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仮面ライダー・映画・音楽に関する感想と考察。

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映画業界を目指していた仮面ライダーオタクの学生が就活を通して気づいたこと

私は、今年の3月に地方の某国公立大学を卒業し、4月から新入社員として働いている人間だ。
就職をしているということは、当然一年前は19卒の就活生として就職活動に勤しんでいた。
私が就職活動を通して経験できたことは数多くあり、その中で失敗したことや得られたことも数多くある。
この記事では、今年就職活動をする方々に向けて私の就職活動について話そうと思う。
現在就職活動中の方々にとって有意義な情報やアドバイスを一つでも提供できたら嬉しい。



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2017年6月: 悩み多き就職活動

必死に受験勉強して志望校に合格した私は、大学1年生の時から塾講師のバイトをしながら、学校の勉強を頑張っていた。
サークルも大学1年生の時に入って半年で辞めたため、勉強やバイト以外の時間は友達と遊んだり、月一ペースで旅行したりと、割と呑気に生きていた。


しかし、大学3年生の6月頃になると、周りがどんどん「就職モード」に入っていったので、私も焦って就職活動に取り掛かることにした。
それまで「働く」ことを本格的に意識したことがなかったが、受ける企業を検討していった時、真っ先に「某映画会社△」の名前が思い浮かんだ。
小学生の頃から大好きだった平成仮面ライダーシリーズに価値観や道徳観などの面で大きく影響を受けたため、私には平成仮面ライダーシリーズの製作に携わりたいという漠然とした思いはあったからだ。
『仮面ライダー電王』の主人公である野上良太郎が、身体的な貧弱さや運の悪さを物ともせず、精神的な強さを頼りに頑張って戦う姿が、幼稚園から海外で外国人に囲まれて育った小学6年生の私にとっては非常に魅力的に映った。

というのも、海外生活では言語の壁のせいで周りと馴染めなかったり、日本に帰国してからは海外で英語ばかり話していて日本語が滅茶苦茶だったせいで勉強で後れを取っていたりして、常に逆境にあったからだ。
そして、逆境に立ち向かうことができたのは、野上遼太郎の精神的な強さを見習って「頑張ろう」と思えたからだろう。
だからこそ、私は平成仮面ライダーシリーズが今でも大好きだし、また、今後の人生について考えたときに、仮面ライダーという未就学児から大人までが観る番組に携わることで更に多くの人々の価値観や道徳観の形成に携わりたいと感じた


だが、映画会社△は例年15人程度しか採用しておらず、なかなか倍率の高い競争になることは覚悟していた。
そのうえ、そもそも映画会社△だけに絞って就職活動をするわけにもいかないので、他の企業も受ける必要があった。
とはいえ、「平成仮面ライダーシリーズに携わること」にこだわっていたため、他の映画会社を受けるつもりはなかった。


よって、他の業界も受けるために、取り敢えず就活ナビサイトが主催しているインターンシップ合同説明会に行って、業界研究をすることにした。
そこで訪れた某電鉄会社のブースでビジネスモデルに関する説明を聞いて、私は鉄道業界ならではの「街づくり」を通して街をどんどん変えていくことができるところに魅力を感じた。
よって、鉄道業界の開発職や不動産業界も併願する形で就職活動を進めることを、大学三年生の7月時点で決めた。

2017年夏: 夏インターンでの挫折

第一志望の映画会社△の採用に関する情報があまりにもなかったうえ、インターンシップ等も実施していなかったため、翌年の3月になるまで動きようがなかった。
よって、私は業界や業務内容についての理解を深めることを目的に、映画会社〇のインターンシップを受けることにした。
前年に『シン・ゴジラ』や『君の名は。』といった大作を公開したばかりで、私自身もその二作が大好きだったため、たしかに映画会社〇に対する憧れはあった。

だが、前述した通り、私の将来の夢は単に「平成仮面ライダーシリーズに携わること」だったので、私には映画会社△以外の会社に就職するつもりはなかった。
そのうえ、映画会社〇が関西でも実施していたインターンが「映画宣伝コース」のみだったが、私はどちらかといえば映画製作の仕事に携わりたかった。
なので、映画会社〇の早期選考に進みたいなどの思いは特になかったが、映画業界に関する情報収集をする場としてインターンシップを活用したいと思い、応募した。


インターンの書類選考は、エントリーシートを書くいい練習になった。
インターネットで色々な例を見ながら書いたり、添削に出したりすることでエントリーシートの完成度を上げていった。
そして、映画会社〇に出したエントリーシートは無事に通過した。


次のステップである一次面接に進む前に、ある映画の宣伝プランの企画書を作成する、という課題を提出する必要があった。
こちらは過去の例を見ることができなかったため、企画書の作り方から全て自分で調べて作成していくしかなかった。
非常に難しい課題ではあったが、私が提案する企画のビジネスモデルを合理的且つ丁寧に説明することを心掛けた。


そして、その企画書を提出後に大阪支社にて一次面接 (集団面接) に挑んだ。
初めての面接であることと、一緒に面接を受けていた人の受け答えが優秀で自信を喪失してしまったこともあり、私はガチガチに緊張して挑んだ。
緊張のせいで声も震えて、最終的には面接官に「そんなに緊張しなくていいですよ」と言われたほどだった。
その言葉が更に私の緊張に拍車をかけ、結局思うように言いたいことが上手く伝えられなかった。


