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仮面ライダー・映画・音楽に関する感想と考察。

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感想『仮面ライダー電王』はなぜシリーズ史上最大の分岐点となったのか

『仮面ライダー電王』は、『平成仮面ライダーシリーズ』の8作目として、2007年から2008年まで放送された作品だ。


前作『仮面ライダーカブト』までは、『平成仮面ライダーシリーズ』はコンテンツとして非常に不安定で、いつシリーズが終わってもおかしくない状態にあった。
例えば、以下のページに掲載されてある表を見て分かる通り、『仮面ライダーカブト』までは玩具の売上は衰退する一方だった。

それが、今作の成功がきっかけで勢いを取り戻すことができて、『平成仮面ライダーシリーズ』が20年も続く長寿番組になっていった。


また、10年以上も前の作品だが、今作は数多くのファンから今でも愛されている。
私も、小学生の頃に今作に出会い、それがきっかけで『平成仮面ライダーシリーズ』のファンになった。
そして、大人になった今でも年に一回は観るほど好きな作品だ。
勿論、私以外のたくさんのファンを生み、根強い人気を博した。


更に、今作の成功は後年の作品に多大なる影響をもたらすこととなった。
シリーズ全体を俯瞰したときに今作が非常に重要な立ち位置にあったことが、『平成仮面ライダーシリーズ』の歴史を振り返ると分かる。
ということで、この記事では、なぜシリーズに大きな影響をもたらすことができたのかと、具体的にシリーズにどのような影響をもたらしたのかを探求していきたい。


仮面ライダー電王 Blu-ray BOX 1


この記事には、『仮面ライダー電王』やその他関連作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。


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“仮面”と“ライダー”の再検討

『仮面ライダー電王』は、シリーズの基礎である“仮面”と“ライダー”という二つの要素を再検討することで、「仮面ライダー」に対する新しいアプローチを試みた
今作のチーフプロデューサーを務めた白倉伸一郎氏は、とあるインタビューで以下のように述べている。

白倉「『仮面』と『ライダー』ですね。理屈っぽく言うと。」
司会「なるほど。『仮面ライダー』を分解して。」
白倉「そう。変身すると心も変わる、ってやつと、ライダーってバイクじゃなくて電車、ってやつ。」

― 白倉信一郎プロデュース作品を振り返る。第1回 ゲスト: 小林靖子 (脚本家) ~Part5~

“仮面”の部分は、主人公である野上良太郎がイマジンに憑依されることで人格が変わる、という設定になった。
そして、“ライダー”の部分は、従来のようにバイクではなく電車に乗るヒーロー、という設定になった。

電車に乗る“ライダー”

初代仮面ライダーの頃から、“バイク”に乗るヒーローであることが「仮面ライダー」の大きな特徴としてあった。
だが、今作のプロデューサーを務めた白倉信一郎氏も以下のように言及している通り、様々な法規制によって公道でバイクアクションを撮影することが難しくなったようだ。


加えて、2007年を生きる子供たちにとってバイクは、1971年に『仮面ライダー』を観ていた子供たちにとってのバイクほど身近でカッコいい乗り物ではなかった。
バイクの販売台数の減少*1などが、その背景にあるだろう。
そして代わりに、2004年に九州新幹線が開業したり、2007年7月にN700系が運行を開始したりと、何かと注目を浴びていた“電車”が、2007年を生きる子供たちにとって一番身近でカッコいい乗り物になったのだろう。
白倉氏は、今作の乗り物が“電車”になったことについては以下のように述べている。

『仮面ライダー』がうけたのは、当時の子供にとって1番かっこいい乗り物は"バイク"だったから。1番かっこいい乗り物に乗るヒーローが『仮面ライダー』だった。じゃあ今の子供にとってバイクがそうかっていうと、必ずしもそうとは言い切れない。じゃあ今の子供にとって1番の乗り物は何?"電車"だ。つまり、これこそが本当に仮面ライダーの精神を正しく受け継いでいるものなんだというのはどうだろうと監督と笑いながら話していました。

