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感想 『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』は仮面ライダーを愛したファンへ何を贈ったか

2018年12月22日より公開されている『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』を、公開初日の朝イチに起きて最速で観に行った。


平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER


今作に関しては、公式から出ている情報がかなり絞られていて、ウォズが『仮面ライダージオウ 補完計画 15.5話』で「今回の映画にはサプライズがある」と発言していたことから、私の中では正直期待や不安がかなり混じっていた。
だからこそ、殆ど事前情報を入れずに今作を観たかったので、真っ先に観に行った。




結論から言うと、私は公開日の朝に観に行って正解だったと思う。
映画館から出てきて興奮がさめやらないが、私の思ったことを率直に書いていきたい。


今作には、私が観ていた劇場をかなりざわつかせたとあるシーンがあるが、そのシーンの衝撃を味わうためだけにもなるべく事前情報を入れずに鑑賞して欲しいという思いがある。
この記事ではそのシーンを含めてかなりこの映画に関するネタバレに触れて行くので、そこは注意して読んで欲しい。


ちなみに、『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』は「東映特撮ファンクラブ」で視聴することができる。


この記事には、映画『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』や『仮面ライダージオウ』、『仮面ライダービルド』、その他関連作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。


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ライダーが虚構に


今作は、「仮面ライダーがテレビの中の絵空事である」世界が舞台の物語だった。
これほどメタ的な話はこれまでの『平成仮面ライダーシリーズ』にはなかったし、その禁断の領域に踏み込んでいいのかと、映画の詳細を知った当初は正直戸惑ってしまった。
だが、よくよく考えてみると、『仮面ライダービルド』と『仮面ライダージオウ』のクロスオーバー作品である今作にとって、「仮面ライダーはニセモノなのか」という投げかけ以上に相応しいテーマはないと断言できるくらいしっくりくる
というのも、「ホンモノ」と「ニセモノ」の対立構造は両作品の共通テーマだからだ。


『仮面ライダービルド』では、桐生戦兎や万丈龍我たちが、「創られた (ニセモノの) ヒーロー」であるという事実を乗り越えて「ホンモノのヒーロー」として戦う様を描いてきた。
また、戦兎は、「理想を実現させるために現実と徹底的に向き合う」非常に魅力的な人間として描かれた。
そんな戦兎が、「一海 (=アタル的には"ニセモノ") が苦しんでいる現実」に向き合おうとしないアタルに愛想を尽かしたことは印象的だし、「ニセモノであろうがホンモノであろうが、守るべきものは守る」と言い切れたことに関心した
ホンモノとニセモノの狭間で彷徨っていた戦兎だからこそ、今回の事件に直面した際に出せた結論であるように思える。


現行作品の『仮面ライダージオウ』でも、「ホンモノvsニセモノの対立構造」を描いている。
テレビ本編では、「ホンモノ」はレジェンドライダーで、「ニセモノ」はアナザーライダーやライダーアーマーだ。
一方で、今作では、「仮面ライダー=ニセモノの世界」、つまり、「仮面ライダーがフィクションの世界」である我々の現実世界に放り込むことで、「ホンモノ」と「ニセモノ」問題に別の角度からアプローチしている


『仮面ライダージオウ』のEP01とEP02は「ビルド編」だったが、ジオウの世界観や設定の紹介も兼ねていたため、かなり駆け足気味になり、ソウゴが戦兎の価値観に触れる機会がなかった。
なので、戦兎が「ニセモノであろうがホンモノであろうが、守るべきものは守る」というスタンスをソウゴに提示した今作こそが、『仮面ライダージオウ』の正式な「ビルド編」だと考えるとかなりしっくり来た。




この「仮面ライダーはテレビの中の絵空事なのか」というテーマが我々仮面ライダーファンに向けてのメッセージにもなっているところがかなりアツい。
近年の子供たちがどのように「仮面ライダー」を観ているのかは分からないが、少なくとも私は、幼い頃には仮面ライダーは実在すると思っていた。
「変身して!」と、仮面ライダーを演じた俳優たちが街角で子供の視聴者によく言われる、という話はよく聞くが、未だにそのような考えを持つ子供が多いのかもしれない。
だが、「サンタさんは実在しない」ことにいつか気づくように、「仮面ライダーはテレビの中の絵空事」だと認識する日がいつか来る。


そう考えると、夢見る子供たちも観る今作で「仮面ライダーはテレビの中の絵空事だ」とハッキリと告げるのはかなり残酷なのかもしれない。
しかし、それと同時に「現実であろうが虚構であろうが、覚えている限り仮面ライダーはいる」こと、つまり、仮面ライダーが実在するかどうかよりも当時その作品を観た自分がどう感じたかが重要であるという、「仮面ライダー」という「フィクション」との向き合い方を示してくれたのは非常に秀逸だと感じた。
『ブレイドランナー』を彷彿とさせるような「フィクション」に対するこの「解」は、子供たちだけではなく、これまで平成仮面ライダーシリーズと共に時代を駆け抜けてきた人たちが受け取ることもできるものとなっている。
(『ブレイドランナー』と似たようなテーマを扱った『仮面ライダードライブ』のチーフプロデューサーを務めた大森敬仁氏が今作のプロデューサーも務めていることを考えると、尚更合点がいく。)