その後の一週間は、ドキドキしながら携帯の前で選考結果の通知を待っていた。
だが、あえなく落ちてしまい、私は映画会社〇のインターンには参加できなかった。
この時のショックはかなり大きかったが、私は場数を踏まずにいきなり面接に挑んだ自分の準備不足が問題であったと割り切った。


それ以降、私は諦めずに他の業界のインターン選考も受けた。
私が受けた鉄道業界の何社かは、エントリーシートやウェブテストは無事通過し、面接でもそれほど緊張せずに話したいことを話せたので割と好感触だった。
しかし、どれも面接のステップで落ちてしまい、インターンには参加できなかった。


最終的には、興味本位で受けた生命保険会社Sのdayインターンシップのみに受かった。
だが、グループワークや職場見学などを通して非常に刺激的な5日間を過ごすことができた。
また、そのインターンは東京で開催されたが、東京までの交通費や東京での宿泊先などを全て用意してくれるという超好待遇だったので、第一志望でないことに対する罪悪感が芽生える一方で、その会社に対する志望度は間違いなく上がった。
結果的に生命保険業界に対する関心は高まったものの、それでもやはり映画業界と鉄道業界に行きたいという思いの方が強かった。


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2017年冬: 冬インターン

秋は説明会への参加を中心に動いていたが、冬には夏には受けてこなかった企業のインターンに積極的に参加するようにした。
学校が主催する合同説明会等に参加して、そこで興味を持った鉄道会社やその他業界のインターンに参加することにした。
エントリーシートに書く自己PRや"学生時代頑張ったこと"などを整理したことが功を奏して、エントリーシートで落ちた企業はほとんどなかった。
しかし、鉄道業界は面接がどうも上手くいかずに、インターンへの参加権を得ることなく落ちてしまった。


結局、合同説明会で出会ったIT会社Nの長期インターンシップに合格したので、参加することにした。
そのインターンの2週間にも及ぶグループワークで大きな成果を上げたうえ、グループ内でもかなり活躍をしたので人事部の方に評価していただけた。
鉄道業界のインターン選考で落ち続けていたためかなり自信を喪失していたが、IT会社Nのインターンで評価されたことが結果的に自信へとつながった。


また、IT会社Nの人事の一人がかなり印象的で、彼の価値観と通ずるところを感じ取られたのも、収穫としては大きかった。
その人事の方は、学生がIT会社Nの本選考を受けるかどうかは関係なく、「現代を生きる若者の人生と本気で向き合う」ためにインターンを開催しているのだと教えてくれた。
そしてその仕事に誇りを持っているように感じられたのはかなり印象的だった。


このように、IT会社Nのインターンは私の就活に大きな影響を与えてくれ、非常に有意義な経験となった。
だが、第一志望と第二志望の業界のインターンシップには参加できていないことへの焦りを感じていたのと同時に、果たしてこの二つの業界だけに絞っていて大丈夫なのかと、不安に思うようになった。

2018年1月: 就活の軸の整理

そこで、3月の説明会解禁の前に、なぜ自分は生命保険業界よりも映画業界や鉄道業界に行きたいのだろうか、という疑問が私の中で芽生えた。
その答えを出すべく、私は改めて「就活の軸」を整理することにした。


まず、私はなぜ映画会社△と鉄道業界を志望しているのかを考えた。
映画会社△を志望するのは、多くの人々の価値観や道徳観の形成に携わりたいからだ。
そして、鉄道業界を志望するのは、魅力的な街を作ることで人の流れを作っていきたいからだ。


その二つの志望動機には「作る」「形成」というキーワードが共通していることに気づいた。(どこぞの天才物理学者風ですね。笑)


仮面ライダーを通した「人づくり」

私はそれまでずっと、勉強による「自分づくり」や、塾講師のアルバイトによる「人づくり」などに力を入れてきたことに気づいた。
「自分づくり」を今後も行っていくには、私が社会人として成長できる会社に身を置けばいいと思っていた。


だから、私はどちらかというと「人づくり」というところに着目することにした。
思い返してみれば、IT会社Nの人事の方との出会いから「誰かの人生と本気で向き合う」という生き方にも感銘を受けたため、「人づくり」に関心を持ち始めている自分がいることに気づいた。


そこで、自分は企業選びをする際になぜ「人づくり」ができる塾講師や教師の仕事を無意識に避けてきたのか?という一つの疑問が浮かんだ。
悩むうちに、私の中で二つの答えが出てきた。


一つ目は、生徒にとって先生は絶対的な存在であるため、この仕事をしていると生徒に私自身の価値観や道徳観を押し付けてしまうことになるのが嫌だったからだ。
よって、押し付けがましくない形で私なりの価値観や道徳観を伝えることができて、そこから相手に任意でメッセージを受け取ってもらえるような”テレビ”や”映画”という媒体に着目した。
しかも、特撮などの特殊な映像表現は子供たちの心に残り、その後の人生の人格形成に長期的な影響をもたらす力がある。
そういう意味では、私が行いたい「人づくり」にとっては特撮という媒体が必要だと感じた。


そして二つ目は、私は日本中の人の価値観や道徳観の形成に影響を与えられるような存在になりたいのに、先生は目の前の生徒の「人づくり」にしか携わることができないからだ。
より多くの人の「人づくり」に影響を及ぼすことができる手段が必要だと感じた私は、一家に一台は普及している”テレビ”で未就学児を含む老若男女問わず不特定多数の日本人に観てもらえる”仮面ライダーシリーズ”という長き伝統を持った媒体に着目した。