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よって、今作の乗り物が“電車”になったことは、仮面ライダーをずっと観てきた人たちにとっては衝撃的だったかもしれないが、2007年を生きる子供たちのことを考えると至って自然なことだったのかもしれない




そんな“電車”のモチーフは、スーツデザインからベルトまで至るところに組み込まれている。


電王が変身に使用するデンオウベルトとライダーパスは、当時都市部で浸透し始めたSuicaなどの非接触型ICカードを模している。

一方で、ゼロノスが変身に使用するゼロノスベルトとゼロノスカードは、デンオウベルトとは対照的に、当時はまだ主流であった磁気乗車券を模している。
一度使ったら終わりの磁気乗車券の特徴が、「変身回数の制限」「記憶を消耗する」といったゼロノスのデメリットとして物語にも非常に上手いこと活かされた。


また、電車のミュージックホーンのようなメロディが変身ベルトに待機音として取り入れられた。
それまでの変身ベルトは、効果音や台詞などが発されることはあったものの、メロディが取り入れられることはなかった。
よって、デンオウベルトやゼロノスベルトがメロディを取り入れたこと自体新鮮だった。
そのようなメロディは、玩具版のベルトで子供たちが楽しく遊ぶうえでも大きな役割を果たしたと考えることができる
そしてこれを皮切りに、『仮面ライダーW』のダブルドライバーや『仮面ライダーOOO』のオーズドライバーなど、後の平成二期シリーズの変身ベルトでも、メロディが多用されるようになった。


このように、“電車”モチーフは、玩具として発売される変身ベルトにも分かりやすく組み込まれたことで、そのプレイバリュー向上にも繋がったと感じる。




一方で、わざわざ「仮面ライダー」の象徴であるバイクを置き換えてまでしてライダーの乗り物を“電車”にするからには、単なるモチーフに留まらせるわけにはいかず、デンライナーは物語上ではそれなりの役割を果たす必要があった。
そこで、デンライナーは過去へタイムトラベルするためのタイムマシーンとなった。
白倉氏は、『仮面ライダー電王』が時間モノになった経緯について、以下のように述べている。

そして「仮面ライダー電王」の話題では、タイムトラベルものになった経緯が説明された。白倉は「電車で行き着く先をどこにするか。長石多可男監督に撮ってもらいたかったので、さいたまスーパーアリーナとか、監督の好きなロケ場所を使いたかったんですよ。そうなるとMAXでも10年前くらいの過去か、精神世界か、パラレルワールド、選択肢は3つくらいでした」と話し、「精神世界は後に『ウィザード』で、パラレルワールドは後に『ディケイド』で使ったんですけど(笑)」と続ける。

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このようにして、『仮面ライダー電王』は、時の列車デンライナーに乗り、未来からの侵略者イマジンと戦う物語になった。


実は、このような「時間モノ」は今作が初めてではなく、過去には『仮面ライダー龍騎』のタイムベントや『仮面ライダーカブト』のハイパークロックアップなどがあったように、物語内でタイムトラベルやタイムパラドックスを扱ったという前例はある。
しかし、メインのテーマに「時間」を据えた作品は今作が初めてだ。


『ドラえもん』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『ターミネーター』、『インターステラー』など、様々な作品がタイムトラベルを題材にしている。
ただ、タイムトラベルは実在しないため、作品や製作者によってその解釈が異なり、どの作品でもタイムトラベルのロジックは異なる。
そこで、『仮面ライダー電王』は「時間=人の記憶」という『仮面ライダー電王』なりの解釈を加えた。
「時間=人の記憶」というこの解釈は、(先ほどの引用で白倉氏が述べていたように)「10年前くらいの過去」にしかタイムトラベルできない、という製作側の都合があったために設けられたと考えることができる。
『平成仮面ライダーシリーズ』は、東京近辺で撮影をする必要があるうえ、決して高くはないテレビ番組の予算でやりくりしないといけない。
そのため、当然制約も多く、撮影当時の日本とは大きくかけ離れた時間を描くのは難しい。
だからこそ「時間=人の記憶」という解釈を加え、契約者の記憶に残っている時代にしか時間移動することができない、という制限を製作陣が自らかけたことで、2007年~2008年の日本に割と近い過去しか表現する必要がなくなった。
そして、明らかに時間移動をしたと分かるような表現ができないため、季節や天候の変化などの描写方法を積極的に用いることで現在との差別化を図る努力は見られた。


