個人的には、ときには二人の不器用さにフラストレーションを感じることもあったが、一貫してお互いのことを思うが故の言動だったので納得はできた。


また、それらの言動のおかげで、家族全員揃って平和に笑って暮らせる未来に変わるという、今作の結末を迎えることができた。
2020年の心が平成元年に干渉した影響で佐野家の未来が完全に変わる、というところが今作のタイトル「テセウスの船」に繋がっているところからも、今作は常に「佐野家の家族愛」を物語の主軸に据えていたことが分かる。

タイトルの「テセウスの船」とは、ギリシャ神話がモチーフとなったパラドックス(逆説)のこと。 英雄・テセウスの船を後世に残すために朽ちた部品が全て新品に交換されることで、“この船は、同じ船と言えるのか?”という矛盾を問題提起するエピソードである。過去を変えても、未来の家族は同じと言えるのかという難しい課題に、主人公は挑んでいく。


はじめに|TBSテレビ:日曜劇場「テセウスの船」


そんな佐野家の家族愛に説得力があり、それぞれの言動の動機が家族愛によるものであると視聴者が理解できたからこそ、今作は非常に魅力的な作品になったと感じる。


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不可解な少年

音臼小事件やそれまでの連続事件を起こした犯人を探し出すことが、文吾の冤罪を晴らすための大きな課題として心に課せられた。
そんな犯人は、劇中で不気味な絵が度々登場したり、子供すらも容赦なく無差別に命を奪ったり、ワープロの日記から愉快犯であることが分かったりと、とにかく不可解な存在として描かれた。
その言動を辿っていくと、犯人の動機が視聴者には全く理解できない


結局、一連の事件の犯人が、1989年の頃はたったの5年生であった音臼小学校の加藤みきおであったことが明かされた。
たしかに、残虐で非道な一連の事件が無邪気そうな少年の所作であったことは、私含め多くの人にとっては意外性のある展開だ。
劇中の登場人物すらにとっても、子供の仕業であることは信じ難い事実だったことが描かれている。


だが、みきおの動機や心境を掘り下げていけばいくほど、それまでの連続事件の不可解な犯人像と一致していることが分かる。


みきおが佐野文吾に冤罪を着せた動機が、佐野鈴にとっての“正義の味方“である佐野文吾を排除することによって鈴にとっての唯一の“正義の味方”になるためことだったと、最終話で明かされる。
みきおは幼い頃に親を亡くしていたことが判明するが、愛する家族の未来のために行動する文吾や心とは鏡像関係になっている。
そして、みきおは家族愛を知らないからこそ、愛情欲求が歪んでしまったことが推測できる。
また、子供というのは未熟であるが故に予測不能な存在であるからこそ、「唯一の“正義の味方“になる」といった目的を果たすために無差別に人の命を奪う、という不可解な考えに辿り着いたのかもしれない。
このように、歪んだ愛情欲求と未熟な思考の持ち主であるみきおは、連続事件の不可解な犯人像と一致し、事件の不可解さも割と腑に落ちてしまう


そして、犯人がみきおだと判明した第7話以降の解決編で、みきおの狡猾さが顕になる。
例えば、和子に毒入りのスープを飲ませようとしたり、音臼小事件当日が間近になると突然姿を消したりして、未来ノートに書かれていなかったような出来事を起こして心たちを混乱させる。
更には、自身が子供であるが故に村民からは犯人として疑われないことをいいことに、純粋無垢な子供であるかのように振る舞い、心や文吾が村民から警戒されるように仕向ける。
みきおの言動から賢さが垣間見えるため、それまでの連続事件をバレずに実行してきた犯人の正体としての説得力もある