それらの理由に加えて、私が純粋に平成仮面ライダーシリーズが大好きだからこそ、私は「人づくり」を行う手段として平成仮面ライダーシリーズに拘っているのだと気づいた。

もう一つの「〇〇づくり」

次に、なぜ私は第二志望の鉄道業界で「街づくり」を行いたいのだろうか?という疑問が浮かんだ。
そのために私は自身の過去の経験を振り返った時に、梅田駅の開発やあべのハルカスの建設など、限られた土地を利用した開発を通して大阪の街がどんどん変わっていって豊かな街が作り出される姿を見て育ったため、街の成長に魅了されているのだと気づいた。
そして、私が育った大阪の空間に更なる価値を創出したいという思いから、関西を中心に面的開発が行える鉄道業界に就職したいのだと分かった。


生きている限り、人々は何かしらの空間の中で生きている。
なので、人々が暮らす空間をより快適にすることができたら、人々の人生に長期的な影響をもたらすことができる。
長期的な影響をもたらすことができる点では、私の「人づくり」の軸とも通ずるところがあることにも気づいた。


今回自分自身の軸を整理したおかげで、私がやりたいことは「街づくり」だけでなく「空間づくり」とも言えるのだろう、と気づくことができた。
よって、私は大阪を中心に日本全国の「空間づくり」に携われる企業に対象を拡大して就活を行うことにした。


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2018年3月: 本選考解禁

3月の本選考解禁と同時に、私はできる限り場数を踏むために動き始めた。


就活に専念するためにも、大学1年生の頃からずっと働いていた塾のアルバイトも暫くお休みをいただいた。
受験期を迎える生徒を多く担当していたため、その時期に抜けるのは正直心苦しかったが、他の講師にお願いしたりして何とか生徒全員の理解を得た。
私のスケジュール帳は就活の予定のみになり、いよいよ就活に全身全霊で挑める状態になった。

生命保険会社Sの早期選考

生命保険会社はもう志望していなかったものの、夏インターンに参加したおかげで早期選考に乗れたため、生命保険会社Sも受けた。
解禁日前からエントリーシート提出やウェブテスト、グループディスカッションなどが実施されていていたため、解禁日直後の時期には早速面接を受けることができたのは有難かった。
生命保険業界の特徴としてかなり自己分析を入念にする必要があることを知っていたため、私は幼少期から現在に至るまでの出来事を全て洗い出して、かなり論理的に自己分析した。
また、就活サイトの先輩の体験談も参考にして、聞かれる質問を想定してその答えもある程度用意するようにした。
そして、自信が生まれたり場数を踏んだりしたおかげか、映画会社〇のインターン選考を受けた際に感じた緊張などはなく、非常に落ち着いて話すことができるようになっていた。
生命保険会社Sは一面接から三次面接までを全部無事に受かることができ、最終面接に進むことができた。


それまでの生命保険会社Sの選考は全て大阪の貸会議室で行われたが、最終面接は、私がインターンの際に職場見学で行った丸の内のオフィスビルにある東京本社で行われた。
私が就活サイトで事前に確認した際には面接官は一人だと書いてあったが、面接室へと誘導されたときに面接官が三人も並んでいたため、私は想定外の出来事に圧倒されて再びガチガチに緊張してしまった。
これまでの面接と同じように話すことを心掛けてきたものの、頭の中が真っ白になり思うように話すことができなかった。


そして、私は一つの大きな間違いを犯してしまった。
何かの質問に対して私が、所属していたテニスサークルを半年で辞めてしまった旨を話した瞬間、面接官の表情が明らかに曇ったのが分かった。
辞めた理由もしっかりと話せるように対策をしていたので圧迫される心配はあまりしていなかったが、話し終わった後も面接官たちは複雑な表情を見せていたため、私はその理由を必死に考えた。
そして、二次面接でサークルに所属していないと発言したことをふと思い出した。
二次面接では辞めたことを追及されるのが怖かったので最初からサークルに入っていなかったことにしたが、最終面接では別の答えをしてしまったため、最終面接の面接官には「嘘つき」で「信用できない」人間と認識されてしまったのだろう。
そのミスに気付いてしまった瞬間、私は最終面接で落ちてしまったことを確信した。
結局、面接の残りは消化試合のようになり、質問も適当になっていった。
仕舞いには、三人の面接官のうちの一人が最終的には寝てしまうという異常な出来事すら発生した。


勿論、誠意が問われる金融機関の採用面接で、嘘と見なされるような答えをしてしまった私が100%悪かった。
しかし、その会社の代表であるおえらい人事の人間が私の前で寝てしまったことは非常に気分が悪かったし、どこか軽蔑されている気分になった。
結局、私はこの面接で自分のプライドと自信が削ぎ落された気がして、帰りの新幹線の中で不採用通知のメールが来た時は恥ずかしながら悔し泣きをしてしまった。

初めての内定

インターンに参加したIT会社Nは、インターン生特別選考で選考を進めてくれた。
選考解禁の時点で正直私のIT業界に対する興味は殆どなくなっていたが、「現代を生きる若者の人生と本気で向き合う」と言っていた人事の方と一緒に働きたいとは思っていたため志望度はそこそこあった。
また、内定がないことへの危機感もあったため、私は選考を受けることにした。