考えてみると、電車がタイムマシーンになったことで、割と分かりやすいタイムトラベルの演出につながったと考える。
というのも、レール上を走って過去・現在・未来を行き来しているため、レールを通して「時間」という概念を視覚的に分かりやすく表現することが可能となったからだ。
たとえば、『33話 タイムトラブラー・コハナ』で登場した「分岐点」によって、未来が枝分かれしていることを表現したりした。
更には、時間移動先の日付をチケットに表記することで、時間移動をしていることがより分かりやすくなった。


「時間」というのは、最先端の物理学ですら解明されていないことが多い、非常に複雑な概念だ。
そのうえ、人生経験の浅い子供たちにとって非常に曖昧な概念である「記憶」が加わった『仮面ライダー電王』のタイムトラベルのロジックは、子供たちにとっては非常に複雑だ。
よって、子供たちも慣れ親しんている電車のチケットやレールと言った要素を取り入れることで、タイムトラベルが視聴者に分かるように工夫が凝らされた


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入れ替わる“仮面“

『仮面ライダーシリーズ』を特徴づける要素として、「変身」がある。
その「変身」という言葉は、人間態のヒーローが仮面を被り仮面ライダーに姿を変える様を表す言葉として広く知られている。
ただ、『仮面ライダー電王』は、単に姿を変えるだけでなく、心までもが「変身」するヒーローの姿を描いた。

強烈なカラーのイマジン

モモタロス、ウラタロス、キンタロス、リュウタロス、ジーク、デネブという善玉のイマジンが二人に憑依することで、良太郎や優斗の“仮面”が入れ替わる。

電王やゼロノスと共闘するイマジンたちには、イマジンの姿・ライダーの姿・(良太郎や優斗などの) 人間に憑依した姿、という主に三つの姿がある。
イマジンの姿やライダーの姿だと大きく見た目が変わるのでまだ識別できるが、人間に憑依した姿だと差別化を図るのは非常に困難だ。
特に、野上良太郎の場合だと4体のイマジンが憑いているので、野上良太郎を演じる佐藤健さんは (素の状態を含めると) 5つのキャラクターを演じ分けないといけない。
なので、どのイマジンが憑依しているのかを分かりやすくするために、イマジンたちはまるで漫画やアニメのキャラクターであるかのような極端なキャラクターになった
イケイケな戦い好きのモモタロス、女好きでナンパ師のウラタロス、マイペースな関西弁のキンタロス、子供っぽい無邪気なダンサーのリュウタロスなど、それぞれのイマジンに明確なカラーがある。
今作の脚本家である小林靖子さんも、あるインタビューで以下のように語っている。

司会「キャラクターの色付けっていうか… モモタロスはこんなキャラとか、ウラタロスはこんなキャラとか… その辺りは… どこに寄ったんですか?その、桃太郎から発想していったのか…?」
小林靖子「いや。取り敢えずモモタロスが決まって、で、順々に出ていくので、前と違うキャラ、前と違うキャラ、っていう…」
司会「あぁ。じゃあ、基点を一つ置いて、そこの辺、差をそれぞれ作っていく、っていう…」
小林靖子「そうですね。一人が… 佐藤健君が一人で演じるので、ちょっと極端と言うか、カラーが変わらないと分からないというところで極端にしてましたね。」

― 白倉信一郎プロデュース作品を振り返る。第1回 ゲスト: 小林靖子 (脚本家) ~Part6~


また、イマジンたちのキャラクターは、脚本家、俳優、スーツアクター、声優と数多くの人たちが携わって作り上げられている。
携わる色々な人たちによってイマジンたちは新しいキャラ付けもなされて、どんどんカラーが強烈になっていった、という部分も大きいだろう。
モモタロスのスーツアクターを担当した高岩成二さんも以下のインタビューで、アドリブで台詞が発生していったことについて述べている。

