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感想 『ヴェノム』はどのような人を「病みつき」にさせるか

2018年11月2日に公開された、ルーベン・フライチャー監督による映画『ヴェノム』を観てきた。


ヴェノム (字幕版)


「観たい!」と思える映画があまりなかったので、ここ3か月近く全く映画館に足を運んでいなかった。
しかし、『ヴェノム』の予告を初めて観た瞬間から「絶対に観に行く!」と決心していたので、重い腰を上げて観に行った。
公開からしばらく経っているので多くの方はすでにこの映画を観ているかもしれないが、今更ながら私の感想を書いていきたい。


私はマーベルの『Venom: Lethal Protector』や『Planet of the Symbiotes』は読んでいないので、コミックで描かれたヴェノムについては全く知らない。
その点を考慮してこの記事を読んでくれるとありがたい。


この記事には、映画『ヴェノム』やその他関連作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。


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エディの没落

映画の前半部分では、エディの人間性の掘り下げや、エディが没落するまでの経緯を描くことに時間か割かれていた印象だ。
『ヴェノム』が3部作の第1作であることを考えると、アンチヒーローの誕生を丁寧に描くことは必要不可欠だったと言える。


人気記者として活躍していたエディが、たった一つの行動によって全てを失ってしまう姿は見ていて心苦しかった。
とはいえ、アンの仕事用のメールを勝手に開けて得た情報に基づいて、上司の意向を無視してホームレスの人体実験についてドレイクを追及する、という一連の流れはかなり身勝手だ。
とても一流記者がする取材とは思えない愚かな行為だ。
(そもそも、ドレイクにインタビューしているシーンで、一流記者であるはずのエディが無精髭を生やしていたり、台本を読んでいたりした辺り、本当に「一流」なのかとツッコミたい気持ちが山々だった。)
なので、自己満足の正義感を満たしたいがための行為だったと考えると、ドレイクによって社会的に抹消されたのは自業自得なのかもしれない


それでも、仕事や恋人を失い、以前の幸せな暮らしとはかけ離れた日々を送るエディを見ていると少し可哀想になる。
過去を捨てきれずに、過去の栄光についてバーで語ったり、偶然を装ってアンのアパートを通りかかったりする、かなり人間臭い一面があるからだろう。
そのように、所々に垣間見えた絶妙な「ダサさ」こそが、今作の主人公であるエディの大きな魅力だとも言える


しかし、エディの人間性は丁寧に描いていたものの、エディの没落に纏わる他の人物があまり掘り下げられていなかったことも顕著だ。
アンについては、エディの元フィアンセであったこと以外の情報はほとんど与えられないので、そもそもお互いに愛していたことがあまり伝わってこなかった。
転落のきっかけとなったドレイクも、メサイアコンプレックスを抱いた典型的な悪役に終始していて、彼の行いにイマイチ説得力がない。
だからこそ、人物描写がどうしてもエディに偏っていると感じてしまった気がする。


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「負け犬」の共生

エディがヴェノムに寄生されてからの映画の後半部分では、前半とは打って変わって、エディとヴェノムの関係性構築を描くことにシフトしていく。


映画の予告編はかなりダークでホラー寄りの演出になっていたため、我々観客は当然そのような映画を期待して映画館に行く。
なので、ヴェノムの寄生によって映画が更にダークなトーンになると思っていたが、実際にはかなりコメディ寄りにシフトした印象だ


エディとヴェノムの掛け合いが始まったことが、大きな原因の一つだろう。
目の前の人間をひたすら「喰おう」とするヴェノムと、それに反対するエディ、という二つの意志が一つの身体に内在するせいでエディの挙動が途端におかしくなる様子は、結構笑いながら観ていた。
例えば、ゴミ箱を漁って手羽先を食べ始めるシーンや、レストランの水槽に入ってロブスターを食べ始めるシーンなんかは特に、トム・ハーディさんの怪演と相俟って、不気味でありながらも面白いシーンに仕上がっていた印象だ。


ヴェノムに寄生されたことでエディが自制心を失う展開は、本来であればかなり恐ろしいものであるはずだ。
しかし、予告編でも示唆していたようなヴェノムの「恐ろしさ」よりも、ユーモア溢れる掛け合いに注力したことで、今作は観客の期待を (いい意味でも悪い意味でも) 裏切ったと考える。
ロブスターのシーンなんかは、トム・ハーディさんがアドリブで演じた結果生まれたものだと言われているが*1、このように笑えるほど狂ったエディの「暴走」が観られたのは、一人二役を全力で演じきったトム・ハーディさんの演技の賜物だと言えよう。


そして、二人が協力関係を構築してからは、まるで「相棒もの」を観ているかのようでかなり楽しめた。
異なる考えを持っているエディとヴェノムが、いがみ合いながらも互いに妥協点を見つけ出していったが、その中でもおしゃべりなヴェノムとエディの掛け合いが続いたのは嬉しかった。
また、ヴェノムも実はシンビオートの中では「負け犬」であったり、情動的に動く、という点では二人とも似た者同士だ。
だからこそ二人が「共生」して、非常に奇妙だが面白いデコボコなコンビが成り立ったのだと感じる。