その企業は、人事の方々との相談会を沢山設けてくれ、非常に親身になって私のキャリアのことを考えてくれた。
自己分析の手伝いをしてくれたり、面接を突破するための話術を伝授してくれたりして、本当に「私の人生と本気で向き合ってくれている」ように感じられた。
そのうえ、人事の方々は私のインターンでの活躍をかなり評価してくれていたため、選考でもかなり優遇してくださった。
なぜそう思えたかというと、インターンで同じグループだった就活生たちと話していると、私だけ明らかに選考で速く進んでいることが分かったからだ。
それが結構私の自信につながったが、同時にIT業界自体にあまり関心がない私を贔屓してくれることに対する申し訳なさも生じた。


それでも、やはりどうしても内定が欲しかった気持ちもあり、IT会社Nの面接で「正直に志望度を教えてほしい」と言われても、私は「第一志望です」と言い続けて、何とか内定をもらおうとした。
そして、インターンやリクルーター面談で吸収した知識を活かして何とか志望動機を練って、相談会でフィードバックをいただくたびに話す内容をブラッシュアップしていった。


私はIT会社Nの選考をどんどん突破していき、気が付いたら最終面接に案内されていた。
人事の方には、最終面接では志望度が非常に重要になってくると言われたが、私はその時点でもあまり志望度がなかった。
IT業界に関心がない私が感情を込めて志望動機を熱弁することは難しい、と考えたため、私は会社を第一志望にする理由を論理的に説明することにした。
そして、最終面接の場で、私とその企業がマッチする理由を、私の過去の体験談などをこじつけて論理的に語った。
結構詰められた部分もあったが、想定内の質問が多かったため私は何とか「第一志望です」というスタンスを貫いて面接を乗り切ることができた。


そして、GW明けの一週間後にはIT会社Nから待望の内定通知をいただいた。
漸く企業に私のことを認めてもらえたことがめちゃくちゃ嬉しくて、その時は心の底から喜んでいたことをはっきりと覚えている。
しかし、同時に私の中でこの内定はゴールではないことを改めて確信した。
人事もの方々も、「他の企業も受け切ってから決めたい」という私の思いを理解してくれたため、内定受諾を6月中旬まで保留してくれた。
とはいえ、内定は一つ確保できたため、私は少しは心の余裕を持って他社の面接に挑める状態となった。

2018年5月: 第一志望、映画会社△

東映特撮ファンクラブで配信されている『白倉伸一郎プロデュース作品を振り返る』では、ある程度映画会社△のプロデューサーたちがどのように働いているのかを知ることができた。
非常にタフな仕事である印象は受けたが、同時に作品愛がある方々だからこそこなせる仕事であると実感した。
しかし、それでも映画会社△の仕事や業務についてほとんど何も知らなかったため、私は関西開催の説明会全てに参加するようにした。
学内限定のものもあったので一部には行けなかったが、最終的には説明会に三回参加した。
三回全てで同じ人事部の方が話していて、更には内容も同じスライドを使って話していたため、正直新情報などを得ることはなかった。
後に振り替えると説明会に費やした時間は私にとっては結構無駄な時間だったのかもしれないが、それでも説明会に三回も参加したことで志望度は間違いなく上がったと思う。


この説明会で得た情報を踏まえて、私はエントリーシートの執筆に取り掛かった。
映画会社△のエントリーシートには「好きな映画とその理由」「自分が芸能デビューするならつける芸名」などの変わった設問が用意されていたうえ、「ヒーロー」というテーマで作文を書く必要もあった。
非常にトリッキーな質問ばかりだったので、これまでのレパートリーでは対応できないことに対する不安はかなりあった。
当然映画会社△は第一志望だったのでしっかりと書きたかった気持ちもあるが、映画会社△はエントリーシートの通過率が低いことを知っていたため、私はその執筆に一か月以上を費やした。
大学のキャリアセンターで相談したり、就活塾の方に添削してもらったりして、とにかくエントリーシートの精度を上げていくようにした。
私は映画事業部ではなくテレビ事業部を志望していたが、好きな映画では私の価値観が分かるような映画を上げてそれについて熱く語った。
また、作文では、私が『仮面ライダー電王』によってどのように影響されたかを書くことで、志望動機に繋げることを意識した。


そしてこのエントリーシートは無事通過し、次のステップである一次選考に進むことになった。
前年度は初めて一次選考でグループディスカッションが実施されたという情報は手に入れていたが、今年度はどうなるのは正直分からなかった。
しかし、「一次面接」ではなく「一次選考」という案内がメールで来たことから、恐らく一次選考はグループワーク或いはグループディスカッションであると推測した。
勿論、当てが外れて面接だった場合も想定しないといけなかったので、面接で聞かれそうな質問などを洗い出して入念に対策をした。
だが、グループワークの対策のしようがなかったため、一次選考の次のステップであろう筆記試験の勉強をすることにした。
筆記試験の内容についてもあまり情報がなかったため、とりあえず成美堂出版の問題集でSPIにも備えて勉強をしつつ、友達の勧めで買ったマスコミ漢字の本を解いて対策することにした。