――現場に入ってから変わっていったことも多かったんですね
高岩:動きが変わるから、それに合わせて台本もちょくちょく変わっています。例えば、デネブ(味方陣営のイマジンの一人)のことを"おデブ"と言いだしたの僕なんですよ。デネブが初登場のときの会話で、"モモタロスなら聞き間違えるだろうな"と思って、ずっと言い間違えた体で演技をしていたんです。そしたらデネブのスーツアクターだった押川善文がそれに乗ってくれて、メインライターだった小林靖子さんも拾ってくださったんです。次第に台本に反映されていきましたね。それも監督は止めませんでした(笑) だから台本から外れたことをやっているわけじゃないんですけど、アドリブでどんどん台詞が増えていくんです。記録さんも僕の言ったことをちゃんとメモしておいてくれるんですよ。台本にない台詞は、声優の関俊彦さん(モモタロスの声を担当)にも伝えなければいけませんからね。

このように、様々な人たちによって肉付けされていった影響で、どんどん強烈なカラーになったとも言えよう。
加えて、アニメ畑で活躍する声優がイマジンの声を当てているのだから、アニメのようなカラーになるのは至って当然だ。




そして、イマジンたちのカラー分けの一環として、決め台詞も登場した。
『仮面ライダー響鬼』のヒビキの「鍛えてますから」のような口癖は前例としてはあったが、戦いの前に前後の会話とは関係なく唐突に発する決め台詞は『仮面ライダー電王』が平成仮面ライダーシリーズでは初めてだ。
「俺、参上!」はかっこつける派手好きなモモタロスの性格を、「僕に釣られてみる?」は言葉巧みに相手を手玉に取るウラタロスの性格を、「泣けるで」や「俺の強さにお前が泣いた」はパワーがあるが人情に脆いキンタロスの性格を、「答えは聞いてない」は自分勝手で強引なリュウタロスの性格を、「降臨、満を持して」は高飛車なジークの性格を映し出している非常に秀逸な決め台詞だ。


これらの決め台詞のおかげで、どのイマジンが憑依しているのかを簡単に識別することが可能となった。
というのも、憑依や変身・フォームチェンジ直後にモモタロスたちは決め台詞を言うので、どのイマジンがいつ憑依しているのかが非常に分かりやすいからだ。
たとえば、良太郎が突然「俺、参上!」と言ったらモモタロスが憑依していると視聴者はすぐ分かる。





そんな中、記号的な表現を用いることなく5つの人格を演じ分けた佐藤健さんの力量はかなり凄い
人間に憑依する場合はイマジンやライダーの姿では直接的に見ることができない”表情”も加えつつ、イマジンたちの極端なキャラクターを自然に演技に落とし込まないといけない。
それを見事に成し遂げたおかげで、誰が見てもどのイマジンが憑依しているかが伝わるほどしっかりと差別化を図ることができていたうえ、イマジンたちに人間味も加わった (人間ではないが)。
また、佐藤さんがかなり楽しみながらイマジンたちを演じていることが伝わるので、視聴者側もかなり楽しんで憑依シーンを見ることができる。




時間移動などに関する複雑なロジックが分からなくても、イマジン同士の掛け合いや憑依劇などは十分に楽しむことができる点では、そんなイマジンたちの強烈なカラーは「わからない視聴者」が作品を楽しむうえでの重要な要素ともなった


そして、イマジンたちが今となっても大人気な理由も、彼らの強烈なカラーにあると考える。
だからこそ、佐藤健さんが芸能界で飛躍しても、イマジンだけで『仮面ライダー電王』の続編を様々な媒体で作ることができた。
例えば、テレビ本編終了後に電王をフィーチャーした映画が数多く作られた。

後者の『劇場版 超・仮面ライダー電王&ディケイド NEOジェネレーションズ 鬼ヶ島の戦艦』なんかは、佐藤健さんが演じる良太郎が出演することなく、『仮面ライダー電王』の続編として作られた。