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意外な黒幕

原作漫画でもみきおが犯人であることはドラマと共通しているが、みきおの共犯者に関してはドラマのオリジナル展開である。


そもそも、今作のようなミステリー作品をドラマで展開する大きなメリットとして、SNS等で視聴者が登場人物と一緒に考察や推理をしていくことで盛り上げることができる、といった特徴がある。
『3年A組 ー今から皆さんは、人質ですー』や『あなたの番です』
といった近頃盛り上がりを見せていたミステリードラマは、どれも原作がないオリジナル脚本だったため、この特性が非常に上手いこと活かされたと感じる。


一方で、今作には原作漫画があるため、既に物語の展開や犯人が原作を読んだ人たちには知られている。
よって、第2話が放映された段階で、ドラマの“真犯人”が原作とは違う旨を明かしたことで、今作は視聴者の関心を戦略的に惹きつけた。


結局、田中正志がみきおの共犯者であり、今作の黒幕であることが最終話にて明かされた。
田中正志がみきおに協力した動機は、キノコ汁に誤って毒キノコを入れてしまった音臼村祭事件の犯人として母親のことを逮捕し、自身の家族をバラバラにする原因となった佐野文吾への復讐だ。


親がお祭りの汁に毒物を入れた疑惑で逮捕され、その影響で家族がバラバラになり子供が悲劇的な人生を送る、という田中家の境遇は、2020年の佐野家と非常に似ている。
父ではなく母で、音臼小のお楽しみ会ではなく音臼村祭で、はっと汁ではなくキノコ汁である、といった違いがあるくらいだ。
そこまで言及はされていないが、恐らく正志は文吾に敢えて自分の母親と同じような罪を着せることで、佐野家を自分の家族と同じ目に遭わせようとしたことが推察できる。


どこからどこまでがみきおの単独行動で、どこからどこまで正志が加担していたのかは、結局最後まで明かされない。
ただ、音臼小事件を音臼村祭に敢えて似せたのであれば、音臼小事件においても正志はみきおと少なくとも共犯関係にあったことは間違いない。


無差別に罪なき子供たちの命を奪うような行動は、非常に不可解だ。
一方で、今作は、佐野家を通して家族愛が動機の根本にあるような言動に我々視聴者は理解を示すような作りになっている。
よって、愛する家族を崩壊させた文吾への復讐を動機とする正志には、その行為に賛同するかどうかは別として、我々は多少理解を示すことができるようになってしまっている。
最終話で、正志が抱いていた家族を救えなかった苦しみに気づけなかったことに対して文吾が正志に謝っていることからも、正志の動機は理解できるものとして製作陣が意図的に描いていることが分かる。


よって、我々が理解することができない無差別殺人事件の犯人像と、心境が理解できてしまう正志の人物像の間にはどうしても乖離が生じているように感じてしまった
たとえ正志があくまでもみきおを利用していたに過ぎないのだとしても、本当に愛する家族のために無差別に子供たちの命を奪う事件に加担してしまったのか、という疑問が浮かぶ。
つまり、家族のための復讐は、これほど残虐で非道な一連の事件を起こす動機として非常に違和感があるように思えた。
だからこそ、テレビドラマ版の黒幕の正体は腑に落ちなかった。


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結論

今作は、タイムスリップという非現実的な設定を用いながらも、佐野家の家族愛を絶妙なリアリティで巧妙に描くことに成功したと感じる。
そのため、佐野家の家族愛に多くの視聴者が理解を示し、心を響かされた。
このように、とある家族の家族愛の物語に視聴者が純粋に理解を示し、没頭できるように作られたことが今作の非常に素敵なところであると感じた。


だからこそ、不可解な一連の事件を起こした黒幕の動機が、家族愛に裏付けられたことに違和感を覚えざるを得なかった。
残虐で非道な事件なのでその動機が理解し難いものであるはずな
のにもかかわらず、まるで黒幕に同情するように作られているように感じてしまった。
その微妙な乖離があったからこそ、正志が犯人であることに私は正直あまり納得できなかった。


キャストやスタッフの尽力のおかげで印象に残った名シーンや台詞が多かっただけに、ミステリーの肝でもある黒幕の正体に関しては納得ができなかった点が非常に惜しい。




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