加えて、時事問題が出ても対応できるように、日経新聞を購読することにした。


過去何年かのデータによると、映画会社△の一次選考を突破できる人数はかなり限られていていることが分かっていたため、かなり危機感はあった。
6人班のグループワークだと仮定すると、一つのグループから一人しか筆記試験に進めていない計算だった。
かなり頑張らないと受からないことは予測できたので、私はヒヤヒヤしながら選考の日までの時間を過ごした。


そして5月中旬に一次選考を受けるために映画会社△の関西支社に行った。
選考室に入ってテーブルの配置を見た瞬間、私の予測が当たっていてグループワークであることを理解した。
予測が当たったのはよかったが、正直グループワークの課題の検討がつかなかったうえ、それまでの企業での私のグループワーク (ディスカッション) 通過率が丁度50%くらいだったため、一番苦手な選考でもあった。


グループワークの課題は、メンバー全員でひょうたん島の地図を完成させることだった。
私のグループには男性が私含め2人と、女性が4人いる、計6人のグループだった。
プロデューサー職を目指していたということで、私は全員を上手いことまとめることを意識した。
グループワークが円滑に進むように適宜グループに対する提案をして、全員が従ってくれたおかげで地図作成は割と難なく進んだ。


しかし、制限時間残り15分になってもひょうたん島の地図は全然完成していなかった。
その状況にかなり焦ってしまった私は、グループワークを効率よく進めるためにメンバーにとある提案をした。
メンバーのほぼ全員が私のその提案を受け入れたが、一人の女の子Aさんだけが私の提案に反対した。
限られた時間で余計な議論はしたくはなかったため私は反論しなかったが、今度はメンバー全員がAさんの反対意見に賛同してしまい、結局は私の提案を採用しないことになった。
それがきっかけで完全にAさんにグループの主導権を握られてしまって、グループワークは終了した。


結局グループワークで大して成果を上げることはできなかったが、グループで全員から一番支持されたのはAさんであったことは明らかだった。
グループワーク後に各メンバーが互いを点数で評価するように言われ、案の定Aさんが一番点数が高かった。
落胆してしまったが、明らかにAさんが最もグループを俯瞰してリーダーシップを発揮できていたことを分かっていたため、私はその結果に納得した。


選考後、私は同じグループの男の子と帰ったが、グループワークではAさんが頭一つ抜けていたことには二人とも同意した。
その時、私はグループワークに落ちてしまったことを確信した。


そして、2日後の選考結果通知で、私は案の定映画会社△の選考に落ちたことを知らされた。


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2018年6月前半: 男の仕事の八割は決断

映画会社△の選考結果通知メールが届いてから一か月、私は正直どのような気持ちで就活に挑めばいいのか分からなかった。
自分の力不足が原因で落ちたことは分かっていたが、ずっと目指していた会社ではあったため、落ちた時のショックもかなり大きかった。
少なくとも一週間はずっと落ち込んでいたが、何もしないわけにもいかなったため、残りの企業には全身全霊で挑んだ。


私が受けていた鉄道業界はグローバル人材をあまり求めていない企業ばかりだったため、そこでミスマッチが生じているように思えた。
それは仕方がないと思っていたが、それでも私の中では「自分のやりたいことを曲げたくない」という執念が働き、受ける業界などを見直すことはなかった。


関西私鉄などで割といいところまで選考で進めた企業もあったが、どれも内定までこぎつけることができず、6月中旬の時点でIT会社N以外の内定を持っていなかった。
最後に残った企業の落選メールを受信した時点で、私は映画会社△を受けなおすために就活留年も検討していた。
それほど私にとって映画会社△に入社したいという思いは強く、どうしても諦めがつかなった。
しかし、やはり就活留年というのはかなりリスキーなことだというのは分かっていたため、私はIT会社Nの内定を辞退するかどうか悩んでいた。
就職先に悩んでいる旨を正直にIT会社Nに電話で伝えると、翌日に人事の方と二人でお食事をする場を設けてくれた。
人事の方がずっと言ってくれていた「現代を生きる若者の人生と本気で向き合いたい」という言葉を真に受けて、そのお食事中に私はIT会社Nの人事の方と私の将来について真剣に話し合ってもらうつもりだった。


しかし、当然ではあるがその考えは甘かった。
レストランに入って席に着いた瞬間から、「IT会社Nの内定を受諾するかどうか」という話で持ち切りだった。
しかも、私が内定を受諾するかどうかかなり迷っていたのを感じていたからか、人事の方は「内定を受諾するかどうか、今すぐに決断しなさい」と言わんばかりのプレッシャーをかけてきた。
更に、「君は決断をしてこなかった人間だから、このような重要な場面で決断ができないんだよ」とまで言われてしまった。


私がIT会社Nを受け続けていたのは、人事の方の「あなたの人生と本気で向き合いたい」というスタンスがあってこそだった。
つまり、「ヒト」に魅了されたからこそ、私はその会社を志望していた。
その時の人事の方の対応が、本当に私の人生と本気で向き合ってくれている人のそれとはとても思えなかったため、正直私にとっては結構なショックだった。
なので、その時点でIT会社Nに対して私が抱いていた魅力は全て消えて、「内定を辞退したい」という意思は割と固まった。
流石に気まずいのでその場で「内定を辞退します」なんて言えなかったため、私は何とかその場をごまかして、翌日に電話で返事すると約束した。