更に、放送終了から12年経った今でもモモタロスたちが脚光を浴びることが多々ある。
テレビ本編終了後にも様々な媒体でモモタロスたちが活躍できているのは、製作陣の諸事情にあまり左右されることなく、声優さえいれば再演させることが可能である、といった彼らの特性が大きく影響しているだろう。
そして、彼らの分かりやすいキャラクターのおかげで、モモタロスたちは世代を超えて今日の子供たちからの人気を集めることができているのだろう。


だが、テレビ本編製作時に脚本家、俳優、スーツアクター、声優の尽力があったからこそ、イマジンというキャラクターが完成し、人気を集めることができたことは忘れてはならない。

”史上最弱”の主人公

第17話「あの人は今!も過去?」

イマジンに憑依されて共闘する必要性を付与するべく、今作の主人公である野上良太郎は体力がない、内気な、不運続きの主人公になった。
「一番強いのは俺」と豪語していた前作『仮面ライダーカブト』の主人公の天道総司とは対照的な主人公だ。
『仮面ライダー電王』の製作が発表された際、仮面ライダー電王は”史上最弱”の仮面ライダーと銘打たれていたほどで、この主人公の性格は当時かなり衝撃的だった。

www.oricon.co.jp


そして、今作を明るい作風にするべく、かなり極端なコメディ描写を使って良太郎が”最弱”である様を表現している
不良軍団にタコ殴りにされたり、怪人に取り憑かれたりして、ただでさえかなり不幸な目に遭うが、良太郎の場合は「ギネス級」に運が悪いので、自転車にこいでいたら自転車ごと木の上に飛ばされたりもする。


一方で、良太郎はそんな数々の不幸に巻き込まれながらも、根気強く立ち上がることができる精神的に強い人間として描かれている。
不運や不幸という言葉にはどうしても暗いイメージがあるが、良太郎にはそれらから立ち上がるメンタルがあるので、それら全ての出来事を笑いに昇華することができる。
野上良太郎を演じた佐藤健さんも、放送開始前のインタビューでこのように述べている。

佐藤は良太郎に共感し「つらいことがあっても、めげないで明るく生きていこうという、実は強い気持ちを持った子なんだと思っています」と話す。

ホント!?史上最弱、史上最年少の仮面ライダー誕生! | ORICON NEWS

そんな良太郎だからこそ、最初は暴走気味だったモモタロスたちを良太郎が上手くコントロールすることで、電王として時の運行を守るために戦うことができた
特に多くの人たちの印象に残ったのは、それまでモモタロスのことを怖がっていた良太郎が、『4話 鬼は外!僕はマジ』で泥棒に加担したモモタロスに「ごめんなさい」と言わせたシーンだろう。
私なんかは、このシーンで良太郎の芯の強さが垣間見えて、一気に彼のことが好きになってしまった。
それ以外にも、『10話 ハナに嵐の特異点』で消滅寸前のキンタロスを自分に入れることで救ったことはかなり勇気が要る行動だ。
そもそも、特異点だからと言って半強制的に電王に変身させられた良太郎が、『2話 ライド・オン・タイム』の時点で「やらなきゃいけないこと」だと納得して電王として戦う決意をしたのは、かなりの勇気と決断力がないとできないことだ。


“史上最弱”の主人公である良太郎にとってモモタロスたちの肉体的な強さや戦いのセンスが必要だったのと同時に、逆にモモタロスたちイマジンだけでは電王は決して成立することはできなかった。
モモタロスたちの強力な力が正しく使われるように良太郎が導くことで、電王はヒーローとして戦うことができている。
良太郎がいなくても、モモタロスたちがいなくても、「電王」というヒーローが生まれることはなかった。
そのような共依存の関係を描くうえでも、良太郎は精神的に強い主人公でないといけなかった。


このように、良太郎は“史上最弱”であると同時に精神的な強さを持つ主人公であったからこそ、ただのコメディリリーフになり下がることなく、『仮面ライダー電王』が「わからない視聴者」も楽しめるような明るい作品になる基盤を構築することができた