我々仮面ライダーファンは、アタルやシンゴといった今作に登場する仮面ライダーファンに自分を投影して、「虚構」との向き合い方を学ぶことができたと感じた。
そういう意味では、やはりメタ的な禁断の領域に踏み込むという今作の挑戦は、功を奏したと個人的には考える。
ちなみに、猿渡一海を見て「『ビルド』の一海なのか?それとも『キバ』の音也なのか?」とアタルが尋ねるシーンは、二人とも武田航平さんが演じていることから生じた疑問だが、これはメタ的な領域に踏み込んだ今作だからこそできたことで笑ってしまった。


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レジェンド「総出演」


これまでの『仮面ライダー平成ジェネレーションズ』シリーズは、オリジナルキャストが出演できる平成二期シリーズの仮面ライダーを中心に、フィーチャーする仮面ライダーが決められた。
なので、今作で平成仮面ライダーが総出演することを知った時、私は正直不安の気持ちに苛まれた。
というのも、オリジナルキャストが出演するわけでもなければ、映画の尺で全員をまともに扱いきれない恐れもあったからだ。


実際に今作を観ると、上映時間が100分とライダー映画にしてはかなり長かったものの、やはり一人あたりのレジェンドがフィーチャーされる時間はかなり短かった印象だ。
しかし、今作は、平成仮面ライダーの主人公全員をフィーチャーさせることの意義を見出した点において優れていると感じる
というのも、メタ的な視点を絡めることで、我々は、仮面ライダー作品が放映されていた年に身の回りで起こった現実世界での出来事といった「記憶」を思い出し、アタルやシンゴと共に振り返ることができたからだ
2000年の『仮面ライダークウガ』から観始めた人も、今年の『仮面ライダージオウ』から観始めた人も、「平成」という時代を平成仮面ライダーシリーズと共に駆け抜けてきた。
よって、今作のレジェンドライダーを見てただただノスタルジーを感じさせるだけでなく、メタ視点が挟まることにより我々の「仮面ライダーと駆け抜けた平成の記憶」までもが掘り起こされた。
だからこそ、平成仮面ライダーを愛した者であれば誰でも、作中の一般市民と同様、今作に登場する仮面ライダーを誰かしらを応援したくなるだろう。
出演時間の長さ・顔出し出演の有無は関係なく、「平成最後」の仮面ライダー映画に全平成仮面ライダーを出演させること自体に意味があったと感じる。


また、特筆すべき点として、今作に登場した仮面ライダーの台詞のほとんどが、ライブラリ音源を使っていたことがある。
更には、仮面ライダーアギト、仮面ライダー龍騎、仮面ライダーディケイド、仮面ライダーゴーストに関しては、オリジナルキャストが声の出演をしてくださっている。
レジェンドの声に代役の声優を起用する「春映画」などとは違い、今作に出演した仮面ライダーたちが全員テレビ本編と同一人物であるかのように思わせてくれる演出になっていて、かなりアツかった
そういう意味でも、実現可能な範囲でかなりレジェンドライダーへのリスペクトや愛に溢れたオールライダー集合映画になっていたように感じた。
個人的には、サムズアップをする仮面ライダークウガが見られただけで、感極まった。




ただ、レジェンド作品へのリスペクトや愛が溢れているからこそ、各作品の諸々の設定を尊重しようとする姿勢が見えたことは良かったが、その影響で筋運びが割と難解になってしまった印象だ
今作は、『仮面ライダージオウ』のタイムマジーンでの時空移動のロジックに加えて、『仮面ライダー電王』のデンライナーでの時間移動、『仮面ライダービルド』のA・B・C世界、そして、パラレルワールドの考えまで登場する。
あとからロジックを全て考え合わせると納得はいったが、かなり理解しにくい部分もあった気がする。
そう考えると、平成仮面ライダーシリーズを全て観てきた人こそ、完全に楽しめるような作りになっているのかもしれない。


しかし、デンライナーとタイムマジーンのロジックは違うという認識だったので、デンライナーが時の砂の中ではなく、タイムマジーンと時空転移システムを並走していたことだけについては、少し違和感を覚えた。


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記憶こそが時間 (重大ネタバレ)


いやー、このシーンを何年待っていたことが。
このシーンを観て、私は劇場で泣いてしまった。


実は、私が『平成仮面ライダーシリーズ』を観始めたきっかけともなったため、『仮面ライダー電王』に対する思い入れがかなりある。
野上良太郎が、色々なイマジンに憑依されることで風貌や性格が変わることが、当時の私にしてはかなり楽しかったし、この作品の最も印象深い要素の一つと言える。