私は翌日に電話で内定辞退の旨を伝えた。
IT会社Nを辞退してしまうと内定ゼロの状態になってしまうため、かなり勇気の要る決断だった。
なので、辞退するかどうかは電話をするギリギリまで悩んでいたが、何とか腹をくくって決断を下すことができた。
自分の人生を左右するような決断をたったの一日で下すというのは私にとっては非常に恐ろしいことだったが、結局自分の思いに素直になろうと決めた。
だが、この経験を通して、たしかに私は自分の人生を左右するほどの決断をこれまで下したことがなかったことに気が付かされた
なので、結果的にこの決断は私の人生にとっては大きな進歩になったと感じた。

2018年6月後半: 自信の喪失

内定の持ち駒がゼロに戻ってしまい、私の就職活動は振り出しに戻ってしまった。
私は、20卒でに映画会社△を再度受ける決意を固めていて、その旨を家族や周りの友達に結構伝えていた。


しかし、一年先まで就職活動関係のことを一切やらないのは何か勿体ないと思い、取り敢えず6月後半以降も19卒として就職活動は続けることにした。
興味のある企業に出逢えたら受けてみればいいし、ないなら20卒で映画会社△を受ければいい、くらいの気持ちで続けることにした。


取り敢えず、私が担当していた生徒をたくさん待たせていたため、塾講師のアルバイトに真っ先に復帰した。
就活と塾の授業日が重なる日もあったため、仕方がなく生徒に授業日をずらしてもらうことなどがあり、正直申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だが、塾のように気分転換して頑張れる場所がある方が逆に就活に注力できる気がした。


しかし、その頃、私は二つの大きな出来事がたまたま重なってしまった。
それらのせいで映画会社△の内定を獲得できなかった私が、更に自信を喪失してしまうこととなった。

建設業界での失敗

本選考解禁までは、都市開発ができる鉄道業界や不動産業界を中心に「街づくり」ができる企業を受けていたが、これを機に新たな業界も受けてみることにした。
そこで着目したのが、建設業界だった。
建設業界のこともある程度調べてはいたが、自発的に街づくりを行うことができない点においては私の就活の軸とは一致していないと思っていたため、それまではあまり見てこなかった。


しかし、建設業界を改めて研究していくと、開発事業を行う部署を設けている建設会社もあることを知った。
勿論、開発事業は建設会社の主力事業ではないし、その部署を希望していたとしてもそこに配属される保障はないことは知っていた。
なので、「空間づくり」という観点では、それまで受けていた鉄道業界や不動産業界の企業よりは志望度は低かったが、未知の業界を新鮮な気持ちで受けることで新たな発見をしたいという思いから、7月にも選考を実施していた建設業界の企業も受けてみることにした。
7月選考を実施していた建設業界の企業の中でも、建設会社Hの事業内容には割と興味があったため、そこにエントリーしてみることにした。
すると、エントリーシートも通り、早速面接に進むことができた。


一次面接では、建設会社Hに対する志望度や行きたい部署、他社の選考状況を聞かれた。
しかし、面接では”学生時代頑張ったこと”や”自己PR”については一切触れられなかった。
このような一次面接を過去に経験したことがなかったため少し不思議に思いはしたが、「一次面接で志望度の低い学生を切って、二次面接では学生の人柄や能力について掘り下げてくるスタイルの企業なのかな?」という程度の気持ちで、二次面接で聞かれることを期待した。


続く二次面接は、部長面接だった。
部長だと裁量も大きいので、学生の人柄や能力などにも触れてくるだろう、と踏んだ。
しかし、実際に二次面接でも志望度や他社の選考状況しか聞かれず、”学生時代頑張ったこと”や”自己PR”については一切触れられなかった。
そして、普通の学生なら答えられそうにもない、業界や会社に関する専門的な質問をクイズかのようにどんどん出題された。
日経新聞である程度業界知識をつけていた私でも、部長が出題する質問には全く正解することができなかった。


私は、この面接がまるで志望度や会社に対する愛を測るためだけに行われたものに思えたし、そもそも本当に私を受からせる気があったのか?と疑ってしまった。
そして案の定、面接の最後で部長が以下のようなことを言い残した。
「あなたはたしかに高学歴なのは知っている。
だが、私たちが志望度が低い学生を採用しても、入社後にすぐに辞められてしまう。
だからこそ、私たちは学生の能力はあまり見ずに、学生の志望度を見て採用しています。」
遠回しに、「君の志望度が低いように見えたので落としますよ」と言われているようにしか受け取られなかったので、かなりショックだった。
そして案の定、それ以降建設会社Hから連絡が来ることはなかった。


やはり、建設業界が第一志望ではなかったのは事実ではあったが、建設業界や建設会社Hには興味があったし、私の就活の軸に通ずる部分があったからこそ受けていたのは事実だ。
だからこそ、建設会社Hのあの面接スタイルで落とされた影響で、私の就活の軸や「夢」そのものが否定されたように思えてしまった

彼女との別れ

私は、就活中に2年間付き合っていた彼女がいた。
その子も私と同じく仮面ライダーが好きで、映画会社△を受ける私のことを本気で応援していた。
なので、履歴書の添削なども積極的にしてくれて、非常に助かっていたし本当にありがたく思っていた。