また、『仮面ライダー電王』といえば時間モノであることが取り沙汰されるが、実は「良太郎の成長」こそが物語の主軸である
最初は時間の複雑な仕組みを理解できずに「何だかよく分からないけど」時の運行を守っていたが、イマジンの悪業を目の当たりにするうちに、時の運行を守ることがいかに大切なことかに気づいて、それを確固たる意思にする。
それと同時に、最初は異なる価値観を持っていた仲間のイマジンたちや桜井侑斗との絆も育んでいく。


そんな良太郎は、「時の運行を守る」ことと「仲間を守る」ことを天秤にかけるように強いられる。
桜井侑斗が記憶を消費しながら戦っていたり、良太郎が電王として戦うことが仲間のイマジンの消滅をももたらしたりすることに気づく。
最初、良太郎はその両方を認めず、仲間の自己犠牲には否定的な態度を示す。
そんな仲間の自己犠牲を阻止するために代わりに良太郎は一人で強くなろうとする。
しかし、やはり自分が一人で戦うことに限界があることを知り、仲間の大切さを改めて感じる。
更に、仲間のイマジンも桜井侑斗も野上愛理も、みんな時の運行を守るために自己犠牲を払っていることに気づく。
同じ意思を共有しているからこそ、「時の運行を守る」という仲間の意思を尊重して自己犠牲を黙認し、共に全力で戦うことを決意することができたのだろう。
イマジンの悪業を見たり、仲間との絆を育んだりすることで、自己犠牲に対する否定的な姿勢を変えることができたのが、良太郎という主人公の作中における最大の成長であり、『仮面ライダー電王』という作品の骨組みにもなっている。
そう、『仮面ライダー電王』は良太郎がイマジンや大切な家族・仲間に囲まれて成長していく物語なのだ。

<電王>それは、『時の列車』に乗り、仮面ライダーとなった少年が、時の旅人として自分を見出し、電車を降りるまでの成長物語。

― 映画『仮面ライダー超電王&ディケイド 鬼が島の戦艦』映画チラシ

『仮面ライダー電王』の複雑な時間移動のロジックが分からない「わからない視聴者」であっても、良太郎という“史上最弱”の主人公が心身共に成長していく姿は非常に楽しめるようになっている


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賑やかな戦闘

良太郎にモモタロスたちが憑依するという設定ができたことで、今作の敵怪人であるイマジンが日本語を喋るようになった。


それまでの平成仮面ライダーシリーズは、怪人態で日本語を喋る怪人を極力避けてきた印象だ。
たとえば、『仮面ライダークウガ』のグロンギは独自の言語を話していたし、『仮面ライダー555』のオルフェノクや『仮面ライダーカブト』のワームは怪人が喋るたび人間態で話している演出があった。
また『仮面ライダーアギト』のアンノウンはほとんど無言だったが、終盤で突然ぎこちない日本語が少し話せるようになり結果的に得体のしれない不気味さが加わった。
人間態を持たないのにもかかわらずペラペラと日本語を喋る怪人が登場するのは、それまでの『平成仮面ライダーシリーズ』ではかなり珍しいことだったので、違和感を覚えた人もたくさんいただろう。


ただ、イマジンが日本語を喋ることによって、戦闘シーン中の会話が増えたことが前作からの大きな変化だ。
たとえば、お互いが挑発し合ったりするような、味方イマジンと敵イマジンの会話。
モモタロスとウラタロスのどちらが戦うかで揉めたりするような、味方イマジン同士の会話。
暴走するモモタロスを止めようと良太郎が叱るような、良太郎と味方イマジンの会話。
このように、多種多様な掛け合いが戦闘中に楽しめるようになった。
そしてその影響で、戦闘シーンがより賑やかでノリノリなものになり、「わからない視聴者」がより楽しめるようになった


また、『仮面ライダーアギト』以降のほぼ全ての作品でライダー同士が戦う「ライダーバトル」が展開されていたが、今作では二人ライダー制が導入されたことでライダーバトルがほぼない。
その分、「電王やゼロノス vs イマジン」という構図が毎回続いてしまうため、どうしても戦闘シーンの新鮮味がなくなる。
戦闘シーンを飽きずに観られるようするためにも、戦闘中の会話は大きな役割を担っていた