ただ、「コメディ」や「相棒もの」という要素を取り入れた弊害として、ヴェノムの本来の「恐ろしさ」があまり伝わってこなかったのは少し残念だ。
劇中で、ヴェノムがエディの身体を蝕んでいるという描写があったのにもかかわらず、それについてはあまり触れられずに終わってしまったことなどから、特にそのように感じてしまう。(勿論、次作でその辺りは言及されるのかもしれないが。)
予告編や宣伝では「マーベル史上、最も凶悪なダークヒーローの誕生」と銘打っていたのにもかかわらず、その「恐ろしさ」があまり伝わってこなかったせいか、単に「意外な出自のヒーロー」だという印象を受けた
これもまた、意外性というか、事前期待とのズレが (いい意味でも悪い意味でも) 生じてしまった要素だと言える。


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「ダークヒーロー」の誕生

ソニー・ピクチャーズとマーベルとの間の権利問題が絡んでいるからか、ヴェノムがスパイダーマンと関係が深いヴィランであるのにもかかわらず、今作にはスパイダーマンが全く登場しない。
「ヴェノム」というキャラクターのみでオリジナルのコンテンツを制作する必要性が生じてしまった制作者側にとっては、これは大きな挑戦であったに違いない*2
そして、その挑戦に挑んだからこそ、予告編で銘打たれたような「マーベル史上、最も最悪なダークヒーロー」が誕生する機会ができたと言える。


ヴェノムの物語を辿っていくと、スパイダーマンを彷彿とさせる作りになっていることが分かる。
例えば、マスコミ会社に勤めていた点や、大企業を訪問した際に力を得ている点はピーター・パーカーとエディの両者に共通している。
そして、壁や天井にへばりついたり、ウェブを発射したりする、という戦い方も似ている。
このような微妙な共通点を通して、スパイダーマン不在の映画を観ていながらも「スパイダーマン関連の映画」を観ているように我々観客に感じさせてくれているという点においては非常に粋だ。
それと同時に、同じような出自や能力を持ちながらも、「ヒーロー」であるスパイダーマンと、「ダークヒーロー」であるヴェノムを”対”で描こうとしていることも伝わってくる。


エディはドレイクに対する復讐心を原動力に動いてくのかな、と思いきや、実際には「世界を救う」と堂々と宣言している
同じく、ヴェノムもエディと「共生」を始めてからは、地球制服を目論んでいたはずのヴェノムまでもが「世界を救う」ために戦っている
このように二人の戦う動機を見ていると、エディ・ヴェノムは共に「世界を救う」ために戦っていて、そういう意味ではスパイダーマンと一緒だ。
しかし、ピーターは「たとえ悪人であっても人の命は奪ってはいけない」というポリシーを持つ一方で、エディには「悪人なら喰ってもいい」という価値観がある。
よって、「悪人の命は奪う」ヴェノムは、スパイダーマンのような「ヒーロー」ではなく自身の価値観に基づいて行動する「ダークヒーロー」であるとも言えるだろう


そう考えると、今作の敵であるドレイクも、「世界を救う」ために人体実験を行っているが、「無実な人々の命も奪う」点では、ヴェノムやスパイダーマンとも価値観が異なる。
よって

  • 善人であろうと悪人であろうと命は奪わないスパイダーマン (ヒーロー)
  • 善人と悪人の両方の命を奪うドレイク (ヴィラン)
  • 悪人の命のみを奪うエディ・ヴェノム (ダークヒーロー)

という構図が出来上がっている。
そう考えると、今回は「ダークヒーローvsヴィラン」の戦いが濃密に描かれたが、スパイダーマンが不在であったため「ヒーロー」にあたる人物は登場しなかった
よって、従来とは少し違うヒーロー映画が出来上がり、我々観客も新鮮な気持ちで観られたのだと思う。


予告編が公開された当初、『ヴェノム』はR指定になることを期待されていたが、実際にはPG-13 (日本ではPG12) 指定に留まった*3
将来的なスパイダーマンとのクロスオーバーのために今作を敢えてR指定にしなかったのではと囁かれているので、今後「ヒーローvsダークヒーロー」という構図がみられるかもしれない。
新たな価値観を持ったこのダークヒーローが将来的にどのように動いていくのかは見ていて楽しみなので、次作にも期待したい。


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結論

『ヴェノム』は非常に不思議な映画だ。
というのも、映画の予告からかなりかけ離れたトーンの映画で、多くの観客にとっては、事前期待とは異なる作品になっていたと推測するからだ。


よって、トム・ハーディが演じるエディやヴェノムを好きになれるかどうかで、今作の評価は大きく変わってくると思う。
「負け犬」のエディの人間性や価値観に魅力を感じ、エディとヴェノムのユーモア溢れる掛け合いを楽しめる観客は、今作に「やみつき」になるに違いない。
一方で、カッコいい主人公が人々の頭を次々と喰っていくグロい映画を期待していたのであれば、物足りなさを感じただろう。


原作ファンはどのように感じたのかは分からないが、少なくとも私は前者で、エディとヴェノムの化学反応を終始楽しんでいた。
だからこそ、トム・ハーディさんが演じるエディとヴェノムがさらに観たいと思えたし、既に次作を楽しみにしている。




ヴェノム (字幕版)

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