しかし、私たちは遠距離恋愛中であったため、なかなか会う機会がなかった。
そして2018年に入ってから私は就活で忙しくなったため、会う頻度は以前よりも更に減ってしまった。
そのうえ、私が就活のことで精一杯だったため、ちょうど同じ時期に色々と悩み事を抱え込んでしまった彼女に気遣ってあげることもできなかった。
結果的に、二人の関係性は悪化してしまい、最終的には別れてしまった。


よりにもよって、私はその彼女に浮気されてしまったのだ。
それが私にとっては相当なショックで、映画会社△を落ちてしまったことも合わさって、その時期はかなり絶望的な気持ちでいた。
この出来事は、ますます自分の人柄や能力に対する自信を喪失してしまうきっかけとなってしまった


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2018年7月: 二つの出逢い

私が通っていた就活塾からの紹介で、私は私の大学に通う学生限定の合同説明会に参加した。
取り敢えずチャンスがあればたくさんの企業に出会い、色々な業界での働き方を見てみたい、という考えがあった。


合同説明会には20社ほどの名だたる企業が揃っていたが、7月だからか、学生が10人くらいしかいなくて割とびっくりした覚えがある。
私の学科はほとんどの学生が留学に行っていたため、就活をしている人が周りにあまりいなかったためあまり気づかなかったが、この合同説明会で初めて、自分が就活生の中では圧倒的マイノリティにいることに気づかされた。


しかし、この合同説明会は私の就活と人生そのものにとって大きな転換点となった。
それは、二つの会社と出会うことができたからだ。

「第四志望」のメーカー

合同説明会の会場で目当ての企業を探すために歩いていたら、ある企業の人事の方に声をかけられた。
「この企業は〇〇 (ある機械) を作っている会社では日本一なんです。うちが存在しなかったら、あなたが知っているような自動車会社は存在できません。よかったら一度話を聞いていきませんか?」


私は、メーカーに興味を持っていないかったうえ、〇〇を専門に作っている会社があったこと自体私は初めて知った。
なので、本来の私であればスルーするような企業だったが、なぜかその時声をかけてくれた人事の人の熱意とキャラに惹かれて、話だけでも聞いてみたいと思った。


そのメーカーMが関西を中心に活動するローカルな中小企業だったためか、ブースを素通りする学生が多く、結構人集めに苦労しているように見えた。
結局、私一人だけを対象とした説明会が始まった。
私が大学で学んでいることや私が興味を持っていることをヒアリングしながら丁寧に説明をしてくれて、本来30分の枠であるはずの説明会を1時間ほど続けてくれた。
しかし、企業の説明を最後まで聞いても、私は正直その企業の業務内容に惹かれなかった。
それでも、私一人だけのために説明会をしてくれたことに対する申し訳なさがあったり、私としっかりと向き合ってくれる人事の方の姿勢に何か魅力を感じたりしたため、私は選考を受けることにした。


正直、どこかの段階で落とされてもいいや、くらいの軽い気持ちで最初は選考に挑んだ。
なので、志望動機もあまりないまま選考フローに乗った。


選考途中の段階で工場見学に連れて行ってもらった際に、同伴していただいた人事の方に「何で7月の今になっても就活を続けているの?」と聞かれた。
この質問は、7月以降の面接では必ず聞かれるという事前知識はあったが、まさか面接以前の段階で聞かれると思っていなかったため、準備ができていなかった。
だから私は咄嗟に、「長期的に人々の人生に影響を与えることができるモノを創りたい」という私の就活の軸に合う企業との縁がなかったことや就活留年も検討していることについて正直に話してしまった。


正直に話しすぎたため、私の就活の軸がメーカーMの事業内容と一致していないことを人事の方に指摘されると思った。
だが、意外なことに、人事の方は私の就活の軸とメーカーMの共通点を見つけてくれ、私がメーカーMに入社することのメリットを力説してくれた。
しかも、それがこじつけではなく理にかなっていて、私自身も割と納得がいくような話だった。
なので、メーカーMでも長期的に人々の人生に影響を与えることができるモノを創ることができる、と認識したうえで、面接にも進むことができた。


メーカーMの人事の方々もすごい親身に接してくれて私の就活の軸とのすり合わせを行ってくれたが、私はIT会社Nと同じ失敗はここで繰り返したくはなかった。
企業の人事も仕事の一環として学生と接しているため、「私の人生と本気で向き合ってくれる」ことを期待してはならない。
たとえ企業の人事が私の人生と本気で向き合ってくれていても、私自身が志望度などで嘘をついていたら、それは私の傲慢でしかない。
だからこそ、真の意味で双方にとって有益となるように就活を進めていくことが就活の成功への鍵だと気づいた。
なので、私は以前のように自分の志望度を偽ったり、着飾ったりすることはやめることにした。
この気付きは、工場見学の際に私が正直にメーカーMと接したからこそ得られたものだ。


そうして正直になった結果、メーカーMの面接ではずっと「第四志望です」というスタンスを貫き通すこととなった。
志望動機はそれなりにまとまっていたし第四志望である理由も論理的に話せたため、志望度についてそれほど追及されなかった。
そして逆に、企業側に私と一緒に働きたいと思ってもらえるように、私は自分の人柄や能力をしっかりと出していけるように拘った。
拘った、と言っても、本当に正直に私が思っていることや感じていることをそのまま話すように意識しただけだ。