このような『仮面ライダー電王』における人間と怪人の関わり合いがウケたからか、明確に意思があり、意思疎通が可能な怪人が以後の作品でも増えていった
『仮面ライダーOOO』のグリード、『仮面ライダーウィザード』のファントム、『仮面ライダードライブ』のロイミュード、『仮面ライダーゴースト』の眼魔、『仮面ライダーエグゼイド』のバグスターなどがその例だ。
そして、『仮面ライダーOOO』の火野映司とアンクや『仮面ライダーエグゼイド』の宝生恵夢とパラドなどで見られるように、仮面ライダーが怪人と共闘する展開も増えていった。
その影響で、人間という枠を超えたバディものをテーマに据える作品も増え、必然的に戦闘中の会話が増えるようにもなった。


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ゲスト中心の物語

それまでの『平成仮面ライダーシリーズ』では、『仮面ライダー龍騎』や『仮面ライダー555』などのように、三人以上の多数の仮面ライダーによる群像劇を描いた作品が主流だった。
一方で今作は、テレビ本編に登場する仮面ライダーを電王とゼロノスの二人のみに絞った。


そして、群集劇よりかは、二話ごとに新しいゲスト (契約者) を登場させて電王やゼロノスと関わる様子を描く「ゲスト中心」の構成になった
この構成により、二話で完結するショートストーリーの連続によって今作の物語が進行することになり、その二話の前後編で描かれる内容に関する基本フォーマットがある程度確立された。
前編では、イマジンと契約者は契約を結び、契約者と良太郎たちが何かしらの形で関わり合い、電王やゼロノスが現在でイマジンを倒そうとする。
そして後編では、イマジンが強引に契約者の望みを叶えて過去に飛び、そして電王やゼロノスも過去に飛んでイマジンを倒す。
この基本フォーマットが第一話から最終話までずっと維持されたのが今作の大きな特徴だ。


前後編の二話完結は新しいものではなくて、『平成仮面ライダーシリーズ』では『仮面ライダークウガ』から基本のフォーマットとしてあった。
このフォーマットが採用されてきたことに様々な要因が挙げられると思うが、監督が基本的には二話ごとに交代するという製作上の都合が大きく影響していると推察することができる。
なので、これまでの作品を見ていると、たしかに二話ごとにある程度物語の区切りがあることが分かる。
ただ、今作では二週間ごとに変わるゲストを中心とした起承転結のある物語が二週間にわたって描かれるようになり、二話ごとの区切りがより明確になったと感じる




この「ゲスト中心」の構成のおかげで、複雑な縦軸よりも横軸に比重を置くことができた
「愛理の天体望遠鏡の謎」「桜井さんをめぐる謎」「分岐点の鍵」などが関わる縦軸の物語は、タイムパラドックスなどに関わるものが多い。
そのような複雑すぎる壮大な物語についていけなくても、起承転結が明確な分かりやすい二話完結の物語を気軽に観ることができる。


ゲストの望みを中心に描かれたドラマは、どれも非常に魅力的なものばかりだ。
人間には誰しも、自分の人生に大きな影響を与えた過去の出来事はあるだろう。
ゲストが後悔していること、忘れたいこと、変えたいことを現在で深掘りすることで、過去の出来事を明らかにする、というアプローチは非常に面白い。


また、ゲストと良太郎たちの関わり合いは、一般市民を守るために戦う仮面ライダーの姿を効果的に映し出した。
ライダーバトルが根幹にあった『仮面ライダー龍騎』などで見られた従来の群集劇のフォーマットでは、(良いか悪いかは別として) どうしても内輪で物語が完結しがちだった。
それが、今作では契約者といった形でゲストを登場させることで、より広い世界と仮面ライダーとの繋がりを視聴者に実感させることができた。




そして、今作以降の作品でもこの「ゲスト中心」の構成が重宝された。
鳴海探偵事務所に来る依頼者をゲストに据えて探偵ものを展開した『仮面ライダーW』などがその代表例だ。

『仮面ライダーW』の場合は、二話ごとに一つの事件を扱いながら「仮面ライダーと“街”」の関係性を映し出すことができ、「ゲスト中心」の構成との相性が非常に良かったと感じた。