『仮面ライダー電王』という作品が平成仮面ライダーシリーズの中ではかなり成功したことによって、以降数々の「続編」が作られるようになった。

しかし、野上良太郎を演じる佐藤健さんがかなり売れたことや、イマジンズだけでも何とか『仮面ライダー電王』の続きが描けたこともあり、『劇場版 さらば、仮面ライダー電王 ファイナル・カウントダウン』より先に公開された映画からは、佐藤健さんが演じる野上良太郎は姿を消してしまった。


『仮面ライダー電王』好きとしては電王が放送終了後も積極的に取り上げられて嬉しかったが、良くも悪くも、佐藤健さんが演じる野上良太郎が出演しなくても成立する『仮面ライダー電王』の世界観が出来上がってしまったことにはかなり複雑な思いを抱いていた。
やはり、良太郎との共闘があってこそのモモタロスたちだと思っていたので、良太郎抜きの電王にはかなり違和感を覚えた。
そのようなモヤモヤが10年近く続いた。




だからこそ、佐藤健さんが野上良太郎として再び「参上」してくれたことに私は感激した
今の芸能界を引っ張っていて超多忙なあの佐藤健さんが仮面ライダーに出演してくれること自体、夢の中の夢だと思っていた。
それでも、いつか野上良太郎を再び演じてくれるという希望を捨てられなかった。
仮面ライダー電王が割とフィーチャーされるも聞いて、今作を鑑賞する前も、私は野上良太郎の出演に期待して『仮面ライダー電王』のテレビ本編を復習した。
そして、今作を鑑賞して、10年間願っていたことが漸く叶い、涙が止まらなかった。


変身解除した仮面ライダー電王が差し伸べる手が、佐藤健が演じる野上良太郎のものだったと判明した時、私の劇場は騒ついた。
めちゃくちゃ騒ついた。
あれほどの衝撃を映画で味わうのは初めての経験かもしれない。


モモタロスたちと会話する際の絶妙な間の取り方。
ウラタロスの声を担当する遊佐さんとのシンクロ具合。
そして、見違えるほど変わった凛々しい顔つきと大物俳優のオーラ。
その全てから、10年という年月の間の佐藤健さんの俳優としての成長を感じ取ることができ、非常に感慨深かった。


それと同時に、わちゃわちゃするイマジンズやオーナーの側にいる野上良太郎は、『仮面ライダー電王』の懐かしいあの空気感を彷彿とさせてくれた。
今作の「誰かが覚えている限り戦う」というテーマにも繋がるウラタロスの台詞も、『仮面ライダー電王』の「記憶こそが時間」というテーマに即していて、かなり納得のできる自然な登場の仕方だった
あと、メタ的な話だと、佐藤健さんからの「『仮面ライダー電王』を忘れない」というメッセージとしてもとらえることができたのが更に良い


他作品での佐藤健さんの演技を見ていると、弱々しい野上良太郎を演じるのは正直難しいとは思っていた。
そしてやはり、佐藤健さんが出演するシーンの大部分では、ウラタロスに憑依された状態でいた。
身体的には弱々しいが芯は強い良太郎の性格が大変魅力的だったので、欲を言えば、憑依されていない野上良太郎の演技ももう少し観たかった気がする。
最後に、チラッと素の良太郎になったような気がしたのは嬉しいが。


今回の映画は、試写会すらせず、かなり情報統制が厳しかった印象だ。
このシーンは、ライダーファンにとってはかなりのサプライズになったし、東映がここまで隠し通してくれたことに驚きと感謝しかない。
小林靖子さんが脚本監修をされていることすらも隠し通したほどの情報統制の徹底には感心してしまった。
佐藤健さんが出演することを大々的に宣伝すれば興行的にもかなりの影響が期待できたものの、そこを意図的に隠し通したことで、正に「ライダーファンへのサプライズ」になったと思うし、個人的には少し早めのクリスマスプレゼントになった。
本当にありがとう。


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結論

『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』は、平成最後の仮面ライダー映画であり、平成仮面ライダーシリーズ20作品記念作品でもある。
平成という時代が終わり、来年2019年からは新しい元号の仮面ライダーが始まるだろう。
だからこそ、今作には「平成仮面ライダー」に一区切りつける役割があったのだと考える
そして、その役割を果たすために、我々仮面ライダーファンが歩んできた「平成」という時代を平成ライダーと共に振り返るきっかけを与えてくれ、我々が愛した作品との向き合い方を提示してくれる、リスペクトと愛に溢れる作品を制作陣は贈ってくれたと感じる。


平成仮面ライダーシリーズが過去のものになっても、その勇姿を忘れない限り、平成ライダーは「永遠」となる。
そう気付かせてくれる作品なのかもしれない。




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