第一志望ではないことを公言していたものの、最終面接も通過して、無事にメーカーMの内定をいただくことができた。
採用通知の際に、人事の方に「第四志望だとは思うけど、そんなことは関係ない。あなたを採用したいと思った」と言っていただけたときは本当に嬉しかった。
まるで自分という人間の人柄や能力が認められたような気がして、6月末辺りから抱いていた自己嫌悪が大分解消された

新たな「第一志望」

合同説明会で出会ったもう一つの会社は、某社Aだった。
その会社の名前は以前から知っていたが、不動産業界でも建設業界でもなかったため、私はそれまでその企業には興味を持っていなかった。
しかし、説明会を聞いてみると、この会社でも「空間づくり」に関わることができることを知り、興味を持った。


最初は、建設業界と同様、「空間づくり」という観点では鉄道業界や不動産業界より志望度は低かった。
だから、就活留年をしたいという意思はまだ固かったが、取り敢えずもっとこの企業について知りたいと思い、選考を受けてみることにした。


選考は決してとんとん拍子というわけにはいかなかったし面接のフィードバックで厳しい指摘をされることも割とあった。
しかし、選考を通して一貫して私の人柄や「夢」などを非常に重視してくれている印象を受けた。
私の”学生時代頑張ったこと”や”自己PR”もしっかりと聞いてくれて、それを踏まえて私が活躍できそうな部署なども面接官やリクルーターは一緒に考えてくれた。
更に、私の「夢」と会社の企業理念をすり合わせも結構行ってくれたおかげで、企業に対する志望度はどんどん上がっていった
次第に、鉄道業界や不動産業界よりもこの会社の事業内容に惹かれるようになり、いつの間にか「就活留年はせずに、この会社の内定をもらいたい!」と思うようになった。
メーカーMと同じ時期に某社Aの選考を受けていたが、こちらでは「第一志望です」と胸を張って言うことができた。


そして、最終面接を突破し、無事内定をいただくことができた。
勿論、念願の「第一志望」の内定をいただけたことは最高に嬉しかったが、それ以上に、私の「夢」に通ずる企業理念を持つ会社の内定をいただけたことで、私の「夢」も肯定されたことに感動した

2018年8月: 最後の決断

私には三つの選択肢から決断することを迫られた。
一つ目は、某社Aの内定を承認し、メーカーMを辞退する選択。
二つ目は、メーカーMの内定を承認し、某社Aを辞退する選択。
そして最後は、映画会社△を20卒で受けるために某社AとメーカーMの内定を両方辞退して就活留年をする選択。


一つ目と二つ目の選択の間では、あまり迷いはなかった。
たしかに、某社Aは全国転勤が伴う一方で、関西を中心に活動するメーカーMに就職したら確実に大阪に住み続けることはできる点では、メーカーMの労働条件は魅力的だった。
だが、私はそれまでの就活を通して一貫して自分の就活の軸や「夢」を大切にしていたからこそ、某社Aに入社するという選択は割とすぐにできた
なので、非常に心苦しかったが、私はメーカーMの選考を辞退することにした。


しかし、映画会社△で「人づくり」に貢献するという夢を諦めて、「空間づくり」という夢を選択していいのか、分からなかった。
そこで私が自分の就活を振り返ったとき、就活においては企業との「相性」が大切であると私が学んできたことに気づいた
生命保険会社Sは信頼を重視していたのだろうし、映画会社△はリーダーシップのある人材を求めていたのだろうし、建設会社Hは会社愛と業界愛が必要条件だったのだろうし、メーカーMは人柄と能力を見ていたのだろうし、某社Aは企業理念への共感を求めていたのだろう。
そして、たとえその企業に受かるために学生側が「相性」を偽装したとしても、結局入社したら苦労して入社後のギャップにつながるのだろう
だから、一年頑張って映画会社△に受かるためにグループワークの突破術を身に着けたとしても、きっと私のリーダーシップの欠如はいつかは露呈してしまい、失敗してしまうだろう、と分かった。


私は漸く、映画会社△に入社する夢を諦め、某社Aの内定を受諾するという決断をすることができた。


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終わりに

終身雇用制度が崩壊している現代とはいえ、新卒で入社した企業でたいていの人は人生の大部分を過ごすことになるだろう。
だからこそ、企業が求めている人材と、人材が企業に求めているものを合致させることは就活においては必要不可欠だ。
私の場合だったら、「夢」を実現できる場所を企業に求めていたが、それは無事叶ったと考えている。
その「企業に求めるもの」、つまり「就活の軸」をしっかりと決めたうえで正直に企業と接していけば、きっと「相性」のいい企業に出会うことはできるだろう


この記事を執筆している今、私は某社Aに入社して新入社員として働いている。
まだ研修中ではあるが、私の周りで就職したほかの友達と比べると、入社前と入社後のギャップは比較的少ない方だったのかな、と思っている。
やはりそれは、私が就活を通して企業との「相性」を重視して、正直に接したうえでの決断だったからだろう


そして、私との「相性」が良くなかったからこそ映画会社△の選考に落ちたのだと納得しているし、映画会社△を諦めるという選択は正しかったと今となっては胸を張って言うことができる。
現在、私は一視聴者として平成仮面ライダーシリーズを楽しませていただいている。
私より適性のある人間が映画会社△に入社し、これからも日本中の人々の心に響くようないい作品を作ってくれることだろう。
私は、映画会社△が作った作品についての感想や考察をこれからも仕事の合間を縫ってこのブログで自由気ままに書いていきたい。




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