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結論

以下のインタビューで白倉氏は、『平成仮面ライダーシリーズ』の視聴者には「わかる視聴者」と「わからない視聴者」の2種類がいることを述べている。

— 非常に基本的なことですが、電王のメインターゲットは?
小学校低学年です。
— そのターゲットに、あのストーリーは理解できる?
コアターゲットには、わからないだろうと思っています。難しい話ですから(笑)。ターゲットを、私は2層に考えています。わかる視聴者と、わからない視聴者がいるのだと。そのために、まず、わからない層にでも楽しめる構図づくりを大切にします。それは、ライダーのキャラクターや対戦の面白さですね。その上に、わかる層に向けたストーリーを載せていきます。 さらに種明かしをすれば、脚本はかなり重層的につくりあげていますが、常にドラマのあちこちに「そんなこと、どうでもいいじゃない」と思える“ノリ”や勢いを持たせるように苦心している。「あまり難しいことは考えなくていいですよ」「そこは、楽しむべきところじゃないかもしれませんよ」というメッセージを発信して、実際、気にせずに楽しめるようにしている。実は、舞台裏では、作家も含めてみんなで小難しいこと考えているんですが(笑)、考えていないふりをしつづけているんです。 で、コアターゲットの小学校低学年の視聴者の方々は、話の難しいところを考えずに、物語の面白さを見事に理解してくれているわけです。

白倉伸一郎(Shinichiro Shirakura)氏: ポイントはリアルタイム性であり時代性 つまりは「今」でしかできないこと | クリエイターズステーション

『平成仮面ライダーシリーズ』は、「わかる視聴者」に向けてストーリーを作り込んでいることもあり、大人からも人気を博すことができた。
『仮面ライダー電王』もまた、「時間モノ」という難解なストーリーを扱い、子供に媚びることなく作られた。


とはいえ、「仮面ライダー」はあくまでも子供向けのコンテンツだ。
だからこそ、当たり前なことに聞こえるかもしれないが、子供たちにどれほど受け入れられるかがシリーズの命運を左右する。


よって、難解な時間モノのストーリーを描きつつ「わからない視聴者」である子供たちが楽しめるような作品にもするために、今作はキャラクターや戦闘にこだわる必要があった。
キャラクター面では、強烈なカラーのモモタロスたちによって掛け合いや憑依劇が楽しめるようになり、“史上最弱”の主人公である良太郎によって明るい作品となる基盤ができつつ彼の成長ストーリーも楽しめるようになっている。
そして戦闘面では、会話が増加したことでより賑やかでノリノリなものになり、飽きずに楽しめるようになった。
それに加えて、ゲスト中心の構成が生み出されたことで、より気軽に楽しめる作品になった。


これらの工夫によって、以下のインタビューで白倉氏が述べている通り、「訳分かんなくても良い」ような作品になったと言えよう。

司会「それが、今みたいな平成ライダーらしいネチネチって今仰られてましたけど… それがそういう意味では平成ライダーの中で頭抜けて明るいというかね。」
白倉「でもあれは時間旅行モノにしちゃった弊害… というか副作用ですよね。やっぱ難しいですよね、タイムトラベルモノって。難しすぎて訳分かんないんで。絶対お客さん訳分かんないから。訳分かんなくても良いっていうメッセージ… っていうか光線を発しないとダメだった。バカが作ってるからしょうがないんだよね、っていう風に見えるものにしなきゃいけないって言って、とにかく明るい、で、バカっぽい、っていうのにしないといけない。」

― 白倉信一郎プロデュース作品を振り返る。第1回 ゲスト: 小林靖子 (脚本家) ~Part6~

妥協することなく難解なストーリーを扱いながらも、そのストーリーを理解しなくても楽しめるように緻密に計算されていたからこそ、『仮面ライダー電王』は子供たちから絶大な人気を集めることができた


そして、『仮面ライダー電王』の作り方が後年の作品でもまるで呪縛のように引き継がれることになり、その後シリーズ全体に多大なる影響を及ぼした
だからこそ、今作は『平成仮面ライダーシリーズ』の分岐点となったと、今振り返ると思える。




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